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ドライブへ行こうのブログ一覧

2016年04月15日 イイね!

「もみじどき秋は遠目に見るがよし春は近くでみるがよし」 優しい緑に包まれに散歩へ行こう。

「もみじどき秋は遠目に見るがよし春は近くでみるがよし」 優しい緑に包まれに散歩へ行こう。




春のもみじ。





  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

少々忙しくなってきた中でも、ゆるりゆったりゆるい時間。忘れないで人生と言う散歩もしていきたいと思います。


  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

共栄かはわかりませんが、異文化でも共存はしているようです。たくさんの人に代わる代わる声をかけてもらいながら、鯉と鴨に餌をあげ。


  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

どんな年齢でも、「この歳になって」と思う年齢でも、学ぶこと、知ることだらけです。「もみじどき秋は遠目に見るがよし春は近くでみるがよし」という言葉を春のもみじを撮ったきっかけで知りました。


  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

薄い曇り空。淡い優しい緑に包まれた空間が生まれていました。


  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

このレンズ、いつも新しい構図を教えてくれます。


  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

同じ場所に何度来ても飽きません。どころか、この優しい緑に包まれて、何度も何度も「いい」と呟き、そして幸せを感じました。


  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

そういえば、冬のもみじを撮った頃、再度ブラジルへ渡ったあの子からオーダーが入りました。さくらの写真を送ってくれと。ネットで探せばいくらでもあるだろうところに、送ってくれというところに意味を感じ、今年撮ったさくらをいくつか送る予定です。ブラジルでの経済状況なども聞きつつ、非常に勉強になり、そして人生の糧にもなる話も教えてもらいました。家人了承の下でこの子にアテンドしてもらいブラジル視察を思いついたときがあったのですが、家人以外の仲間から大反対され見送ったことがありましたが、社会勉強へ行ってみたく再燃してきました。


  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF



  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

もみじと私の間にある「曇り空から注ぐゆるい光ともみじが作る、空間を包む淡い緑、その光」、「空間、空気の間にある体を優しく包むような淡い緑」をどうやったら捉えられるのだろうか、答えはまだ見つかっていません。広角か。すぐ道具頼りな発想になってしまいます。



  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

夕食の支度に先に家人は家に帰り、子供と二人、優しい緑の中で過ごしました。



  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF



  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

私にはあっちの通路を通れと、どっちが早いか競争をしたかったようです。




  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

もう一度、餌をあげたいということで、かなり大盛な餌で100円。





ちなみに、



  EOS 5Ds R + Carl Zeiss Otus 1.4/55 ZE

少し前にUPした春のもみじ、3月29日に撮りました。


  EOS 5DⅢ + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

同じもみじを4月8日に撮影したものです。春のもみじ一週間、十日足らずで彩りをここまで変貌させます。


八重桜も満開に近くなり、ですが、「もみじどき秋は遠目に見るがよし春は近くでみるがよし」、そんなもみじの春もなかなかいいものです。日が昇るといよいよプレ幼稚園ながら初登園です。


春の淡いみどりを見つけに、散歩に行こう。

Posted at 2016/04/15 00:46:28 | コメント(2) | トラックバック(0) | いつもの公園 | 日記
2016年04月01日 イイね!

鳥撮影  ノードライブで行こう。



  EOS 1DX + EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー 1.4×

処分も検討しているこのレンズ。もう少し使いどころはないか。鳥でも撮ってみよう、ということでいつもの公園へ持っていきました。ここは鳥が少々います。鳥撮りが楽しいと思えれば、この公園での楽しみも広がります。


  EOS 1DX + EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー 1.4×

薄っすらと日が差すグレーな曇り空。高いところにいる鳥を撮ると、逆光で暗く写りがちです。高さもある木であり、なかなか難しいものです。画像はすべて撮って出しで明るさを上げました。飛翔中の鳥はとても撮れる気がしないので、止まっている鳥を狙います。




これをトリミング。甘いです。もっと絞って撮るものなのか、といろいろ見てみるとF9以上の人が多いですが、カワセミなどを躍動的瞬間を撮っている人はSSを稼ぐためだと思われますが、F2.8など開放系でしかも鳥一羽をきっちりと被写界深度に入れているので、御見それするばかりです。



上をかなり見上げて鳥を探す撮影スタイル、新鮮です。目線高さにいる鳥は、枝や葉が邪魔でなかなか目視できず、こっそり近づこうと思っただけで、すぐに飛んで行ってしまいます。結果、高いところの鳥狙いです。



鳥に本格的にはまりだすと500mm以上、600mm、800mm、その解像度も求めて大砲の世界になっていくようです。飛翔中狙いの人は600mm以上の大砲を手持ちという超人ぶりな人も。私が200-400にした理由の一つは手持ちの限界レベルがこれであるという評価に基づいてです。




飛行機もどこにいくとどんな写真が撮れるのか、運用ごとに撮れる構図など、被写体を知る必要がありますが、鳥という被写体も詳しくなり動きが読めるようにならないと厳しそうです。はじめは木に止まっている鳥を探していました。枝が絡みあうその向こうに小さくいたりけっこう見つかりません。途中からは見つけやすい飛んでいる鳥を探して止まるのを確認するようにしました。元画像。


トリミングして明るめに。羽毛の質感、精細感もまるでなし。難しいものです。鳥撮りの人達はどうやって撮っていることやら。潤沢な光量も大切そうです。



知り合いでフクロウとハヤブサを飼っている人が居まして、その人はコンデジで接写して毎年カレンダーにして配っています。という手もあるわけですね。いろいろなスタイルがありそうです。ふと見ると人がいないと歩道を闊歩する鳥。



この構図で闊歩中の鳥を撮りたいと思い、少々待機しました。なかなか来ずで、というよりもレンズは下に向けて置き待機していたのですが「通って大丈夫ですか」とOLの方などに声を掛けさせてしまい、通る人に気を使わせてしまうので、早々に退散しました。この分野もいくつかの方向性やスタイルがあるようで、かつRAWが適したジャンルかと思いました。トータルとしては30分少々で7羽ほど撮れたところで終了。ですが、1羽、ときにはワンカットのために待ち数時間は当たり前の世界。あるいは白鳥を求めて極寒へ。深入りは禁物そうです。




次回は黄色い花と田舎の駅にドライブへ行こう、です。



Posted at 2016/04/01 13:36:37 | コメント(3) | トラックバック(0) | いつもの公園 | 日記
2016年03月30日 イイね!

85



拝啓 レンズもたくさんの春の色を感じる候、桜の花のたよりが聞かれる頃になりました。ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。


  EOS 7D Mark II + 35mm F1.4 DG HSM

名玉、いや銘玉に数えられるAi AF Nikkor 85mm f/1.4D IF。


  EOS 7D Mark II + 35mm F1.4 DG HSM

状態のいいものを仕入れれば、このレンズはありえないほどにプライスが間違えていると言えるのではないでしょうか、というほどにお値打ちものだと思います。キヤノン同級レンズも他では撮れない独特の味がありますが、それより秀でている性能もあり、負けず劣らずの味もあり、半値程度というのも魅力です。何より「かなり楽しい」と思えるレンズです。



  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

私にとっての「いつもの公園」。電車は通りませんが。


  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

散々撮ってきているこの公園。


  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

同じ被写体でも、


  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

そのレンズが「こんな切り取り方あるよ」と教えてくれるかのように、


  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

そのレンズごとに新しい構図との出会いもくれたりします。


  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

もちろん、同じレンズでも何度も来ていれば「何か違う構図はないか」「切り口はないか」「考え方はないか」と模索する中での発見もありますが、その固有のレンズが教えてくれることもあるように思います。


  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

こうして、何枚も今までは撮ってみようと思わなかった構図をレンズは教えてくれることがあります。


  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

この日は私にとっての「いつもの公園」でたくさんの新しい出会いをしました。


  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

ボディのおかげもあります。ダイナミックレンジが広いゆえに、このような構図も撮ってみよう、と思いました。




  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

中井氏を知らなければ撮らなかったであろう構図。というように人に多大に影響を受ける場合ももちろんあります。


  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

あるいは、


  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

みんカラでたくさんの写真を拝見し、様々な個性や感性に触れて、ときには驚愕もしたり、インスピレーションやインパクトを頂いたり、自分の写真が情けなくなるという「だからまだまだ成長しよう」というエネルギーを頂いたり、


  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

たくさんの刺激や影響を受ける能力が折り重なって、己の写真も作られて行っていると思います。と、いうほどの写真でないのも自覚していますが。


  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

数名の方は勝手ながらにとても素敵な写真を撮られるな、と思い、あるいはこの人はこういう写真はとくに秀でていらっしゃるなと思ったり、しかし更新が遅くて忙しいのかな、今ちょっと大変なのかな、ということを想うこともありながら楽しみにもしていたり、あるいはこうして怒涛にUPしている中で付き合って下さる方もいたり、このような環境に育てられているな、とも感謝致しております。それは現実であり、事実だと思っています。



  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

あるいは、カメラを本格的にはじめて、もしくはフルオートを卒業して一年少々。稚拙な写真しか撮れない中でも、あまりにも自分でもひどいと思うような写真もUPしてみて、今までを壊すということもトライしてみました。しかしながら、それも楽しむ。さらにしかしながら、そんなことにも付き合ってくださる方もいる。有り難いことだと思っております。



  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

ついつい人間は居心地が良い、今までを踏襲したり、変わることを恐れたり、惰性、つまりは手を抜いて生き、さらに換言すれば成長を忘れがち、いや正確には避けがちですが、歳を重ねてもなお変わりたい、成長したい、今までの己を壊したい、と思うゆえに、チャレンジも少しずつですがしていきたく思っています。ただ壊すだけではなく、次はどんな感性を取り入れるのか、それも模索しながら、いや悩みながら。



  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

文章・文体もいろいろチャレンジをしてきましたが、これも続けてまいりたいと思っております。


  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

例外なく、どのような人も、一国の総理であってもそうなわけですから、いろいろな事があり、大変なこともあります。が、マイペースに写真を撮って行こう、とも思っています。じいじが子供のためにトーマスで遊ぶ台を大工仕事で作ってくれました。これも有り難いことです。



  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

フルオートから絞りやSSを優先したり、最終的にはマニュアルになったり、権限委譲をカメラから奪っていくことだけは説明がつかないままですが、カメラあるいは写真というものは、非常に人生とシンクロすることが多く、そこも面白いのではないか、と思っています。



  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

とにかく数だけはたくさん撮影してきましたが、日常の喜び、楽しみ、忘れがちな魅力や、おこがましいながら機微それらを撮りたい、という気持ちだけは忘れないようにしたい、とも思っています。そして少しずつ語り掛けるような写真、あるいは誰かが何かを思い出せるような写真も撮れるようになればと思っています。



  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

人生においても、今までに微塵もしたことがない価値判断をしてみようと思っています。今までを壊したい、なんとしても。成長するために、一皮むけるために。



  D810 + Ai AF Nikkor 85mm f/1.4D IF

たった10日前は、一輪、二輪程度しか咲いていませんでした。雑草や草木に負けぬよう、写真とともがんばりたいと思います。いつもありがとうございます。


敬具、でドライブへ行こう

Posted at 2016/03/30 00:01:25 | コメント(1) | トラックバック(0) | いつもの公園 | 日記
2016年03月18日 イイね!

か  日本の色を探しに散歩。  ノードライブ


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

「お邪魔致します」と心でつぶやき日本の文化を感じに来ました、とそれらしい言葉を発するその人間は歌舞伎町が面白いと思った時期もありつつ、「冠木門(ぶきもん)」を「歌舞伎門」かと思っており、しかも写真手前の見切れているこの門は、カブキモンではないようで、さらに言えばそんな家にも住まわせてもらったこともあるのに、よく分かっていない、いい減なものです。


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

この日はコシナ・ールツァイス・オータス1.4/85という長ったらしい名前のレンズを5DsRにつけてみました。コシナとカールツァイスは、さしずめパナソニックとライの関係性に共通項が多いかもしれません。首からさげたこのガラス類や金属類の集合体は、高級住宅街のマダムが首からさげている代物よりも、経済的価値や歴史は大きく劣りますが、重量と性能、そして人類の英知たるテクノロジーだけは負けません。私が作ったわけでもなく、つまりは人類の仲間入りを目指しています。



  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

ボケが自然でまろやかで綺麗なのは間違いありませんが、こうしてみると後ろボケのほうがやはり綺麗です。前ボケも綺麗が求められるだけであって、前ボケ重視のレンズなど需要も必要性もない、と思っているとこんなレンズも世の中にあるようです。


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

単に寄ってピントとブレに注意しただけの写真ですが、光りのボケや玉ボケの輪郭が重なる境界線は少しうるさくなりがちなのが分かりやすいかと思い掲載に踏み切りますが、週刊文春という生業(なりわい)はどうなんでしょうか。たった一人の若い子を苛め抜いて。後ろにはスポンサーがいたわけで、文春以外誰も得をしないように見えてどころか、大きな資本も損失が発生します。そこに喧嘩を売るようなことができるのは、どういうパワーバランスがあるのか、あるいはほかになにかあったのではないか、と勘繰ってしまいます。と思いながら、距離や状況など背景を勘案することは、綺麗なボケを作るかどうかの大きなファクターになるようです。お、メラと人生あるいは社会と、権限委譲以外はやはり繋がります。


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

大人の定義、それは「こけが異様に好きである」。まだ表現が固まってない中ですが、提唱活動を開始したいと思います。ではどうして海苔には同じように風情を感じないのか。三年前に普遍性を持ったこの哲学的な問いを改めて入念に入湯しながら考える日々。


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

人生は極上のエスプレッソ。という言葉、写真とミスマッチであり、ミセスではありません。最近はエスプレッソ2倍濃いめでないと物足りなくなってきました。苦いコーヒーや渋めのお茶にビール、はたまた辛いタバスコに七味唐辛子、酸味が効いたバルサミコにぼす、ポン酢も美味しいです。どれも大人になるに従い、美味しいと感じるようになるものが多くあります。同じごとく、苦い経験や辛酸を舐めるような時間も、楽しんで味わえる、そんな余裕や大きさを持てるようになるのが、本当の大人、初段なのかもしれません。ここではじめて黒帯になります。その二歩手前な大人が苔好きなわけで、まだ茶帯です。


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

大人としての入門編、つまり大人として7級は「感謝」ではないかと思っています、すなわち水色の帯です。結婚し、あるいは子供ができたり家族が増えて養っていく大変さを知ったとき、もしくは社会へ出てその厳しさを体で知ったとき「親も大変な中がんばってきてくれた」ということをはじめて理解し、感謝が生まれるかのような。これが敷衍されて、社会を知り、世の中を知るにつけあらゆることに感謝の念が出てくるのが、もう二段ほど階段を登ったところかもしれません。


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

仮面ライダーのお兄さんとして芸能界入りした藤岡弘氏。水一杯を飲んだ後も「うまい、うまいね」と言ったあとに手を合わせ「感謝」と心で感じたことを言葉に変えます。水に感謝したのか、水を美味しいと思える命ある環境つまり生かされていることに感謝したのかは分かりません。いずれにせよ、すばらしいことだと思いますが、ここで話が終わってもつまらないので、私はこれを夜の飲みのネタにして、物まねしながら行きつく先は空気にも感謝。つまり一呼吸ごとに感謝を発しなければならない、たとえ歩きながらでも、と結論付け、つまりはしまいには「感謝」しか発しなくなる光景を、すなわち極限の感謝する状態を顕在化します。換言すれば、感謝というものは、ふと忘れがちであるものの、常に思い続けるよりは、要所ごとに思うことが大事なかもしれません。さらに言えば感謝することは大切かもしれませんが、感謝だけしていても何にもなりません。他に集中するべき役割があるように思います。


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

大人になるにつけ、面の皮が湿度は減りつつも厚くなる。誰しも太くなっていくと若いころは思っていました。誰しも感覚や情報処理量の減少、つまり脳が劣化していくので鈍くなるのは間違いないことですが、絶対値という意味ではそうでない人も多くいると知りました。40歳になり周りを見ていてふと気づきましたが、歳を重ねたときにやはり太くなっておいたほうがよいと思います。


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

EF85mmと条件違いで参考にならない面もありつつ、同じような構図も撮ってみました。5DsR+EF85F1.2Ⅱ他の写真はこちらの後半


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

曇っていたのに日が差してきました。人生にはアメダスも衛星もありませんが、雲行きが怪しいのは感じ取れる一方で、分厚い雲があるといつ日が差すか分かりません。そんなときこそただただ努力あるのみかと思います。日々ヘトヘトになるほどに大変なのは皆一緒、皆していることだとすると、いや事実そうなわけですが、つまり向上していくことが努力とするならば、向上を相対的にかつ広く捉えたほうが実利も変わってくる中で、日々の大変さは努力ではなく、その大変さの上になにかをするから差がつくのだと思います。しかも絶え間なく。少々分かりにくい表記ですが、あえてそうしてみました。


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

日々を一生懸命生きて、それが努力だとして向上できるのであれば、ご先祖は皆そうして生き抜いてきたわけで、この世にはお城とは言わないまでも、豪邸だらけのはずですが、しかし現実はそうではありません。


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

面の皮を厚くしておく。歳を重ねると体力が落ちてきます。あるいは免疫力も回復力も落ちてきます。内蔵の性能も記憶力も、いくつのかのことを除いては多くの場合が下落基調です。


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

自分が年を重ね、そして周りを見たときに思ったことそれは「心も同じなのではないか」ということです。面の皮が厚くなっていないと実は歳を重ねたほどに傷つきやすく、もろくなり、回復するのにも時間がかかり、ときには落ちている免疫力の低さと相まって、本格的に寝込むきっかけになることがあるやもしれません。外に出れば、つまり人と接すればある程度土台で文化を共有しているはずの日本人同士でさえ、価値観の違いは千差万別ですから、換言すれば、外に出れば楽しいこともありますが、同時に嫌なことも一つや二つ必ずあるわけです。


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

「可愛いですね」と声をかけると「犬は人を裏切りませんからね」と、犬を連れて散歩したり旅行中に出会った年配の方々がよく口にするのを聞いてきました。若い人はそうは言いません。つまり、私には年配だからこそ「もう心が傷つくのが限界で、これ以上辛い思いはしたくありません」と聞こえます。ゆえに歳を重ねてこうして傍らに犬を連れて人生を歩む、その姿すらも一生懸命に日々を生きている姿に見えてなりません。歳を重ねてこないと見えない光景の一つかもしれません。


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

心理学ではストレスに順位がつけられています。トップクラスに位置するのが引っ越しです。若いときの引っ越しは楽しくて、うきうきして仕方ありません。しかし年配になると引越し一つがときには命にすら関わります。引越し先が遠方であるほどに、すべての環境が変わると、新しい情報収集もしなければならず、しかし情報収集力も落ちているので、すべてのことがストレスになり疲れていきます。被災地にはそのような隠れた問題もあるわけです。と思ってみてみると、近年のデータではストレス要因としての引っ越しはかなり順位を下げていました。しかし様々な変化を生む引っ越しは、総合して鑑みればやはり順位が高くなりそうであり、歳を重ねるごとに実は内面も弱くなる結論に変わりはありません。


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

F8。竹の囲いにピントを置いています。ピントを置く位置がもう少し奥になると、もうこれ以上はプライバシーの確保も難しくなりそうで、そのまま掲載できるぎりぎり限界値といえそうです。


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

F2.8。


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

窓ガラスの枠にピントを合わせてF4。


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

同じくF2.8。同ランキングによると結婚はストレスとして第七位。お疲れ様でございます。


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

すべてのピントをはずしてみて、正確に言えば窓ガラスとカメラの間、そのどこかにピントを置いてみて。と、他にもいろいろと試してみました。暇つぶしです。


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

これから社会問題化もしてくるであろう、介護。本当に大変なことだと想像します。日々の生活、つまりは収入を得るための仕事に家事もありながら、人ひとり50キロ、60キロの人を介護するのは過酷な重労働です。介護する側が若ければ愚痴と不平不満で終わります。が、介護する側も高齢化してくると、最近の増えてきたニュースのようなことになるわけです。


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

暗い話しが多くてなんですが、しかしだからこそ若いうちに適正な努力を重ねておいて、面の皮も厚くしていき、お酒を飲まなくとも鼻歌で陽気に過ごし、「明日も楽しくしよう」と思って寝る。その間をカメラが埋めてくれる暇つぶし。


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

新旧を対比してみれば、昔は写生しかなかったのが現代では写真があり、それが今ではデジタル化されて、撮り放題。


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

「年齢と言うものは関係もあり、関係もない」そうとしか言えないと思います。つまり年齢と言うものは、地球が太陽を一回りすると一歳と数えましょう、という今では法制度になっている社会生活をする上で便宜上大活躍をしているものであり、他方で生物学的には細胞の劣化の仕方は個体ごとに大きくことなり、あるいは同じ時間を過ごしても経験することも得る量も質もまったく異なるものであり、その内面性においては非常に見えにくいですが、60歳で高校生のような精神年齢の持ち主もいれば、10代で老人のような感性を持った人もいるわけです。さらに他方では人間社会、ことに儒教という文化がその濃淡はありもつつ有している地域では、先に生まれたかどうかというファクターが重要なこともあるわけです、我々日本やお隣の国のように。ちなみに儒教は保守的なことをよしとする場合は、こんなにも優れた社会システムは他にない、とも言えます。



  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

同じごとく「学歴というものは関係なく、そして関係ある」と思います。三角形を書いて、これが社会だよ、と伝えます。


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

本当は対角線が2:1級のひし形でさらに立体的に捉えたほうが正確だと思いますが、三角形の理解でも事足りると思います。


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

無学、無知、無教養。その逆な人と会話していると本当に楽しく思えます。これにまったく年齢は関係ありません。あるいは無知な子供であっても、素性がいいと、そうではない大人と話しをするより、比べ物にならないほどに楽しいものです。ちなみに知識というものは、学問を知る、社会を知る、教養をつける、最後に雑学という優先順位があるように思います。つまり雑学はどうでもいいかと。


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE
追記:紫色のテスト撮影。紫色の再現はデジカメの特性上難しいそうですが、非常に現実に極めて近いナチュラルな色が出てました。

最下層、そして最多層でもあるのが、三つの無を揃え、しかし無心、無意識ではなく自我の意識は強い方々。一方で頭のよい人もたくさんいると思います。頭がよいだけでは、事足りない場合もあります。東大出でも社会性がないのは個性にもなりうることですが、リーダー性が皆無すぎて勝ち抜けない人もみてきました。日本においては受験競争過度期にあたる今の50歳前後で早大出にも関わらず箸にも棒にも掛からぬような人も見てきました。頭脳はずば抜けているICU出身者でメンタリティが弱すぎる人もいました。


  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

頭のよさもあり、強いメンタリティと温かいか熱いハートを持っている人になるとぐっと少なくなってくる。さらには腹もあり、親分肌や兄貴肌、あるいはリーダーシップまで持っている人は極僅かな印象です。すべて通して「人がよい」「人間性がすばらしい」人は本当に少ないとも思います。幸せなことに、頭が良くて親分肌の人達と知り合え、あるいは「本当に人間性がすばらしい」と言える人と、しかも数名数えられる人生も、自らは人間性がけしてよくないのにも関わらず、これまた有り難いものだと思っています。頭がよくないけど人間性がすばらしい人もいて、そのまま本人へも伝えてしまいます。



  5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE

そんなこともありつつですが、過日は大変頭脳明晰で、ハートも腹もある人とお酒をご一緒させてもらい、大きな物差しも頂きました。「そう、そんな物差しもあって、しかもそう思って事にあたっている」とざざざっと全身に鳥肌も立ちました。

多少の意訳はあったやもしれませんが、限りなく原典に忠実に従った訳を心がけました。一人駅前英会話教室はつづく。


ラスが鳴いたら帰りましょう。次回はドライブへ行こう

Posted at 2016/03/18 14:14:19 | コメント(5) | トラックバック(0) | いつもの公園 | 日記
2016年01月08日 イイね!

マクロレンズを付けて、散歩に行こう。 マーケティング


事実上のはじめてなマクロデビュー。どこにピンとを合わせればと変換まで狂いながら、泉ピン子さんはカメラが上手なのでしょうか、春を思うと書いて思春期です。



もういっちょ。開放で撮影。手持ち撮影なので前後に体が1mmでも動くとピン子がずれるため非常に難しいです。春夏秋冬、どの季節にも花は咲きます。と後進を見ても思いますな、百花繚乱、の中につくしみたいな存在も。

つくしに「つくしは花が咲くの?」と聞いてみれば「つくし・・・」と詰まりつつ、変貌します、うまい返しです。


このような写真であれば、どこかにピントが合うだろう、ということな極楽浄土。



マクロといえば、経済。



マクロとは巨視するという意味なところ、広く俯瞰的に見るのか、あるいは拡大して大きく見るのか、後者はミクロやマイクロという表現の方が馴染みやすいですが、ミクロレンズとは言わず。顕微鏡などをミクロと呼ぶことにして区別するためでしょうか、と思い調べてみると、同じ疑問を持った方がいました。どっちでもいいことですが。



青い木の実みたいなものにピントが合っていたと思ったのですが、あとで見ればご覧のとおり、BB弾かもしれません。マクロ開放だと被写界深度が極薄なので、構図を作ってカメラを振るだけでピントが確実にずれます。MFか、丁寧にAFポイントを移動するか必要そうです。



というわけで、ピントに集中すると構図まで余裕がなく、通った日の丸教習所のローレルが懐かしい。



ロング・ターム・キャピタル・マネジメント、略してLTCM




ノーベル賞を取った経済学者2名や元FRB副議長などで構成された、かつて存在した会社。



これだけの人たちが集まってもうまくいかない、難しいものです。



お世話になっているこのみんカラの大ボスたる孫氏がj-フォンという機種変をした頃、GMACという会社も同額で売りに出ていたような記憶があります。息女がハイオクは売っていないGSにいたところで、いやいなくとも当然に情報は入っていたはずですが、GMACでなくj-フォンを買うところの眼力がやはりすごい、とその後、帽子みたいな名前に変わったあとに無くなったGMACを見て思いました。



GMACはジーマックと呼ばれ、米GMの金融子会社でした。トヨタファイナンスみたいなものです。



自動車ローン取り扱いから派生した同社は、巨額の資金で不動産投資、債券投資などを行っていた会社で、当時は世界最大の金融会社とも言われました。



ジーマックは日本の不動産でも一儲け、いや三つも八つも儲けを企みます。企み(たくらみ)、企てる(くわだてる)ことを業すると書いて企業、いいと思います、それで。同社日本法人にいた当時27歳な男の子の年間決裁額なんと2000億円。外資の任せ方は日系とはまったく異なります。ちなみに近年のファンドは、財閥系の窓口みたいなところも知っておりますが、アメリカのお金が回ってこずで、日本では大きなファンドと言われるところでも、おどろくほどにつまらない仕事で食いつないでいます。やはり米国子会社ジャパン。



彼が与えられたミッションは明確だったと思いますが、主に債権買いから入って不動産を取得することを目指していました。詳しくない人に説明しますと、債券は国債などを買って基本的には安定的ローリスクに利回りを目指すのに対し、債権は銀行などが有している焦げ付いた債権を買って、うまく料理すればたくさん儲かるかもしれないと、どちらかといえば仕入れを安くしたいローリスク・ハイリターンを狙う儲け方です。



いい債権を安く仕入れる、非常に難しいことです。なかなかないので決裁枠も使いきれず困っていました。たとえば銀行の不良債権をバルク買いしたところで、銀行はうまみがありそうな不良債権はグループ内のサービサーなどへ優先的に移管するわけで、うまみは期待できず、つまりはリサイクルショップを店ごと買って中にもしかしたらへそくりがみつかるかも、のような非効率な福袋は期待できないという経験則。儲け話などそうは簡単にないわけです、なので仕込むところもありますが。



当時は私もよく動いていろいろな案件と出会いました。簿価5000億円の債権が安く手に入りそうなチャンスがあったので、公認会計士、弁護士連れてデューデリ、略してDDと言う、つまりはラビットのお兄さんのように査定しに行けば、けっこう広大なワンフロア一面に財務資料。当然に見きれる量ではないので、ヒアリング頼り。これを「ガラクタ積んだダンプカーだ」と形容させて頂き価格交渉。時価は簿価の何千分の一で特価にしてほしく、どころか価値があるかどうか、だと思いました。回収するコストを考えると、バリューはマクドナルドのセットよりないに等しいと思いました。



とはいえ儲けるチャンス、かもしれない。ということでタイミングを見計らっていると、とある情報筋から「面子にかけて潰されるから、止めておきなさい」と電鉄創業家の人間性がすばらしい人から助言をもらい素直に従うことに。あとあとその通りに。報道もされるようなことでしたので大きく名を汚す寸前でした。やはり情報は重要であり、素直さは大事です。



そういえば、日本のLTCMと言ったら言い過ぎですが、広告代理店を退職した人が中心となって、某省次官クラスから石油会社へ天下り社長もし、エレキな感じのM菱系社長経験者、新幹線を外国に売っているような方などと会社を丸の内で立ち上げ、豪華な冊子まで作っていましたが、一年持ちませんでした。難しいものです。



梅。
にしてもこれだけの役職歴任者、つまり力があれば「おい」「おまえ」「きみ」と言えばいくらでもコンサル料なり、マージンなり入る仕組みなど作れそうなものですが「お金をくれ」と言えないのかもしれない安達祐実(さん)。



失敗学という本もあり、これらも読むと面白いものです。うまく行ったケースだけでなく、うまく行かなかったケースからも学ぶことがたくさんあり、かつ対比するとより大切な要素があぶり出てくるのかもしれません。



あ、そうだ多数決原理とビジネスとの関係性において、一つ補足が必要です。



プロセスの中でも、マーケティングを行う際は、多数決原理が大切になるときがあります。これを「徹底してデータに基づいて判断しなさい」という人もいます。



ところで、マーケティングとはなんでしょうか。



ビジネスモデルが儲かる仕組みで、マーケティングが売れる仕組み、とビジネス本で訳され、いい訳だなと思っていたら、今では大学でもそのように説明されているようです。



経営学部の学生に「どんな勉強したの?」や「コトラーはどうなの?」と聞いてみても「名前は聞いたことあります」と言う学生もいれば、「コトラー?聞いたことありません」と言う人まで。



最大限に優しく言うと、実際に社会へ出て実感しないとマーケティングというものを学ぶのは、どこか雲を掴むような話のところもあるのやもしれません。言葉の一般性の割には、「戦略」と並んで社会に出てからも正確に理解できない人も多くいる言葉であり分野だと思います。ちなみに私は一般的に子供が理解しづらい学問の最たる一つとして地政学があると思っていますが、地政学に精通した高校生に会った時はびっくりしたものです。そういう子に育ってほしい。




マーケティングというものは、手法などが注目されがちですが、その存在意義を考えるに、行きつく先は組織論だと思います。いや財務論でしょ、と言った後進もいましたが、それは違うでしょ、と思いました。



法律を学んだ人間が何をと思いつつ、マーケティングとはなにか、マーケティングがなぜ必要なのか、という順番で考えると、



マーケティングというと、マーケティング活動の一つたるリサーチや広告を想像する人も多くいるかと思いますが、このマーケティングというものは学者ごとに定義も異なり、それとは別にマーケティング協会ごとに定義もありで、あるいはマーケティングの目的は「究極的にはセールスを無くすこと」と言われ、分かりにくさに拍車をかけているのだと思います。




定義を見てみると、コトラーさんは「マーケティングとは,価値を創造し,提供し,他の人々と交換することを通じて,個人や組織が必要(ニーズ)とし欲求(ウォンツ)を満たすことを意図する社会的,経営的活動である。」と言い、

アメリカマーケティング協会は「顧客、依頼人、パートナー、社会全体にとって価値のある提供物を創造・伝達・配達・交換するための活動であり、一連の制度、そしてプロセスである。」と定義し、

日本マーケティング協会では「マーケティングとは、企業および他の組織がグローバルな視野に立ち、顧客との相互理解を得ながら、公正な競争を通じて行う市場創造のための総合的活動である。」と定義しています。

世界的権威に盾突くのも恐れ多いですが、コトラーさんのは「企業とは」での説明でもしっくりきそうな定義であり、であればなんか違和感があり、日本マーケティング協会へは「では、ローカライズは不要なのですね」と反論もしたいろことですが、


さっぱり分かりません。いずれにしても広範な範囲に及びそうです。




マーケティングとは「セールスを除くすべての活動」、という定義とはいえないような定義が一番シンプルで多くの場合分かりやすいかなと思います。






とくに各論はそれぞれ実務的な難しさや大人の世界があるのだと思いますが、総論の概要は実は難しくないと思います。



セールスとは売ることであるわけですが、わざわざ売らなくとも「売れていってしまう」、客が手にしていく状況を作る行動がマーケティングなところ、つまり客が認知をする広告や、客が欲しがるような商品を作ることであったり、そのリサーチ活動であったり、客の声を知るアンケートであったり、これらの活動がすべて一本の線で繋がって、わざわざ売らなくとも、客が手にしていく状況を作っていくすべての行為・活動がマーケティングとなる、のだと思います。



マーケティングを実施していく難しさはいくつかあると思いますが、たとえば自動車業界の日産が言っているのはゴーン氏が就任する前まではマーケティング、つまり顧客志向が足りなく反省しているところ、しかしマーケティングに力点を置いても、今の顧客志向と未来の顧客志向は異なるので、ここが難しいところです、と広報あたりが述べています。




あるいは顕在化していないマーケット、つまり未来の顧客もまだ漠然としかどういうものが欲しいのか分からない、もしくは顧客すらも気づいていない、こういうものはデータではなかなか計れないわけです。




そういうところまで行くと、実現していく真の難しさがあるのだと思いますが、マーケティングはセールスなくして「その物を自分が買った経験」を商品企画から販売に至るまで一つひとつを紐解いていくと理解しやすいと思います。私の場合は最近で言えばキヤノンです。キヤノンはマーケティングがうまいと言われ、いや近年はソニーにセンサー(と画像エンジンもかなと思いますが)で大きく差をつけられているので、揶揄もあるわけですが、しかし顧客フォローまで含めて、やはりマーケティングがうまい会社だと実感しています。白いレンズを用意したのもその一つと言ってよいでしょう。



キヤノンの一番驚くべきところは、ある意味で対応が大手ではないところです。「大変ご不便をおかけ致しまして」がスタートです。電話もメール対応も。言葉一つひとつがまるでサービスのよい中小企業だと感じます。マーケティングのアプローチが、「対応しきれないからざっくり見切る」というほかの大手と逆に感じました。半官半民系はもちろん、財閥系では考えられない対応の良さです。さすが私が隠し子と噂されるだけの会社です、関係ないですが。いろいろ問い合わせた中では、NECが一番やるゼロかなと思います、電話をいかに繋げないかなシステムでプッシュボタンを押していったとき最後に「WEBサイトをご覧ください」、の違う動線で試してみても、同じ結果のプロフィット。にはびっくりしました。財務的に余裕がないのでしょう。





マーケティングとは相手の立場になってみる、ということでもありつつ、その相手が不特定多数化してくることと、ついつい人間は自分本位になりがちな側面があり、ここにまたマーケティングの存在意義みたいなものが一つある中で、見方を変えながら、次の話に進むと、再度孫氏にご登場願うとして、孫正義さんはマーケティングを勉強したのでしょうか、本は読んだことぐらいはありそうですが、MBAに行ってまでも勉強していないはずです。




孫氏はマーケティングを勉強していない、と言っても過言でないはずです。しかし商売の天才なわけです。



では、マーケティングの存在意義はなんなのでしょうか、とも思うわけです。



答えはカミングスーンでまたいずれ。


ドライブへ行こう、するべ。

Posted at 2016/01/08 00:23:21 | コメント(3) | トラックバック(0) | いつもの公園 | 日記

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「@u-pom さま おはよーございます! 美味しかったです😆 はまってます😋🍴💕❗❗😆」
何シテル?   09/13 10:22
ドライブへ行こうです。 子供と出かけた全記録です。 よろしくお願い申し上げます。
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