
マツダは「ル・マン24時間レース」にすべてを注力したメーカーです。
1979年。
ル・マン参戦を開始。
初代RX-7(SA22C)をシルエットフォーミュラ仕様にし、輸出用2ローター「13B」を搭載。
これが「マツダ 252i」。
「ロータリーエンジンは燃費がものすごく悪い」という市場の最低の評価を覆すための参戦でした。
しかし、予選を通過できず。
次の挑戦は1981年。
13Bを搭載した初代RX-7(SA22C)をIMSA-GTOクラス(グループ4相当)で参戦。
これが「マツダRX-7 253」。
2台出走もリタイヤ。
1982年。
グループCが始まりました。
IMSA GTXクラス(グループ5相当)に「マツダRX-7 254」を2台エントリー。
13Bは300psにチューニングされていました。
1台はリタイヤ。1台は1時間半以上の修理を受けつつも14位間完走。
マツダはようやく完走できました。
1983年。
グループCの下に「グループCジュニア」が新設。
最低車両重量700kg/燃料タンク容量55L(グループC:最低車両重量800kg/燃料タンク容量100L)
その他の規定はグループCと同じ。参戦コストを下げるのが狙いでした。
マツダは、「グループCジュニアクラス」の「マツダ717C」を開発しました。
エンジンは13B。
しかし、車重は200kg軽くなって空気抵抗を減らしたボディで戦闘力はアップ。
「ル・マン24時間レース」では12位と18位で完走。
1984年
「グループCジュニア」の名称が「グループC2」に変更。
マツダはリヤスパッツを無くし、ダウンフォースを増やすボディとなった「マツダ727C」。
タイヤ交換時にリヤスパッツを外す手間を無くしたかったんですね。
ル・マンには2台エントリー。
さらに「BFグッドリッチチーム」が13Bを高く評価。
「ローラT616シャシ」に13Bを搭載した「ローラT616・マツダ」がエントリーしました。
結果は「ローラT616・マツダ」が10位完走。「グループC2」優勝。
「マツダ727C」はトラブル発生で15位と20位。
マツダはトラブル発生を抑えきれず、「BFグッドリッチチーム」のほうがチーム力がありました。
1985年。
「マツダ737C」は、直進安定性を高める狙いでホイールベースを80mm延長。
オイルクーラーをフロントへ移動。
さらに軽量化が図られました。
ル・マンではトラブル発生により19位と24位。
2ローター「13B」での挑戦はこの年で終わり。
1986年。
「グループC2」に「グループC1」のエンジンでのエントリーが増えて、「13B」では敵わなくなりました。
そこで「IMSA-GTP」にクラス変更(燃料タンク容量120L/ツインターボ禁止)
マツダ717C~マツダ737Cの2ローター13Bから3ローターの「20B」へ変更です。
これが「マツダ757」。
ル・マンはトラブル発生により2台ともリタイヤ。
1987年。
マツダは「マツダ757」を熟成することにしました。
1986年の無残なリタイヤを踏まえて、トラブル対策を徹底的に行いました。
結果、7位完走。
この年はガソリンの品詞が粗悪でターボ車(ポルシェ・日産・ザウバー)に次々とトラブル発生。
20Bは全く問題なしでした。
1988年。
4ローター「13J」を搭載。
「マツダ757」よりダウンフォースの量を増やすためにノーズが100mm長くなりました。
リヤウイングは独立式に変更。
これが「マツダ767」。
ル・マンには「マツダ767」2台と「マツダ757」1台が参加。
「マツダ767」はトラブルが発生してリタイヤ。
「マツダ757」は15位完走。
1989年。
「マツダ767」熟成のため、IMSA開幕戦デイトナ24時間レースに参戦。
5位に入賞しました。
マツダはずっとIMSA-GTPクラスなのに、IMSAに参戦したのはこれが初めてでした。
ル・マンは「マツダ767B」3台でエントリー。
7位、9位、12位完走。
1990年。
「マツダ787」が登場。
4ローター「R26B」を搭載。
IMSA-GTPクラス。
カーボンモノコックを初採用(従来はアルミモノコック)。
最高速重視のため車幅が狭いんです。
ル・マンは「マツダ787」2台、「マツダ767B」1台でエントリー。
この年からユーノディエールは6km直線ではなく、シケインが2つ設置されました。
「マツダ787」が最高速狙いの車造りだったのでタイムが出ず。
さらに決勝は「マツダ787」は2台ともリタイヤ。
「マツダ767B」は20位。
惨敗でした。
1991年。
コーナリング重視に変更となりました。
トレッドの拡張・18インチタイヤ採用・リヤカウル変更・カーボンディスクブレーキ採用等
車名は「787B」。
グループC・カテゴリー2規定になりました。
「787B」はマツダ初のグループCカー。
ル・マンは1991年から3500ccNAで新グループCで開催が目論まれていました。
ただ、どのメーカーもマシンが間に合わなかったんです。
そこで、1991年だけ「カテゴリー2」という従来のグループCの出走が認められました。
つまり、「マツダ787B」もラストチャンスがもらえたということ。
レース前は、メルセデスVSジャガーというヨミ。
レースもこの2台がガチンコ。
しかし、「マツダ787B」が順調なペースで走るので、メルセデスとジャガーはペースアップ。
これでジャガーは燃費が厳しくなり、メルセデスはトラブルを誘発。
21時間経過したところで「マツダ787B」が1位に!
そして優勝。
ロータリーエンジンを信じて、速くて壊れないように熟成したマツダの技術力が素晴らしいです。
マツダはロータリーエンジンの市販車をもう一度復活してみては?