
みんカラの皆様今晩は、今日は我が家にとって特別な日なんです。
実は今日はウチのウサギ「ぐーちゃん」の命日なんです。
2年前の今日、11月25日にお月様へ帰りました。思い出すのは元気一杯で庭を飛び跳ねていた
頃の事です。
まだ子供達が小さかった時です・・娘が言いました「父ちゃん!ウサギさん飼ってもいい?」
私「ウサギ?世話できるのか?ウサギは弱い動物だから大変だぞ」
娘「絶対にお世話するから!最後まで責任持つからっ!途中で投げ出さないからっ!お願い・・」
私「ウサギは可愛いけど、病気になりやすいからお前達には無理だ!」
娘「父ちゃん!お願い!絶対に!絶対に!大丈夫だから!」
嫁「あなた、こう言ってるんだし・・ちゃんと面倒見るって・・お兄ちゃんも居るんだから・・ネ・・」
息子「え~兄ちゃんは知らんぞ~ウサギ飼ったこと無いし~」(興味はあるんです♪ちゃんと世話してくれました)
娘「お願い!」(もう半泣きでした・・)必死で懇願する娘に言い聞かせました、出来れば諦めてもらいたいとの思いを伝えるために・・
私「いいか!生き物は元気な時はいいが、必ず死んでしまう!そうなった時はとても悲しいぞ!」

娘「絶対に!絶対!」 娘の必死さに負けました。娘が小学校4年生?・・位の夏です。
娘の上級生の家に4匹の子ウサギが生まれたと言うのです。そのうちの1匹を貰うという話が子供達の間で出来上がっていたみたいです。
夏休みもいよいよ終盤の8月29日に我が家へやって来ました♪
娘「父ちゃん・・この子「ぐーちゃん」っていう名前なの」その小さな小さなウサギさんは私達を見上げていました。
私「ぐーちゃんか!かわいいね!ちゃんと今日からお世話するんだぞ!生半可な事するなよ!」
娘「うん!わかった!」この時の娘のキラキラして澄んだ瞳が思い出されます。
ぐーちゃんは我が家の一員です!その日からです、残暑が厳しいので、扇風機をかけ、涼しいようにと石板をケージに入れました。
ぐーちゃんは、母屋の隣の納屋の圃場運搬車の荷台にケージを載せ、そこがぐーちゃんの家になりました。ケージはダッチ種(パンダウサギ)という事もあり、中型種ですから、犬用のケージを選択、家は木製で私の手作りです。
娘は夜・・「ぐーちゃん」が気になるようで、何度も納屋へ足を運びます。
それならと、カメラとモニターを取り付けて、家の中から何時でも納屋の様子が分かる様にしました。
月日は流れ・・・・・子供達も息子は高校生・・娘は中学生です・・ぐーちゃんも大きくなりました。
秋の収穫を迎えようとした頃です、ぐーちゃんがゴハンを食べなくなりました。
娘も受験を控えてます、いつしか ぐーちゃんのお世話は私がメインでするようになりました。
ぐーちゃんの飼育に最初は否定的だった私ですが、懐いて鼻を鳴らして甘えてくる小動物が好きで好きで堪らなくなりました!(^^)!
私「ぐーちゃんの様子が変だ!多分、腸が働いてないんだ!病院行くぞ!」腸閉塞が疑われます。
娘「私も行く!父さん・・ぐーちゃんを連れてくるから!クルマの用意して!」
中学生です!しっかりして来ました。
半泣きで、懇願した娘はもう此処には居ません!「よし!連れて来い!行くぞ!急げ!」
いつも診察して下さるDrの病院まで、ラクティスで15分位掛かります・・
Drに状況を話します、ゴハンを食べない事、じっとしている時間が多い事、便の量が少ない事・・
取りあえず点滴を打ちます、ウサギさんは背中に輸液するんですね、背中がプックリと膨れてきます。
後は、強制給餌です(強制的に餌を摂取させる事)ペレットをお湯でふやかして給餌の注射器に入れます(針は付いてません)これを口を開けさせて流し込むんです。する方も辛いです!
でも、もっと辛いのは「ぐーちゃん」なんです(T_T) 心を鬼にして、給餌させます。こうする事で、腸が動けば、排便もしますし、元気にもなります。理屈は理解できるんですが、現実はとても辛いです。
病院通いも何日も続きました、その都度3000円~5000円が出て行きます。経済的にも家計に重く圧し掛かります。
でも、助ける!助けたい!の気持ちでした。家族が一体となって我が家の小さい命を守ります!
時は、平成24年11月も半ばを過ぎて寒さを覚えるようになりました。
会社から帰るとすぐさま ぐーちゃんを見舞い、移動用ケージに移し病院へ・・時には嫁の出動もありました。
息子も娘と協力して病院へ行ってる間、家事を手伝ってくれます。みんなの願いはただ一つ!
ぐーちゃんしっかり!元気になって!これが合言葉になりました☆
11月25日の朝・・寒い朝でした・・忘れもしません、私は胸騒ぎを覚えて納屋に行きました。
丁度休日でした。納屋の断熱カーテンを開けます、「ぐーちゃんおはようー」
そこには、力無く横たわるぐーちゃんの姿がありました。かつての愛くるしい瞳には力が有りません。
急いで、嫁と子供達を呼びに母屋へ走ります・・もうぐーちゃんには、残り時間がありません!
私「起きろっ!ぐーちゃんが危ない!多分・・最期かもしれない!すぐに来い!」
私は母屋を飛び出します。納屋へ!さっきまで寝ていた娘が駆け込んできました。
娘「父さん!ぐーちゃんは!ぐーちゃんはっ?」続いて嫁と息子も来ました。
誰の目にも、もう最期が近づいている事は解ります。私「〇〇(娘の名)タオルで包んで抱いてやれ!名前を呼んでやれ!」
娘は無言でぐーちゃんをタオルで包み抱きかかえました。一言・・・「ぐーちゃん!」「頑張れ!」
その時です、ぐーちゃんが暴れました。落とさないように、運搬車の荷台、ぐーちゃんの運動場に
下ろします。
大きく痙攣をしました。そして静かに息を引き取りました。時計は午前10:45分を指していました。
何度「ぐーちゃん」の名を連呼したでしょうか・・彼は答えてはくれませんでした。
冬も迫った寒い朝でした・・凛とした空気に包まれ、「ぐーちゃん」は空に昇って行きました・・・
我が家に来て6年間、子供達と一緒に大きく成長して来ました。春の桜の下で遊び、夏の夕暮れに庭に穴を掘り、秋に納屋を使うので、玄関に引越し、冬に抱っこして暖めて・・
私が、ラクティスを買ったのも、ぐーちゃんが居たからなんです・・ホントは100系のラクティスが欲しかったんです・・フォルムがウサギさんみたいで可愛いでしょ?
その後、ぐーちゃんを棺に入れて、かつて葉タバコの乾燥庫のあった場所(うちの土地なんです、葉タバコを栽培してました、今は更地で、果樹を数本植えてます。)にぐーちゃんの亡骸を埋葬しました。
後に小さい石板(かつてぐーちゃんが涼を取る為に伏せていた)に名前を彫りました、「ぐーちゃんここに眠る 享年6歳 平成24年11月25日 没」
今日は命日です。娘が夕方帰宅するのを待って、家から少し離れた場所にあるぐーちゃんの墓参
です。
最後まで、このブログを読んで頂きました方・・ありがとうございました。