先の2つの条件を普通にクリアするのは欧州車のミニバン(MPV)?と言うことになります。日本車が2つの条件の両立に重きを置いてくれそうにないのが残念ですが、それを決定づけそうなのが3つ目の条件、飽きないデザインとメンテし易さ、です。
というのも、現代のクルマ、特に日本車の多くはハイテクによる利便性の向上を大前提としており、それは「ユーザーが自身の手で整備しながら長持ちさせるクルマ」とは対極にある価値観がベースになっていると感じるからです。なるべく短期サイクルで買い替えさせるという大量生産時代の価値観?私自身もクルマやカメラを喜んで買い替えて来たことの反省もありますが、それはさておき。笑
飽きないデザインとメンテし易さというのは、製品のライフサイクル・コストパフォーマンスという意味ではセットで考える必要がありますね。シアワセの減価償却期間が長いクルマ。笑
「ユーザーの手で」というのは身近な専門ショップの手ででも構いません。大きな点検整備などは特に。
要は、ユーザー自身がクルマの不調や劣化に気を配りながら、日々無理なく気持ちよく使えるとか、使いやすいように手を入れ易いとか、飽きずに眺めたくなるとか、そういうことをよく考えて設計されているか否か、です。
デザインは一義的には外形フォルムに現れますが、企画設計者の想いが根っこにある限り、製品のライフサイクル全体に目が届いていたはず。バイワイヤなど新たな技術を取り入れても、資源エネルギーを無駄遣いせずに長持ちさせるという価値観さえ共有されていれば。
今回の条件の説明がモドカシイのは、製品カタログで説明できることだけではなく、その時代の社会や産業を支配する価値観と不可分だからですね。
クルマという製品で考えると、例えばライトの電球は自分で簡単に交換できるか。
ディスカバリーのようなクルマでさえ、エンジンルームが詰まり過ぎで指が入らなかったのにはがっかりしました。
例えば同じクルマの大きさがモデルチェンジの度に変わるのは何の為なのか。人間の体も道路や駐車スペースも、その大きさが大きく変わっていないにもかかわらず、です。
絶対的に大きなディスカバリーは、(ドアの重さとエンジンルーム以外は)どこにも無理が掛かっていない自然さに使う度に感心させられました。大きい割りにハンドルがよく切れるとか。この目的で長く使うクルマのサイズはこうあるべきという設計者の思想がそこにあるように感じました。
つまり、歴史に残る名車のサイズやデザインには、それぞれに理由や思想がある。
ディスカバリー、ムルティプラ、デカングー、いずれも日本車に見慣れた眼には不恰好(笑)、いや不思議なディメンション(縦横高比)ですが、使うほどに使いやすさに気づくから飽きが来ないんじゃないかな?
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カングー | 日記
Posted at
2016/12/29 16:35:58