
先日偶然見つけた玖老勢にあった珍しい
並列鳥居の津島神社の話題、続編です。
社殿の奥、左右に摂社?末社?があることに気が付かず、写真を撮り損ねてきました。
2週連続で四谷の千枚田を通るルートを選択したので、写真撮影がてらもう一度訪ねてきました。
訪れるにあたっては少し周囲を調べてみようと、玖老勢について探ってみたところ、少し面白いものを見つけました。

これはGoogle MAPの玖老勢の地図。
上の方に赤丸で囲っているのが津島神社です。
下の方、何もない所に矢印で指した赤丸で囲っている場所があります。

なんとここに神社があるのですよ!
この場所の地図をもう少しズームして図示すると...

赤丸で囲った場所が写真の場所です。
神社のマークが無いのにここに神社がある...謎ですよね~
祠に近寄ってみると

なにやら文字が刻まれています。

さらに近寄って📷
ん?

真ん中に「津嶋神社」
右に「牛頭天王」(ちょっと分かりにくいか)
左に「御賽前」
このように刻まれています😨
え!津嶋神社?牛頭天王を祀ってるなら間違いないですね。
詳しくは判りませんが、並列鳥居について地元の方に聞いた話の中にあった神社合祀した際の海老川の南にあった津島神社がこの場所の神社の可能性があります。
ちなみにGoogle ストリートビューでは
ここ。
しかし何で合祀したのに祠が残してあるのだろう...脇に灯篭も残してあるし🤔
謎ですよね。
なんとなく予想したのは、中世・近世を通じて「津島牛頭天王社」(津島天王社)と称し、牛頭天王を祭神としていた津島神社は、明治になって政府の指示で神仏分離の影響を受け、主祭神を建速須佐之男命に変更させられています。
神社合祀したのは神仏分離と同じタイミングで主祭神が須佐之男命になるのなら、本来の牛頭天王はここにこっそり残してしまったのではなかろうかという仮説。私の想像なので定かではありません😅

昭和初期の地図はこちら。
ここでも今ある津島神社の場所には鳥居のマークがありますが、牛頭天王のみの方は何も印がありませんね。
というか、ここのすぐ東は田口鉄道の駅だったのか😨
謎は謎のまま、津島神社に向かいます。

今週はもう社殿脇の桜は散っていました。
この写真を撮影したポイントの左右には常夜灯があります。

これですね。
お!社紋が刻まれている。

木瓜(もっこう)の紋ですね。

これ。
津島神社と言えば織田氏の氏神としていた神社で織田氏の家紋の木瓜紋は津島神社と同じ、という話を聞いたことがあります。
ただこれ、現在の
本家の津島神社は...

木瓜じゃない!

織田瓜になってしまっています。
各地の津島神社は木瓜かな。

さて、前回見過ごしていた社殿左側のお稲荷さん。

狐からも稲荷であることは明白です。

灯篭にも稲荷大明神と刻まれています。

中には狐の像が置かれていました。

お稲荷様の敷地の手前には「教育勅語~」と刻まれた石が。

さてこちらは社殿の右側。
ここには何が祀られているのだろう?

ん?

牛頭天王と刻まれて...え?
あ~なるほど、こちらの津島神社は合祀された時に祭神を須佐之男命にされたので、摂社?末社?として牛頭天王を祀ったのね。

あっちの牛頭天王はそのまま残した、という考えの可能性が高くなったかも。
前回しっかりと写真を撮っておけば、二度手間にならなくて済んだのに...やはり訪れた際にはしっかりと見ておかないと駄目ですね😅
でも前回で終わらせていたのでは、牛頭天王だけの神社には気が付かなかったか🤔

敷地内にはその昔の津島神社で使われていた瓦と石碑がありました。
瓦の紋は木瓜ですね。
石碑は読んでみましたが、明治になって書かれたものらしく、合祀された話は記載されていませんでした。

とりあえず一通り見て回ったので、ここの探索はひとまず完了です。

石段の上から見る海老川。
合祀の話とか、どこかにはきちんと記録として残されているのかな...
そそ、地図を見ていて玖老勢にはもう一つ面白い神社があったので、そこにも寄ってきました。
その話はまた今度。
Posted at 2022/04/13 00:27:05 | |
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