
こちら浜松市にある運動公園で、名称は「浜北明神池(はまきたみょうじんいけ)運動公園」町村合併にて浜松市と一緒になった旧浜北市(浜北区)にある運動公園です。
野球場とテニス場があります。

冒頭写真は逆光でわかりにくいので
Googleストリートビューから。

「浜北」と頭に付けるのが正式なのかな。
さて、こちら。以前から「なんで?」と思っている不思議な事があります。
それは名前にある「明神池」の由来。
施設内には明神池なる池が存在しません。

こちらが地図。
一番南側に三角の池っぽいものがありますが、これは運動公園を建てた時に一緒に作られた調整池です。

これです。

反対側から。
調整池の周りを歩いても「調整池」と書かれた看板は見ますが「明神池」とはどこにも書かれていません。
明神池運動公園は平成元年(1989年)12月に完成し、ここの住所は浜北区宮口(みやくち)391番地の5なので「宮口運動公園」の方が相応しい名前です。
あるいはこの近辺はその昔「麁玉(あらたま)村」と呼ばれた地域で、近くには「麁玉中学校」や「麁玉小学校」があるので「麁玉運動公園」とした方が、浜松市民には分かりやすい名前です。
そもそも地名としても明神はないし、明神池は影も形もありません。
なのに「明神池運動公園」🤔

これは上空からの写真。
検索すると「地元の人に聞いた話で、明神池に運動公園を作ったのでこの名前」という話を見つけましたが、それってちょっと信じられない話です。

これは明治時代の地図と現在の上空写真を並べた画像。
赤丸部分が野球場を示しますが、地図の方には池は無いですよね。
赤丸の下の方にひょろ長い池のようなものがあるのでは?

この池は夜水沢池と言って現在もしっかりと存在しています。
ちなみに右の方にある池は「蛭沢(ひるさわ)池」
運動公園のある場所にはその昔から池なんて存在しないのです。
明治時代に無いのなら、その後に「明神池」が出来たんじゃないの?

左が明治、右が大正5年頃。池は無いですよね。

左が明治、右が昭和13年頃。池は無いです。
線路が通りましたね。これは二俣(ふたまた)西線。
現在の天竜浜名湖鉄道の国鉄初期の路線名称です。
掛川・二俣間を東線、二俣・新所原間を西線と呼んでいました。

左が明治、右が昭和31年頃。池は無いです。

左が明治、右が昭和50年頃。池は無いです。

左が明治、右が平成元年頃。野球場と現在の調整池があります。
二俣線が天竜浜名湖鉄道に代わりました。
ということで「明神池」なる池っぽいものも途中に無さそうです。
いったい何故「明神池」を名乗るのか...謎です。
Posted at 2023/01/28 22:54:10 | |
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