
地図を見ることが趣味の一つであることを先日紹介しましたが、今日はそんな地図にまつわる話題です。
冒頭写真の空撮、ここは浜松市の一角です。
赤く囲った場所ですが、なんだかおかしな形をしていると思いませんか?
ここはGoogleMAPでいうところの「
〒431-2102 静岡県浜松市北区都田町7829」近辺のエリアになります。
赤く囲った枠も左斜め上に円弧を書くようにその先にもおかしな形が続きます。
ヒントは、この赤く囲った右下にある信号機付き交差点「都田口」、この交差点を上下に伸びる道路は通称「モクレン通り」と呼ばれ、初生町の辺りから三方原、この都田口から先の都田テクノランドの入り口まで木蓮の木がずらっと並んだ道になっています。この道の別の呼び方にその名残があります。
おそらく浜松に住んでいる人でも一定年齢以上の人しかこの呼び方で呼ばないとは思いますが別名「電車道」と呼ばれています。
この道は「
遠州鉄道奥山線」の廃線跡になります。
遠州鉄道奥山線は、開業1914年~廃止1964年まで遠鉄浜松駅を基点に終点の奥山までを繋いだ軽便鉄道です。
大正に入ってすぐは金指まで、その後大正12年(1923年)に奥山の方広寺付近まで全線が開通しました。
実は自分も都田口までは真っ直ぐ浜松市内から北上する電車道が軽便鉄道跡であるということを知っていましたが、都田口の駅からその先、金指から奥山までの路線はどこを通っていたのか全く知りませんでした。
そこで最初の空撮図の赤く囲った場所の話に戻ります。
ここはロードバイクで走る際に幹線道路の抜け道として走っていたのですが、明らかに周囲の道の曲率と違う円弧を描いた道でした。「変な道?」としてずっと認識していたのですが、古い地図を見てこの場所が都田口から先、金指までの軽便鉄道跡であることを知りました。

右が地理院の最新写真、左は1916~1918年の地理院地図になります。
画像を選択すると等倍サイズの画像が表示されます。
これで見ると、おかしな形の場所に鉄道が通っていたことがわかります。

こちらが1916~1918年の都田口から金指までの地図

こちらは現在のYahoo!地図
金指方面から浜松市街に向かう際、通常は国道257号の祝田の坂を上って根洗の交差点を通るのですが、この坂が結構な急坂です。
EVでこの道を通る際は、急坂を回避するために、国道257号の祝田の坂を降りきったエネオスのある交差点から桜ヶ丘団地の縁を通って中部電力の遠江(とおとうみ)変電所の脇を抜けて都田口に向かうのですが、この道はそのまま軽便鉄道が走っていた道であるということを知って衝撃を受けました。
中部電力遠江変電所は、その昔の「たに」という駅の跡になります。
神宮寺谷と呼ばれた場所は現在の桜ヶ丘団地です。
なるほど、全国で廃線跡が勾配が比較的ゆるやかであることからサイクリングロードに変わることがありますが、勾配がゆるやかなので燃費がよいと選んで走っていた道が鉄道跡だったということかぁ~!納得。
ちなみに現在の天竜浜名湖鉄道(旧国鉄二俣線)は1916~1918年の地図では影も形もありません。

二俣線が登場するのは1938~1950年の地図になってからです。
それもそのはず、二俣線は軍事上の要請から、浜名湖付近で海岸線を通る東海道本線が攻撃により不通になった際のバイパスとするために昭和になってから着工された線路になりますので、比較的若い鉄道線路なのでした。
地理院所蔵の空中図としては1965年のものが残っています。
遠州鉄道奥山線は1964年廃止ですので、廃止から約1年後の写真になります。
実際には米軍が1940年代に撮影した空中図もありますが、少し解像度が荒いので、線路であることがなんとなくわかる写真になっています。

これが1965年、右下が都田口。まだ鉄道跡がはっきりと追えますね。

これは1975年、都田口から左斜め上はすでに木に覆われています。

これは1980年、さらに木に覆われていますが、中部電力の遠江変電所が開設され現在の道路がこの時に出来上がっています。

これが現在、木で覆われた場所が伐採されて「おかしな形」と紹介した場所がむき出しになっています。
どうです?古い地図を見る楽しみが少しは判っていただけました?w
ブログのネタになりそうですので、折を見てこんな話を紹介していければと考えています。
Posted at 2019/06/09 04:59:25 | |
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