2022年04月17日
落語と文化
昨夜は近所で寄席があって行って来て、久しぶりに涙を流しながら、笑ってきた。これは不思議な現象だと思った。普段は落語を聞いたりしていても、それほど笑ったりしない方なのだが、会場で大勢の人が一斉に笑うと、自分も笑ってしまうのだ。試しに家に帰ってから、Youtubeで落語を見てみたが、内容的にはさほど変わらないと思うのだが、一人で聞いていても声を出して笑ったり、涙が出るほどということはない。これは、明らかに周りの人たちの影響を受けているのだ。
こういうのを群集心理とでもいうのだろうか。エンタテイメントに於いては、多くの観衆が居るところで、演じるのが一番だ。いくらライブでも観客が自分一人だったら決して笑えないだろうと思う。昔のテレビで「ザ・ルーシー・ショー」というのがあって、面白いところには効果音として笑いの音を入れていた。あれは笑いを誘う為のものだった。今でも番組の収録などでは、会場で強制的に笑いを起こさせたりするらしい。それは人数が少ないので、笑い声が足りないからだろう。大勢の人が居れば、自然と笑いは笑いを呼び、会場は和むのだ。
落語はそういう文化なのだ。笑いに行く楽しみなのだと改めて思った。そして落語家の素養に改めて感心した。私には無いOutput力があるのだ。大衆というのは、扇動されやすいものだ。だから、ロシアに住むテレビしか見ない人はウクライナ侵攻は、正義だと信じている。さまざまな情報から何が真実で、何が間違っているのかを見極めて、正義はどこにあるのか判断しなければならない。戦争は大体、勝った国が正義となる。敗戦国の日本は、アメリカにかなり残虐なことをされたのだが、文句を言えなかったのだ。もちろん、日本の戦争を起こした側であったので悪いのだが、終戦直前の攻撃は一般人を大量に殺戮したことは変わりないのだ。
扇動されるということは、その環境下に置かれると、考え方がその方向にしか考えられないということになってしまうということだ。これは様々な宗教や独裁国家で起こっていることだ。
落語を大いに楽しむには、寄席に行って大勢の中で、一緒に笑うのがいい。ライブコンサートも周りに居る人たちの影響を受ける。演劇もそうだ。ライブの力は聴衆の力によって、演者の力にもなっているだろう。コロナ禍で隔離されている上海の人たちには、自殺者が増えているという。人間は集団的な生き物なのだ。ひとりでは生きられないし、お互いに影響しあうことで成長していくのだ。
昨夜はそういうことを考えながら、Youtubeで落語を聞きながら眠りについた。
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Posted at
2022/04/17 09:12:55
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