2022年04月04日
若い頃は、自分は死なないと思っている人が多いらしい。私もそういう時期があったが、最近になってようやく、やがて死ぬんだということを自覚してきた。
きのう、親戚の人の訃報があって、今日がお通夜だというので、列席するつもりでいる。私よりも随分と年上だと思うので、何か持病があったかもしれないが、寿命が来たと思った方が良いだろう。
人生100年時代と言われるようになったが、健康寿命が100歳であれば良いのだが、病気で苦しんで生き永らえるのは、かなり辛いものがあると思っている。回復する見込みがないのであれば、痛みを緩和し延命治療はしないという方が良いと思っている。
延命治療をするのでも、保険適応があったりするので、ある意味税金の無駄遣いになってしまう。私は自然に任せるのが良いという考えなので、延命治療はしないと宣言している。ただ、他人に対しては、その人の自由意志なので、とやかくは言えない。たとえそれが肉親であろうと、本人の意思が尊重されるので、苦しそうと思っても手を出すわけにはいかない。
倫理というものがあって、法律もそれに従ってある。それでも、戦争で人を殺しても犯罪にならないのは、おかしなことだ。
最近、寝るときにAudibleで朗読を聴きながら寝るのが習慣になってきているのだが、昨夜は逢坂冬馬著の「同志少女よ、敵を撃て」を聴きながら寝ていた。そうしたら、戦争に巻き込まれて、敵の銃砲がこちらに向けられ、建物を破壊されるという夢を見たのだ。死にはしなかったが、死んでゆく人の無残な姿が目に入って目が覚めた。
こういうのは、寿命ではなく殺戮である。残酷な時代は終わったと思っていたら、21世紀になっても続いているというのは、なんとも人類は愚かなのかと思う。
大事な命を戦争で失うことがどれだけ価値を失うことになるかを考えていない戦争を起こした責任者は罰せられるべきだろう。
車もいつかは寿命が来る。大切にメンテナンスするかどうかで、寿命が変わる。無謀な運転で重大な事故を起こしてしまえば、新車であろうがその場で廃車になってしまう。人の命も車の維持もメンテナンスが大事だ。
Posted at 2022/04/04 08:49:47 | |
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