2022年04月16日
東京から石川に移住したのは、両親の介護があって移り住んだのだが、母が暑さや寒さに耐えられないということから、断熱効果の高い新しい家に住むことにしたのだが、冬は1シーズンだけ過ごし、その後骨折して、病院で老衰で亡くなった。それが2年前になる。
父はその後姉の世話になると言って、私の元から離れたのだが、近くに住んでいるので、時々会いに行ったりする。ただ、いつでも会いに行けるという訳じゃなく、姉の家族が居ない時に父から電話があって、来てほしいと言われた時に行くことが多い。
昨日は、久しぶりに父に呼ばれて行ってきた。当然、姉家族は不在で、食べ物を食べさせて貰っていないというのだ。これも父のボケから来ているのだが、とりあえず父が満足するように、近くの「ほっともっと」で老人でも食べられそうなシャケ弁当とスープを買って持って行った。
デイケアにも通っているのだが、デイエアがない日は、一日中部屋の中で誰とも話をすることもなく過ごすことになるので、唯一の娯楽はテレビである。
父には随分前に私の古いスマホ(iPhone 6 Plus)を持たせているのだが、どうも耳の位置がずれてしまうようで、元々耳が遠くて補聴器を使っていて、さらにずれてしまったのでは、こちらの声が全く届かないということになる。
夜中にも電話がくるし、用があるのかどうかも分からない。こちらはちゃんと返事をしているのだが、聞こえていないので、用件も言わないで切ってしまう。そういうことが何度も繰り返されているのだ。折り返しこちらから電話を掛けても出ることがないので、そのまま放置している。
携帯の受話器に問題があることからAmazonで携帯のイアホンジャックに接続する受話器を購入した。まだ届いていないのだが、今度はそれを持って行ってやろうと思っている。
母の時は、脳梗塞から視界が右半分見えなくなっていて一人でトイレに行けなくて、夜中に何度もトイレに連れていかなければならなかった。紙おむつをしていてもトイレで用を足したいというのは仕方のないことなのだろう。
父の場合はまだ、自分で動けるのと部屋にポータブルトイレもあるので、手間がかからない。
父と一緒に住んでいた時は、色々と口論になったりもしたが、今は随分と冷静に見守れるようになった。父も自分に自信が無くなって来ているから、過去のような強情さが少なくなった。
妄想が激しくて、現実との区別がつかなくたってきていることもあり、その点が一番難しいところだ。あまり否定するのも本人の自尊心を傷つけることになるので、否定しない程度に受け流すようにしている。
私もあと30年も生きたら、こういう風になるのだろうと思うのだが、少しでも良い状態をキープしたいと思って、毎日頭と体を鍛え、栄養と睡眠を十分にとって健康で過ごそうとしている。
そんなに長生きするか分からないが、長生きするということもリスクだとも言えるので、幸せた毎日を過ごすことを心がけようと思う。
父は90歳を過ぎても車を運転していたのだが、私が石川に来てからは、免許を返納し、乗らなくなった。事故を起こさなくて良かったのだが、前の車はかなりぶつけた跡があり、バックで車庫入れでぶつけたのだろう。
五木寛之は65歳で免許返納したらしいが、私はこの田舎で返納は当分考えられない。
Posted at 2022/04/16 11:55:08 | |
トラックバック(0) |
介護 | 日記