2022年05月22日
今日は、母の3回忌の法事があった。父は96歳で、当初は法事はやらないと言っていたのだが、親戚の助言によって、責めてお経さんだけでも上げてあげたら良いと言われ、会食は無しでお弁当を持ち帰りという形でやることになったのだ。
父は足腰が弱ってきていて、もうあまり自由が利かなくなってきていることから、自分は出席しないとまで言っていたが、結局出席した。父の性格は、とかく移ろいやすく、一度決めたことも周りの影響でコロコロと心境が変わる。
判断力の衰えというのもあるが、性格的な部分も多分にある。母は私が介護していたのだが、その時は父も同居していた。父と私とは性格的に合わなくて、ぶつかることが多かった。もう介護される側なのに、私のやり方に色々と文句を言うのだ。そして、最終的には私との同居が嫌になり、姉の世話になったということだ。
弟は埼玉から娘を連れて参加し、兄は参加しなかった。恐らく母の相続での争いからあまり参加したくなかったんだろうと思う。喪主は姉なので兄からの返事は聞いているだろうが、どういう言い訳をしたかは聞かなかった。
私も弟とも色々と揉め事があった。それで、口を利かなくなってしまい、私はどうとも思っていないのだが、弟からは話をすることも、顔を合わせることもなかった。私の家に泊まっても良いし、駅まで迎えに行っても良いとメールで書いておいたが、自分ど車できて、誰も居ない実家に泊まった。
なかなか一度不仲になってしまった兄弟というのは、なかなか回復するのは難しい。自分自身も今までのことは忘れて、お互いに協力しあって行こうなどと思うのだが、自分から積極的に声かけをして話をするということはしようとしなかった。
もう少し時間がかかるかもしれない。その点、父は私と喧嘩を何度もしたのだが、父は私を頼りにしているし、私もそれに応えようとしている。つまり、助ける側と助けられる側になるので、関係が良くなるのかもしれない。これが兄弟となると、お互いに意地があって、助けてもらおうとか思ったりしないのだろう。
父があと何年生きるか分からないが、もう時期97歳だ。まだ、寝たきりになってないが、躓いて膝を痛めて救急車で運ばれたというので、一歩間違えると寝たっきりになる可能性が高い。そうなると、母の時と同じように病院で最後を迎える可能性が高くなるだろう。
私は法事という行事は、仏教の熱心な信者じゃないので、あまり重要とは思っていないのだが、親戚一同が集まることは悪いことではないと思う。
次回の法事はどうなるだろうと思っている。父は健在か、兄は出席するか、弟は私と話をするか、私はもっと良い人間になっているか。ひょっとして私が生きていない可能性だってある。明日に何が起こるか誰も分からない。
Posted at 2022/05/22 16:29:41 | |
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