2022年04月15日
人が人を殺し合う戦争は絶対に良くないことである。誰もが分かっている筈だ。勿論、どうすることも出来ないから戦争になるのだろうが、どちらも引かない限り消耗ばかりし、人類ばかりか地球環境にも多大なダメージを与える。戦争は汚染しているのと同じことだ。
各国からウクライナに支援が届いているが、私も貧しい年金生活者ではあるが、少ない金額をAmazon経由で寄付させてもらった。投げ銭というのもあるらしいのだが、そういうシステムは使っていないので、unicefにした。あまり国連は戦争を止めることも出来ない残念な機関だが、支援はなんとかやってくれるだろうと思っている。
1日でも早く戦争が終結し、ウクライナが復興することを祈りたい。
Posted at 2022/04/15 08:51:59 | |
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経済 | 日記
2022年04月14日
昔は手動でやっていたものが、次第に電動になり、電動もコードが無くて取り回しが良いバッテリー駆動の工具が多くなって来ている。多目的で使える工具もあるが、限定されたものもあり、それぞれの工具を買うと、バッテリーとバッテリー充電器がそれぞれ形状が違うので、それが場所を取る。
バッテリー容量と出力が異なる場合は仕方ないのだが、同じ場合は統一した規格になってくれると有難い。リチウムイオンバッテリーの場合は、中で使っている電池はほぼ同じなので、それが交換できるというのでも良いのだが、中身だけ交換できる形状になっているものは見たことがない。
ダイソンの掃除機は、バッテリーを2回交換したが、バッテリーだけで家中を掃除するのは無理がある。簡単に交換できるような構造になっていないのも不満がある。そもそも長時間の掃除を想定していないということだろう。
ブラック&デッカーの電動工具はアタッチメントを変えることでノコギリにもなったり、自転車の空気入れになったりもして重宝している。ただ、肝心とインパクトドライバーなどを使う機会があまり無くて、ほとんど眠っているのだ。これにはバッテリーが2個ついていて使いすぎても交換できるのだが、交換するほど使ったことがない。
最近、エア・ブロアーが欲しくて探していたのだが、同じブラック&デッカーで製品を見つけたのだが、このバッテリーは容量が違うので形が違っているようだ。
Youtubeで不良のバッテリーをたくさん買い込んで、その中から良品を探し出すというのを見たが、大概の場合は、数個のセルがダメになると全体がダメになってしまうらしく、良いものだけを寄せ集めれば、再度チャージすることができるらしいのだ。
そのまま捨ててしまうという(実際にはリサイクルするのだが)のは、かなり勿体無いことだと思う。そして統一されていない規格を統一してくれるともっと有難い。
互換バッテリーというのも、価格の差が大きいが、実際にはそういったリサイクルをしたものが多いのかもしれない。安いからといって買うと長持ちしない可能性が高いのだ。
ハイブリッド車のバッテリーも寿命があるし、私のように青空駐車では夏の車内温度がかなり高温になり、バッテリーの寿命には悪いだろうと思っているのだが、実際にそのような実験をおこなっているのかどうか分からない。
EVはさらに大きなバッテリーを搭載するので、交換するとなると価格も大きい。8年ほどの保証期間もあるが、それを過ぎると100万円近くかかる場合もあるようだ。バッテリーが次第に安くなると言われているらしいのだが、EVに急激に移行するとなると需要が追いつかなくなり、逆に高くなるように思うのだがどうだろうか?
いずれにしても、バッテリーは貴重な資源を使っていることは間違いないので、もっと有効活用できる仕組みを考えないと行けないと思う。そのためには互換性が大きいと思う。
Posted at 2022/04/14 08:40:18 | |
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買い物 | 日記
2022年04月13日
MacとiPadのOSが新しくなり、昨夜ダウンロードして一斉にアップグレードした。ハードウェアが比較的最近のものであれば、最新のOSにアップグレードできるというのはApple製品の最大のメリットでもある。
Appleのエコシステムに完全にはまり込んでいる訳だが、以前はWindowsを使っていたのが長いので、Macの使いにくいところもまだまだ感じられるところがある。両方とも一長一短と言えばそうなのだ。
Apple製品で統一することで便利なことはいくつかある。それが少し以前に登場したサイドカーというiPadの画面をMacのマルチ画面にできるという方法だ。私はこれはとても便利だと思っていて、リリースされた頃は使って見たのだが、それほどマルチ画面が必要とすることもなく、使う機会がほとんど無かった。
今度は、画面をMac画面にするのではなく、キーボードとマウスをMacで使っているものと共有するという流行りのシェアリングということだ。つまり、iPadはMacの画面になるというのが以前のやり方で、今度はiPadのOSのまま、キーボードとマウスがそのままシームレスに使えるという操作性を実現するということなのだ。
私はMac Book Proでもほとんど、本体についているキーボードは使わず、「Happy Hacking Keyboard Pro Bluetooth無刻印/黒(US配列)」を、マウスはLogicoolのMX Master 2Xを使っている。Mac本体はディスプレアームにノートパソコン用の台を取り付けて、宙に浮かせているのだ。iPadも同じようにアームを取り付けて宙に浮いた状態で並んでいるのだ。だから、サイドカーをするにしても、キーボード・マウス・シェア(Universal Control)にしても比較的使い易い環境である。
ただ、ユニバーサル・コントロールを使ってみて、使いづらいと感じることがあるので書いておくと、一番問題なのは日本語入力である。日本語を入力しているだけでもMacでの変換とiOSの変換は異なるし、言語を切り替えるのもキーの組み合わせが使えなかったり、英語で大文字を入れたりするのが簡単にできないのだ。こんな簡単なことができないのは残念なことだ。ベータ版であることから、今後良くなる可能性があるのだが、今の時点では日本語も英語もあまり使い勝手が良くない。
何故、英語でシフトキーを押しても大文字にならないのか分からないのだが、Macの本体のキーボードを使っても、iPad側でシフトキーを押しながらでも大文字が入力できないのだ。最初は、このブログもiPadで書こうと思ったのだが、使いにくいのでMacで書いている。
サイドカーというと、バイクの隣につける車のことだが、MacではiPadをセカンドディスプレー化する機能を指す。単にディスプレーだけじゃなく、Macではできない、ペン操作やフィンガー操作ができる点がある。ユニバーサル・コントロールもサイドカーも同じコントロールパネル内のディスプレーから設定を行うのだが、ユニバーサルコントロールはキーボードやマウスの設定からできても良いように思う。
新しい機能は一見便利そうだが、使いこなすようになるにはそれなりに訓練が必要だ。車の新しい機能を使いこなすのと同じである。使い慣れないと、返って危険な場合もある。車の場合は比較的完成度が高くなってから搭載されることが多くて、ベータ版というのは一般的ではないだろう。まあ、それでもリコールとかも発生することもあり、テスラなどはソフトウェアを逐次アップデートして安全性を高めているようだ。
人間もアップデートが必要で、私は毎年アップデートして来ているつもりでいる。昨年は16時間断食と断酒を取り入れ、今年はオーディブルとこのブログに取り組んでいる。時代と共に進化し続けないと、生き残れない。より効率よく自分に合ったものを選択し、不要なものを排除しないといけない。
Posted at 2022/04/13 11:35:52 | |
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テクノロジー | 日記
2022年04月12日
まことに情けないことではあるが、つくづく自分は凡人だと思う。何を今さらという感じではあるが、多くの人の著作物を読んだりすると、自分の稚拙さが感じられて、どうして同じ人間なのにこうも違うものなのかと思うのだ。しかも、この年になるまでそのことに気づかなかったということの方が口惜しい。
天才という人たちは、一握りの選ばれた人であって、それこそ宝くじに当たるくらいの確率で生まれながらにして才能を持っている人である。それは遺伝的にあったりすることもある。少女F1ドライバーのJuJuさんは、父の遺伝子もあり、その恵まれた環境というのもあって才能が開花していると思う。私には今までに秀でた才能というものは見つけることができなかった。小さい頃にそういった機会も得られなかったということもあるかもしれないが、自分がやろうと思っていれば、何かに打ち込んで才能を伸ばすことができた筈だ。
日本人の平均からすると、多少上に入れてもらえるかとも思うのだが、案外平均以下かもしれない。それは、自分は人よりもましであると思う先入観みたいなものが働くからだろうと思う。車の運転技術でも、大半の人が「自分は一般のドライバーよりは運転が上手い」と思っているらしいのだ。私はそれほど上手いとは思ってはいないが、少なくとも妻に運転させるよりはマシだろうとは思っている。
車の運転というのは、比較的顕著に上手い下手が分かる。急ブレーキや旧ハンドルをするのは下手くその証拠だ。同乗者が安心して乗っていられるというのが上手い運転だ。一般道では決してレーサーのような運転は上手いとは言えないのだ。
凡人には凡人なりの生き方がある。何かひとつでも得意分野を作って、その分野で人の役に立つということだ。これも時代の流れによって、需要が変わってくるので、ロボットやAIに代わられるようなことが得意でも役に立たなくなってしまう。
人間は次第に訓練しなくなり、能力が衰えていくように感じられて仕方がない。たとえば、最近では、文章を書くのは全てワープロだ。手書きで書くということがほとんどなくなって来ている。私は毎朝モーニングページを手書きで書いているのだが、時々漢字が出てこないのだ。あまりにワープロに頼ってしまったが為に、漢字を書くという能力が衰えてしまい、書くときにスラスラと出てこないのだ。勿論、漢字を完全に忘れている訳ではなくて、ワープロで変換して出せば、認識できてかけるのだが、それがスラスラと出てこないということは、忘れているということだろう。忘れない為には、繰り返すしかないのである。私はこの繰り返しということが嫌いで、特に暗記ものが苦手だった。
しかし、私は凡人なので繰り返し何度もやるしか、その基本的な力を身に付けるということができない。それに年なので余計にその繰り返しの回数を増やす必要がある。繰り返し繰り返しやっても、衰えというものも逆の方向から攻めてくる。体力が衰えるのと同じように記憶力も衰えるのだ。
「鉄は熱い内に打て’」というように、若い内に鍛えるところはしっかり鍛えないと、現役を退いてから、いくら頑張ってもプロの世界には通用しなくなってしまう。
やはり諦めて、凡人は凡人らしく、目ただないように慎ましく生きるしかないのだろうか。
Posted at 2022/04/12 19:54:29 | |
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学び | 日記
2022年04月11日
高齢者と言われる年になると、若い頃ほどの体力は無いとは思うのだが、健康状態は極めて良好だと言える。病院通いということも無いし、薬も一切飲んでいない。花粉症ではあるが、鼻炎の薬を飲んだりはしない。
病院が嫌いということもあって、少しの不具合で病院に行ったりはしない。早期発見早期治療が結果的に早い回復になることは分かっているが、そもそも不調になることがあまりないので助かっている。新型コロナワクチンも一度も受けてないし、インフルエンザワクチンも無料摂取券を頂いたが、受けなかった。医療費を無駄にしたくないし、もっと困った人を救うのに使ってもらいたいと思う。
頭もボケないように毎日トレーニングしている。こうしてブログを書くことも、一つのトレーニングの一つと思って続けている。写真をアップする方が見栄えが良いのだろうが、その写真を撮影したり、Appleの写真フォーマット(HEIC)からJPEGフォーマットに変換するのが面倒だったりするので、あまりやらないのだ。
数独はSudoku.comのアプリで毎日1問のDaily Challengeと10日間50問とか2日間20問のEventの問題を全てこなしている。今までに金メダルを逃したのは一度だけだ。うっかり締切に間に合わなくて銀メダルに終わってしまったのだ。これも疲れると頭が朦朧としてしまい、集中力が途切れてしまう。
車のメンテナンスも大事だが、人の体と頭の健康を維持することの方がよほど大事だ。働いていた頃は、かなり無理をして体を壊すこともあったが、少なくともそういう心配は今は無い。ただ、経済的には厳しいので、いかにお金を使わないで、豊かな生活を送るかということを考えている。
豊かになるということは、知的生活をすることだと思っている。学ぶことを続けていることで、昨日より今日の自分が賢くなったと言えるといい。知的生活を送るということは、毎日が新しい発見の連続だ。もう一度高校生に戻ったり、大学生になってみたりして、自分の好きな勉強をしている。ただ、なかなか身につかないというのがあって、その点は若い人には敵わない。何度も繰り返し、聞いて、書いて、読んで、話して、人に説明できるくらいにマスターするしかないのだ。
ただただ、時間の過ぎるのが早すぎて、思ったように進まないという苛立ちを感じることもある。
67の手習である。
Posted at 2022/04/11 15:25:40 | |
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健康 | 日記