
6月2日・・・仙台の空は
気持ちの良い青空が
広がっております♪
先日・・・
奈保子さんのお名前について
当方の妄想ブログを書いたところ
姓は、河合・・・名は、奈保子…
結構なアクセス数があったので
調子に乗って・・・本日は・・・
その続編・・・と言っても・・・
以前書いた苗字の追補版ですが・・・
苗字の由来
では・・・当方の妄想にお付き合いください。
奈保子さんの、ご両親は共に新潟県のご出身で
河合姓は、お父様の苗字です。
でも・・・
大阪育ちの奈保子さんは・・・寒い所は不得手の様ですねっ♪
さて・・・以前も書きましたが・・・
河合姓は・・・川井・川会・川居等と同様に
河川の落ち合う地点から起こった地名姓です。
この辺りから妄想してゆく事に致しましょう。
毎年5月15日、新緑の都大路を、平安絵巻さながらの
優雅な行列がねり歩く京都3大祭りの一つ「葵祭」は
賀茂御祖神社と賀茂別雷神社の例祭で、古くは賀茂祭とも称し
賀茂神社の神紋として使っていた二葉葵(別名、賀茂葵)が更なる由来で
平安中期の貴族の間では、単に「祭り」と言えば葵祭のことをさしていました。
行列のルートは、京都御所⇒下鴨神社⇒上賀茂神社
途中にある下鴨神社は、世界文化遺産に登録され、
上賀茂神社と並んで京都最古と言われる歴史を誇ります。
この「下鴨神社」の正式名称は「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)で
鴨川(賀茂川)の下流に祀られていることから
一般には「下鴨神社」として親しまれてます。
境内には、摂社として古くより祀られ、糺の森の入り口付近に鎮座する
「河合神社」があり、賀茂川と高野川が合流する地にあるのが
名前の由来となっています。
この・・・「河合神社」女性守護としての信仰を集めるお社で
ご祭神には神武天皇の母、玉依姫命をお祀りし、
玉依姫命は玉の様に美しい事から
美麗の神としての信仰も深く
また、安産・育児・縁結びの神様として人気で
絵馬にあらかじめ描かれた顔を自分の顔に見立てて、
美しい女性になれるよう願いを込め、自身の綺麗な表情を描き
裏に願意を記入し奉納すると・・・
外見だけでなく内面も磨いて美しい存在として導かれるとされている
「鏡絵馬」と呼ばれる、手鏡形の絵馬が有名です。
もう一つが、下鴨神社の花梨の庭で、
収穫された花梨の実と御神水を使用て作られた
「美人水」なる飲み物・・・
花梨は綺麗で若々しい肌を作る果物とされているそうで、
「河合神社」にある休憩所で、有料ですが頂く事が出来ます。
また、この河合神社は、冒頭にある一文
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」で
有名な「方丈記」の作者、鴨長明に関係の深いお社で
鴨長明は「河合神社」の禰宜の息子として幼少時代を過ごしています。
鴨氏は、神武天皇の東征に際し、熊野路を先導して
功績をあげたというヤタガラスの伝説の
ヤタガラスは、賀茂御祖神社(下鴨神社)の祭神 建角身命として知られ、
山城国葛野郡賀茂郷に在住した土豪・鴨県主の遠祖とされており
大化以前から、鴨県主は、賀茂神社の祠官であり、
上社のものは賀茂氏を名乗り、下社のものは鴨氏を称し神職を務め
皇室、武家ともにかかわりの深い家柄です。
先に、奈保子さんのご両親の出身が、新潟という事を書きましたが
古来より殿上人が、何らかの事件に巻き込まれ都落ちして
送られた島は、佐渡島でした。鎌倉幕府に幕府に対して
後鳥羽上皇が討伐の兵を挙げた承久の乱(1221年)で敗れた際に
上皇へ加勢した順徳天皇は、佐渡送りとなります。
『新勅撰和歌集』編纂の際に、藤原定家は、鎌倉幕府への配慮から、
順徳天皇の御製を採らなかったが、『小倉百人一首』には
・ももしきや古き軒端のしのぶにもなほ余りある昔なりけり
という・・・1首を採録しています。
『小倉百人一首』は、奈保子さんが幼少より慣れ親しんでいる事は
以前も書いていますが、殿上人が佐渡へ送られる際には
都より従ってやって来た女官や多くの縁者は、佐渡へ渡る事は許されず
新潟の地で後年を過ごしたとされております。
お母さまのご実家は、お寺ですし・・・
もしかしたら・・・河合家の祖先の方は・・・
都人で、そうした教養が、奈保子さんの人柄や音楽的な才に
繋がっているのかもしれませんねっ♪
という事で・・・・・・今宵の・・・奈保子さん動画は・・・
アルバム 「JAPAN as waterscapes」より
「桜の闇に振り向けば」
「海の中の星座」
「霧の降る夕闇」
「黒髪にアマリリス」を・・・
長々と・・・当方の妄想に、お付き合いいただきまして
ありがとうございました<(_ _)>
Posted at 2019/06/02 22:48:24 | |
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河合奈保子さん | 日記