中学生の頃、愛読書は『映画の友』、あ、いや『スクリーン』と『MUSIC LIFE』だった。
そして高校生になると『MUSIC LIFE』から『ロッキン・f』へと変わって行くのである。
読み散らかしてると、オフクロに「ほれ、この"ろっきんな"片付けろジャ。」と言われたのは、ボク一人ではなかった...ハズ。
なぜなら、エフの表記がフォルテの形であり、"ナ"に見えるということらしい。
そんな事は、まあどうでも良いのだが、KISS、AEROSMITH、Queen、DEEP PURPLE、RAINBOW、そしてLED ZEPPELIN、と、思いっきりベタなハードロックに夢中だったのである。
しかし、その影では百恵ちゃんの大ファンであった事も忘れてはならない(ダレガ?)。
さらに言えば、ピンクレディーではミーちゃん派であるのは言うまでもない(シランガナ)。
そんなボクのハードロックの原点が、中学生の時に聴いたKISSだった。ベイシティローラーズなんぞ(いや、これはこれで良かったのだが)を、ロックだと思って聴いていたボクにとって『Detroit Rock City』を聴いたときの衝撃は忘れられない...車に乗り込むところから始まる長いSEの後、一気に高まる重厚なディストーションサウンド、つぼを押さえた分かりやすいメロディとサビのコーラス、そして非常にシンプルかつ美しいツインリード、そしてエンディングに待っている車の爆発音...何もかもが、かっちょええ、シビレル、なのである。
そしてあのメイクとコスチューム、中学生のガキにはその派手さが、超シブ(意味を間違えてると思うのだが)まさにまいっちんぐマチコ先生なのだった。
ちなみに、学生服は5cm以上のハイカラーで、すそがチョイと長く袖のボタンも通常3個のところを5個もついていて、事もあろうに裏地には虎だの龍だのの刺繍が入ってるイワユル、ヨウラン(うちの田舎では中ラン)が渋い、カッコイイとされていた、そんなアホばっか(の一人でも、もちろんある)な時代である。(都会ではとっくに終わっていたカモネ)
話を戻すが、とりわけ、リードギターのエース君は、トレードマークであるチェリーサンバーストのレスポールカスタム、しかも3PU仕様というそのギターとともに、ボクの最初のギターヒーローとなった。
上手い下手など関係ない!フレーズがワンパターン?良いじゃん、分かりやすくって(笑)
簡単な事しかやってないけど、ダカラこそ『ALIVE!』は、名盤なのだ、と思う。
しかあし、まーじーさん、こんな事を言っておきながら、実際にそれとおんなじカッコウをしたギターを手に入れるのは、ずいぶん後の事、高校2年の夏なのであった。
プロを目指すのであれば、遅すぎる(いや全然目指してないから)のに、何故か?それは、今となっては謎である(ナワケネエダロ)。
いや、実はギター小僧としては、一度挫折をしているのである。中学のはじめ、フォークソング全盛期に、親にせがんで買ってもらったハミングバードもどきのアコギ。
2ヶ月もしないうちに、オブジェと化していた。実は(が多いなあ)手が小さくてコードが押さえ切れなかったのジャ。特に小指の短さといったら思わず笑ってしまうほどで、なんと薬指の第一関節に届いていないのだから、困ったもんである。
ちなみに今でも小指だけはしいちゃんにも負けているのだから始末に負えない。
でも、たまに飲み屋のお姉ちゃんにネタとして見せると、けっこうウケルので最近はこれはこれで、重宝したりもする。
そんな事もあったりして、イマイチ踏み切れないのであったが、高校生になると文化祭やライブのステージに立つ同じクラスの奴がいたりして、ギターを持ってるだけでやけにカッコよく見えてボクの物欲をさらに刺激するのであった。
よおし、もう買っちゃおう。そう心に決めたのは2年になってすぐ。もちろん、本物なんぞ買えるわけは無い。だけど当時の国内メーカーは、みんなコピーモデルが主力だった(YAMAHAだって、そうだった)ので、このエースモデルだってちゃんと何社か製造していた。
その中でも、「やっぱり、Grecoだべ。」という当時の○○(誰?)の意見もあって、『EG600PR:定価6万円』に決めた。そんでもって、アンプもだろ、と言う事でこれまた○○に聞いたところ「俺のはヤマハのJ45だぞ。」というので、見栄っ張りのまーじーさん、その上の『J60:6万円』に、これまた決めた。
しかしもちろん、12万(当時だからなのか、田舎だったからなのか分からないが、定価販売がアタリマエだった。)なんて金が、あるわけは無い。
そういう場合は、親にねだるのが一番なのだが、入学祝いに30万もするステレオを買ってもらった身の上とすれば、オイソレとは許されない行為なのである。
なんてナ事を思うわけも無く、軽い気持ちで試してみたら、当然のごとくブチ怒られ、玉砕したのは内緒である。
(ハイハイ)
怒られながらも、オヤジ殿から、欲しけりゃ稼げと言われた、まーじーさん。人生初のバイトは、当然のごとく実家の手伝い、つまり土方であった。昔は日曜日だって普通に仕事をしていたこの業界。月に2、3回は仕事をしたと思う。そんなこんなで、夏休みに頑張れば、何とか手の届くところまで来たのである。
その間、ヒマさえあればカタログを眺めてニヤニヤしていた。もちろん学校にまで、持って行ってである。こんなところは、今でも車を買おうなどと決まったときと少しも変わらない気がする。
気がつけば、妙にスペックに詳しくなってたりするところもおんなじ。
てなわけで、夏休みも終盤になる頃ボクは、ようやく念願のギターを手にすることとなった。
初めてそのピカピカの愛器を見たときの感動は、今でも忘れられない。トップにはなんと、きれいなトラ目が入ってるじゃありませんか。なんとも美しいその姿にうっとり。
そしていよいよ、アンプにつないで音を出してみる。もちろんディストーションは、MAXである。
ギャーン♪オオオオオオオオオ!!!!!!!れ、レコードとおんなじ音がするううう(んナわけないのだが)とにかく感動したのである。
早速、Grecoのギターには、必ずついてきた成毛 滋の教則本とテープで練習開始である。
そして最初に憶えるのが、ZEPの『胸いっぱいの愛を』のリフ。これがなんと意外と簡単に弾けちゃったのである。(たぶん誰でもだと思うが)
お、おもしれええええ。こうなったらもう夢中である。とにかく有名な曲のリフをコピーしまくっては、ご満悦な毎日。
楽譜なんぞは読めないが、TAB譜という強い味方があるんだもんね。
とにかく最初に一曲コピーしようとしたのは、当然のごとく『Detroit Rock City』。
しかし、意外にもKISSのコピーはめんどくさかった。いや、難易度ではなくてチューニングが半音下げなんだもん。KISSのコピーを始めるとしばらくは、KISS三昧なのであった。
そんなこんなあんなどんな、で鏡の前で自己満足プレイ(イワユルお○○ープレイ)の、若干キモイ毎日を送るまーじーさんであったが、このわずか2ヵ月後にステージに立つことになるとは、ちいいいいーーーっとも思ってなかったのである。
そしてもちろん........続く。