by 『宇佐元恭一』
彼の名前を知ったのは、そう、京都時代のこと。いい加減な学生生活ともそろそろ決着をつけ、将来のことをどうしても考えなくてはいけなくなっていた頃。
根っからの田舎もんのボクは、就職するなら故郷岩手、と何の根拠も無く決めていた...そうあの手紙が届くまでは。
「...卒業したら、今度は岩手に帰っちゃうんでしょ?また遠くなっちゃうよね。
今と同じで、年に2.3回しか会えなくて、電話して手紙書いて...そのまま何年かしたら貴方が迎えに来てくれるって言ってくれてる。
でもね、私には自信が無いの。私たちは本当に分かり合えているの?これからも会いたいときに会えない、そんな関係のまま貴方について行くなんて、まして貴方以外、誰も知らないところへ...無理だと思うの。
私の我儘ですか?でもこんな気持ちのまま、続けていっていいのかどうか...もう私には分かりません...」
もう何も考えられなかった。どうして良いか分からなかった。心が痛くて、苦しくて...泣く事も出来ないぐらい。
でも、そんな時にラジオから流れてきた、彼、宇佐元恭一の『海の中道』
切なく悲しいメロディと、優しい彼の歌声が、ココロのどこかに染みていった。
そして、気がつけば涙がどうしようも無く溢れていた.......
続...かないと思う(笑)
※この話には多分に、フィクション及びウソはっぴゃくが含まれているのでアシカラズ(爆)
ま、その後は、親の勧めに乗っかって東京の専門学校に2年間通って、その間に答えを出すという問題の先送り~ミタイナ結果に(^_^;)
でもって恭一さんは、二人揃ってのお気に入りに(*^_^*)
『ピアノフォルテ』『ピアノフォルテⅡ~生きているから~』の2枚のアルバムはもちろん聞きまくりました。
ロックよりの『KYOICHI』を出して、初の東京公演を行った際には、初めてコンサートデートってのを経験したり...カレコレ25年も前の話ですが(笑)
仲間内ではオイラの強力な押しも有った(笑)せいで、結構評判が良かったんですが、全国的にはイマイチだったようで、その後もブレイクすることも無く、その後数年で、もはやオイラにとっても過去の人に(-。-;)
ところが、ふとしたきっかけで、今でも地道に活動されていることを知りました...ネットってすごいね(笑)
しかも、オイラの故郷の偉人、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』に曲を付けて歌って、それが静かなヒットを続けているらしいとか。
それが縁で、今では『希望郷いわて文化大使』『花巻イーハトーブ大使』だそうな。
いやあ、縁って不思議なもんですねぇ~....って勝手に思ってたりします(自爆)
ってなわけで、その故郷岩手に、明日から帰省しまーす(^^♪
ETC割引の関係で明日の、夕方出発、深夜0時過ぎに到着予定。
ちなみに
13日:嫁さんにガッチリマーク(-。-;)
14日:早朝墓参りの後、嫁さんにガッチリマーク
15日:午前中、とっとと嫁さんだけを新幹線で送り返し、午後から自由
16日:たっぷり自由
17日:夕方出発、深夜0時過ぎに自宅到着予定
こんな感じです。
オイラ実家にての【お盆でオールナイト】開催可能なのは、15日ぐらいしかありませんが、どんなもんでしょうかねぇ...とつぶやいてみる(;^_^A アセアセ・・・
Posted at 2011/08/11 19:18:31 | |
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