一週間のご無沙汰でした、辛口おやじです。
中国が抗日戦争勝利70年式典を行ったそうですね。
この式典に元首級で参加したのは約30ヵ国だけで、主要欧米
諸国はロシア以外は軒並み参加をしなかったようです。
当然でしょう。
当時日本が戦ったのは毛沢東の共産軍ではなく、蒋介石の
国民党軍でしたし、そもそも今の中華人民共和国の成立自体が戦後の1949年であり、あの大戦
中は存在すらしていなかったわけですから、何を寝とぼけたことをという感じですね。
と、まあそれは置いといて(笑)
私の以前のプロフィールには書いてあったのですが、30代後半から40代にかけて猛烈に本を読ん
だ時期がありまして、今回はその中から中国に関するちょっと興味深い話を簡単に紹介してみたい
と思います。 (ほんのちょびっとね・笑)
多分百冊以上は読んでると思いますが、これはその中の一冊です。
↓
電気通信大名誉教授の西尾幹二さんとおっしゃる方が書いた本で、「国民の歴史」。
見よ ! この厚みを !(笑) ページ数は怒涛の770ページあります。
フッフッフッ俺の勝ちだな・笑
これ一冊読んだだけでかなり勉強になりました。
この中に中国の韓非子(かんぴし)の話が出てきます。
韓非子というと有名なのが「矛と盾」の話ですね。
どんな盾も突き通す「矛」と、どんな「矛」も防ぐ「盾」を売っていた楚の男が客から、「その矛でその
盾を突いたらどうなるのか?」と問われ、返答できなかったという話は皆さんもよくご存知でしょう。
「矛盾」という言葉はここからきているわけですね。
次の話はその韓非子に出てくる一話です。
昔、秦の昭王が病気になった。
人民は村里ごとに牛を犠牲に供し、王のご平癒を祈った。
ところがこれを伝え聞いた病床の昭王は、なんと人民に罰として鎧二領の供出を命じた。
「命令も受けぬのに勝手な祈祷の儀をなすのは、人民が予を愛している証拠である。
その結果、情が移って予のほうでも法令を緩和し、人民の心に馴染もうとでもしたならば、
法の威令は成り立たなくなり、やがて国は滅びるであろう。
今の場合、人民に罰を課し、治を確立する道を復するのが、最善の策なのである。」
。 。 。 。 。 。 。
さて、皆さんはどう思われたでしょうか?
なにかぎょっとするといいますか、背筋が寒くなるような話ではないでしょうか (ーー;)
普通に考えれば、主君の病気のご平癒を人民が自発的に祈ったわけですから、王に対する人民
の忠誠心の厚さや信頼、それほどまでに人民に慕われる主君の人徳を褒め称える美談のような
話で終わるはずです。
おそらく日本ではそれ以外にないでしょう。
ところがそうではなく、主君は人民に罰を与えたというのです。
なんということでしょう・・・
これが中国という国の姿ということなんでしょうか。
民に対する官。
または官に対する民。
今回の話は前者ですが、そこには両者の間に信頼関係というものはまるで存在しないということ
ですね。
これは現在の共産党政権に対する人民の姿を見ていても、全く同じことが言えると思います。
つまり2000年以上前から何も変わっていないということ。
中国の王朝交代は常に支配者の性が変わる易姓革命。
そこは権力をめぐる争いが激しく行われ、水面下で権謀術数が渦巻く暗黒の世界。
一旦始まると、人民を巻き込んだ血で血を洗う内戦が何年何十年と続くのだそうです。
13億もの人口を抱えながら、言論の自由もない国、中国。
今だに法ではなく人が治める人治国家、中国。
歴史が有る国である反面、相当に深い闇に包まれた国でもあるんですね。
簡単ですが以上です。
Posted at 2015/09/06 00:32:47 |
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