1月31日(金) ,
発症から31日、
入院から29日、
手術から16日、
食事開始から9日・・・、
トップ画像は、再び病院前のイルミネーション。雪のない富山ですが、この週末は寒気が入り、雨または雪との予報。
入院から手術を経て食事開始までの約3週間は完全絶飲食でしたので、わたくしの身体は点滴だけで維持されておりました。
手術後の腸の具合がすぐには戻らずちょっと足踏みした感じでしたが、食事と便通の状態と傷口の回復状態、の経過観察から、ついに退院の日程が決まりました。
\(^o^)/
Xデーは、2月1日(土)、
ようやく退院します。
腸は脳に支配されない自律する臓器、と言われますが、寝ぼけていた腸が目覚めるまで、ちょっと時間がかかった感じです。
画像は入院先の富山県立中央病院。
正面1階が急患センターでその上が中央病棟、右は中央受付と診療棟、その奥に手術室のある先端医療棟があります。
(病院紹介Web Siteから)
ここでもう一度、備忘録的に経緯を振り返ります。
【病名】
小腸イレウス(腸閉塞)
【経緯】
12月30日(月)
マレーシアから成田に帰国、鯖江自宅へ。
1月1日(水)
朝から急に胃痛(腹痛)、我慢できないことはなく、お節やお屠蘇を家族でいただく。
(これが今年最初で最後の食事に・・・。)
1月2日(木)
お腹の張りが治まらず、鯖江当番医で急性胃炎と診断。富山の実家に向かうが、その夜、お腹の張りと痛みが刻々悪化し嘔吐。
1月3日(金)
富山市急患センター受診
X線の結果、腸閉塞の疑い。
紹介状をもらい、すぐに紹介先の富山県立中央病院救命救急センターへ向かい受診。
X線、造影剤CT、動脈血採血の結果から、やはり、
『小腸イレウス(腸閉塞)』と診断。
緊急処置として、鼻から胃にチューブ(胃管)を通し、胃腸の内容物除去と減圧を行う絶飲食保存処置を行う。
緊急入院。水分、電解質補給は点滴から。
腸捻転や腸の壊死の疑いはなく、緊急手術の必要はないとのこと。
56才にして、人生初の入院となりました。
1月4日(土) →1月6日(月)
経過観察
お腹の張りとしゃっくりが止まらず、いわば腹筋がけいれん状態。一旦治まってもぶり返すと長時間続くので、夜はまともに眠れない・・・。
昔から「しゃっくりが100回続くと死ぬ」と云うけれど、こういうことか。
1月7日(火)
内容物の排出、減圧状況を診て、胃管からより小腸の奥まで届くイレウス管に換える処置を受ける。
左の鼻に通していた胃管を抜き、右の鼻から別の200cm以上のチューブを、その中にワイヤーを通しながら小腸まで送り込み、腸内の内容物排出と減圧処置。
小腸はぐるぐる曲がりながら延ばすと6mくらい続く臓器、蛇腹のように屈曲しているところを通過させるのが難しい。
1月9日(木)
イレウス管に造影剤を注入して先端位置と排出状況を確認する。
ここで、さらにイレウス管の位置を強制的に押し込むことに。これが入れた時よりも辛かった…。
ある屈曲部がどうしても通過できず、すったもんだして(本人、悶絶してます!)どうにか通過し小腸の奥へ。
鼻から挿入したイレウス管は2m60cmになりました。
1月10日(金)
血液検査と X線撮影
朝、微熱があり、血液検査から「炎症反応」があるとのこと。どこか腫れてる疑い。この日の夕方、内科担当医師の回診で説明が。
『そもそものイレウス(腸閉塞)の原因が特定できてもいない。このまま炎症反応が続けば、一旦開腹して腸の中を診てみることになるかもしれない…』
ここにきて、ついにお腹を切る可能性が。
1月11日(土)
再び血液検査と X線撮影
この日は平熱、血液検査の結果、炎症反応は治まっていたとのこと。
絶飲食から一週間、点滴での栄養供給が限界となる頃。一般的にはこれ以上の期間となると心臓近くの血管にカテーテルを挿入して栄養供給する方法がとられます。
が、私の場合はそのまま点滴続行。
1月14日(火)
イレウス管から造影剤を腸に注入しCT撮影。すると血液検査の結果と併せ、小腸に癒着の疑いが。またその近くの虫垂にも炎症の疑いが!?
過去、開腹手術歴が無いのに癒着があるのはおかしく、虫垂炎いわゆる盲腸が引き金になり周囲の小腸が癒着したのでは?と推測。
内科医師が外科医師と相談し、癒着の解除と原因の確認のため、混んでいる手術日程に割り込ませて、1月16日の緊急手術が決定。
1月15日(水)
6階の内科病棟から3階の外科病棟に転棟。
X線、心電図など手術前検査を受け、点滴針を手術用の太いものに差し換える。
麻酔科を受診し、手術前後の麻酔(全身および局所)とそのリスクについて説明受ける。
1月16日(木)15:30
呼び出しがあり、手術室へ。
点滴台転がして自分の足で歩いて行く。手術棟前でヨメさんと別れ、一番奥にある手術室の中へ。
自分で歩いていくのはなんだか意外。
(手術室のイメージです、確かにこんな感じ。富山県立中央病院Web Siteから)
外科の執刀医師と看護師に挨拶。
看護師に案内され、画像中央のような手術台に上がって横になり、局所麻酔の管を背中に打ち込む。麻酔科であらかじめ「ちょっと痛いですよー」と驚かされていたためか、逆にそれほどでもなく。
酸素吸入マスクをつけ「全身麻酔しまーす」と声をかけられてから4, 5秒後、あっさり落ちる。
手術時間は16:30から18:30まで約2時間。
同窓生で同じ高校コーラス部で鉄ちゃんの医師、サンライズ君は、私の手術の様子を別の部屋のモニターで見ていたそうです。
ドラマと一緒ですねー。いや、ドラマがリアルということか。
(イメージです。これは腹腔鏡手術を紹介する富山県立中央病院のWeb Siteから)
1月16日(木)18:40頃
足のしびれと下半身の違和感で目が覚める。麻酔から覚醒した瞬間。
足のしびれは同じ姿勢を続けて血行が悪くなったため。長時間の正座と同じですね。下半身の違和感は尿管をつながれていたから。
このとき私の身体には、イレウス管、点滴針、局所麻酔管、腹膜管、尿管と、5本の管がつながれていたことに。
もちろん絶飲食は続行。
この晩はHCU(集中治療室)で、何とも眠れない、人生で一番長い夜を過ごす。
1月17日(金)
術後の処置と療養のため、ナースステーションに近い重症患者病棟へ。
医師から、CTでの観察のとおり軽い虫垂炎と近くの小腸の癒着が確認され、癒着を剥がし虫垂を切除したと説明。
小腸そのものにはメスを入れていないが、弱った腸壁の一部を縫合したとの説明。
(HCUから病棟に移った直後のわたくしです)
1月20日(月)
一般病棟へ転室。
尿管と背中の麻酔管が外される。
モルヒネ系麻酔が切れると、とたんに傷口が痛み、起きるのもトイレも一苦労!? まさに麻薬の禁断症状か。
1月22日(水)
胃管挿入から数えて20日めで、ついにイレウス菅が外される。そして500ccまでの飲水許可。
身が軽くなるのと水の美味しさを実感!?
1月23日(木)
腹膜管が外される。昼食から食事開始。
元日以来22日ぶりの食事。
流動食ではないけど三分粥と柔らかい食材。量は少ないがよく噛み20分以上かけてゆっくり食べる。
1月24日(金)
ついに点滴止める。
まだ腸の働きが弱く栄養の吸収が追い付かず。せっかくの食事も、少ない量なのに全部食べられない。
1月25日(土)
点滴針が外される。
腸からの吸収が弱いため、点滴止めたとたんに体重減少が著しい。平常時73kgあった体重は、最少66.2kgまで7kg近く減少。
1月29日(水)
ようやく手術の傷口も落ち着き、腸の働きも整ってきたのを実感。食欲も復活。
これまでも洗髪だけはできたが、この日から全身シャワーも解禁。
担当医師と退院時期について相談。このあと何も起きないことを前提に、2月1日(土)の退院予定となる。
という訳で・・・、
退院後、経過観察のため通院の必要があるので、しばらく富山の実家に留まります。
その後、鯖江の自宅で療養し、体力の回復を待ってからマレーシアに戻ります。
それでも、ほぼ1ヶ月ぶりのシャバの空気。軟禁状態からの解放って、どんな気分になるのか・・・。
仕事は・・・、いまさらあわててもしょうがない、か。
気がかりなのは、コロナウィルス肺炎の影響。
まあ、日本も海外も感染リスクはそうそう変わらないようですから、それはそれとして。
1月31日(金)
新型コロナウィルス肺炎について、WHOが緊急事態宣言しましたねー。渡航制限や貿易制限勧告はないようですが。
しかし中国に続き、WHO宣言にも触発されて各国が出入国制限の強化に踏み切る恐れもあります。
ウチの会社の本社は、30日から中国への出張渡航禁止を発令。その対象が他の国にも波及するのかどうか?
なるようにしかなりませんが、今後の動向が気になるところです。
(;^^)>
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