栃木県小山市は何度か探索している地域ですが、
小山城は訪れていませんでした。近頃古墳探索ができておらず城は更にレア。 そこで今回は、小山城は意識してかったのですがナビ上に現れたので行ってみることにしました。
駐車場に着いてみると確かに来た記憶はない。城の中まで車で入る人はいないでしょうが「車両通行禁止」という標識のある橋をわたって場内に。
自転車も禁止でしょうか。そして、きのこを発見しました。群生してました。きのこが大々的に見つかったのは久しぶりです。 twitterできのこ愛好家をたくさんfollowしているのですが連日きのこ写真がUPされます、よく見つかりますねぇ。
この城は偲川に接する高台にあり、重要な地形を押さえているようです。
小山城は、1148年(久安4年)に小山政光によって築かれたとの伝承がある。小山氏は武蔵国に本領を有し藤原秀郷の後裔と称した太田氏の出自で、政光がはじめて下野国小山に移住して小山氏を名乗った。
小山城は中久喜城、鷲城とならび、鎌倉時代に下野国守護を務めた小山氏の主要な居城であった。当初は鷲城の支城であったが、南北朝時代に小山泰朝が居城として以来、小山氏代々の本城となった。1380年(康暦2年)から1383年(永徳2年)にかけて起こった小山義政の乱では、小山方の拠点として文献資料に記された鷲城、岩壺城、新々城、祇園城、宿城のうち「祇園城」が小山城と考えられている。小山氏は義政の乱で鎌倉府により追討され断絶したが、同族の結城家から養子を迎えて再興した。
その後は、代々小山氏の居城であったが、天正4年(1576年)に小山秀綱が北条氏に降伏して開城し、北条氏の手によって改修され、北関東攻略の拠点となっている。
小田原征伐ののち、1602年(慶長12年)頃、本多正純が相模国玉縄より入封したが、正純は1619年(元和5年)に宇都宮へ移封となり、小山城は廃城となった。
別名である祇園城は小山氏の守護神である祇園社(現須賀神社)からとったものである。
(wiki)
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栃木県小山市の探索
Posted at 2018/09/17 06:52:13 | |
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