群馬県大泉町の小泉神社に立ち寄りました。近くには小泉城跡があります。事前情報は調べてないのですが、848(嘉永元)年から7年かけて作られた社殿。本殿の柱に刻まれた昇り龍の彫刻は、細部まで緻密に彫られていて見るものを圧倒する(画像なし、富士塚に気をとられて撮るのを忘れた)
社殿の裏手に富士塚らしきものがあるのは車からも見えたので、そちらに向かうと、葺石のような石積みがある塚を発見。しかし石積みは正面の石段の周辺だけらしい。
富士講碑はなく、中腹に「浅間大神」の石碑がありました。通常中腹には「小御岳神社」の石碑が(富士山にならって)あるが、浅間大神は主神でてっぺんにないといけない。そして山頂の社殿には浅間神社の文字はなく、中には「扶桑教」の文字のあるのぼりのようなものあり。
神道扶桑教の起源は、元亀三年(1572)冨士道開祖角行東覚師が、戦国乱世の荒廃した世を救うため、「天地安・萬人安福」を真願として冨士道を開かれたことに遡ります。角行師が御神威を篭めて謹製奉願した御神鏡は代々受け継がれ、御神實として扶桑教太祠に奉斎しています。江戸時代には、全国各地に多くの「冨士講」が組織され、冨士山への登拝修行が行われていました。明治時代に入り、教祖初代管長 宍野 半が多数に分立していた冨士講を、「冨士一山教会」として統合し、「冨士山・日本」を意味する「扶桑」を教団名として、明治十五年に明治天皇の勅許を賜わり、「神道扶桑教」は教派神道の一派として特立しました。その後、昭和二十七年包括宗教法人の認証を受け、全国に教会・布教所・神事所・講社を設けて活発な活動を行っています。(扶桑教HP)
富士山信仰の教派神道ですね。それで浅間神社ではないわけです、明治以降の富士塚ということになります。富士山信仰扶桑教では山そのものを崇拝するのではないとしています。縄文時代からの山岳信仰の流れでしょうが、神道では神社の御神体も神が一時的に宿る依代で神そのものではないですから、富士山とはいえ、山(という物質)を拝むのではない....というのはわかります。
全ての生命の持続と営みは、大祖産神のみはかりによるものである。「地底より天空へ息吹なす冨士山こそ、天地結霊の御柱・萬本の根源である」という冨士道の教えに基づき、山そのものを崇拝するのでない、形儀・無有を超えての冨士山を根本道場として「他のために祈る」まことのこころを以て惟神の大道を宣揚する。(扶桑教HPより)
フォトギャラリー:https://minkara.carview.co.jp/userid/946290/car/796726/3272432/photo.aspx
革底 カテゴリ:その他(カテゴリ未設定) 2021/09/17 01:13:41 |
|
500PX カテゴリ:その他(カテゴリ未設定) 2014/06/13 05:26:06 |
|
富士山情報(富士塚を含む) カテゴリ:富士山・富士塚 2011/10/07 20:44:56 |
日産 フェアレディZ フェアエディZ NISMO + NISMO Sports Resetting(ECU交 ... |
|
トヨタ コルサ 約7年間使用。 5MT ドノーマル レーサーが書いた本など読みつつ、それなりに山で走っ ... |
|
日産 パルサーセダン 13年以上所有して廃車(補助金がCR-Zの資金に) どノーマルだったが、MTでスポーティ ... |
|
ホンダ CR-Z 約7年間使用、約199300km 自己ベスト FSW 2.29.85 ... |