今日は埼玉県宮代町を探索し、久しぶりに富士塚を発見しました。記録を調べると2016年1月に宮代町を探索していて、富士塚や力石を発見するとともに郷土史資料館にも足を運んでいました。今回は少し離れた地域で赤松浅間社を探索しました。
鳥居の向こうには塚が見え麓には御胎内らしきものもあり、富士塚には間違いないでしょう。山頂には石碑があり裏にも何か彫られていました。見ようによっては.....
帰宅後調べてみると、
----------------------
山崎の浅間社は、字京塚にあるので京塚浅間神社とか、赤松があったので赤松浅間などといった。この神社については郡村誌によると、平社であり、祭神を木花之開耶姫とし、祭日を六月一日としている。浅間様の管理は、一〇人くらいいる世話人が行うが、その中心は川島のS家である。この世話人は、山崎、川島のほか宿、西原から出ている。神職は、以前は山崎のI神主であったが、現在は姫宮神社の神職に頼むようになっている。江戸時代末期に、川島に島村四郎右衛門という先達がいた。この人は毎年、一〇~一五人くらいを募って富士山へお参りしていた人物で、二七回富士登山の経験があったという。先達としての名を重行といった。
現在、この浅間社は塚の上にあるが、これは大正年間に回りの土を掘り、山を造って鎮座させたという。このとき土を掘った跡は、池として残っていたが、近年埋めてしまった。現在の祭日は七月一日で、現在も初山の子供のお参りがある。
ーーーーーーーーーー
七月一日には、浅間神社で初山の行事が行われる。初山は初山参り、浅間様などといわれ、生まれて初めて七月一日を迎えた子供が浅間神社にお参りする行事である。浅間神社の多くは、静岡県富士宮市の富士山本宮浅間神社を勧請したもので小高い丘の上に祀られている。この丘は富士山を模しているもので富士塚ともいう。昔は自然の塚の頂上に神社を祀っていたが、江戸時代後期になると富士信仰の高揚により、塚を造ることが流行した。初山のお参りをすることによって、「生まれた年に富士登山をしたのと同じだ」との意味付けがされ、健康な子供に育つように祈願するために行われるものである。
町内では山崎の赤松浅間社、辰新田の浅間神社、和戸宿の浅間神社で初山の行事が行われている。この日、母親や祖母に伴われ子供がお参りし、子供には暑い最中なので絽の着物や浴衣を着せる。そしてお参りの後、お札を受ける。また、初山の記念としてうちわをお土産に買って帰る。これを実家、仲人、親戚などに配る。辰新田周辺地区では、山崎の赤松浅間社、辰新田の浅間神社、杉戸町の河原の浅間神社の三社をお参りして回るところもあり、これをミヤマ(三山)と呼んでいる。初山には行事食として小麦まんじゅうが作られる。
(宮代町デジタル郷土資料)
Posted at 2022/10/31 20:30:36 | |
トラックバック(0) |
富士塚 | 旅行/地域