2025年08月09日
「上野三碑」を巡ったあとは
「山名八幡宮」へ。
清和源氏・新田義重の子で、
山名氏の祖の山名義範が
安元年間(1175-1177年)に
豊前国(大分県)の宇佐神宮から勧請し、
文治年間(1185-1190年)に
社殿を造営したと伝えられます。
そう、
応仁の乱の際、
西軍の指揮を執った山名宗全の祖が、
山名義範です。
新田氏の祖・義重の子である
山名義範は、
この
山名郷に入り、
山名氏の祖となり、
以後、
源頼朝の右腕として活躍しました。
駐車場から神社へ行こうとすると
そこには線路が。
これは珍しい!
木刀で割った!!
「太刀割ノ石」。
線路をくぐり抜けると、
そこには。
素敵な境内が。
「随神門」のすぐ横に
「パン屋 ピッコリーノ」。
神社の中にあるパン屋さん!
反対側には
和菓子屋「予祝」。
なんだこの境内は。
ワクワクが止まりません。
子宝に恵まれると言われる
「陰陽神木」。
......。
「拝殿」へ。
あ~、本当に気持ちのいい空間。
「授与所」。
御朱印をいただく際に、
ていねいに
鈴払いをしてくださいます。
「山名八幡宮」の
「ご本殿」は、
江戸時代中期、
前橋藩主の酒井雅楽頭(さかいうたのかみ)によって
再建されたもの。
ご本殿を飾る彫刻群は、
明和6(1769)年、
彫刻物師、関口文治郎の手によって彫られたもの。
「裏神様」。
古来より
「疳の虫」「厄」を喰い切る神獣として伝わる
獅子頭。
左側に
「中曽根さん」の名が!
(右側には
「福田さん」の名もありました)
「弁財天」にもお参り。
今度はもっと早い時間に来て
パンを買ったり
ゆったりと境内を満喫しよう。
「ミコカフェ」。
「放課後等デイサービス はちまん」。
現代の生活に寄り添う
すばらしい神社!!
「山名駅」(上信電鉄)も見てみたい。
「山名八幡宮」さん。
周辺散策も合わせ、
リピート決定です!!
Posted at 2025/08/09 18:37:49 | |
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神社仏閣 | 日記
2025年08月03日
Posted at 2025/08/03 18:42:15 | |
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歴史 | 日記
2025年08月02日
古代上野国(こうずけのくに)に存在する
三つの石碑
「上野三碑(こうずけさんぴ)」。
日本に18例しか現存しない
古代(7~11世紀)の石碑のなかで
最古の石碑群。
ずーーっと行ってみたかった場所です。
それらは、
「山上碑(やまのうえひ)」(681年。「壬申の乱」の9年後!!)、
「多胡碑(たごひ)」(711年)、
「金井沢碑(かないざわひ)」(726年)と呼ばれています。
三碑の記録形態は、
上野国に住み着いた
朝鮮半島からの渡来人がもたらしたもので、
かれらとの密接な交流の中で、
当時の都(飛鳥、奈良)から
遠く離れた地元の人々によって
文字で刻まれたものです。
「山上碑」は、日本語の語順で漢字を並べた
最古級の歴史資料。
「多胡碑」は、
その文字が遠く中国にまで知られていました。
「金井沢碑」は、
この地での仏教の広がりを刻んでいます。
「多胡碑記念館」で
しっかり
おべんきょしましょう!!
(
「多胡碑」のご朱印、
無料でいただいちゃいました)
「多胡碑」の南(徒歩5分)には
「上野国 多胡郡正倉跡」が。
この
二つの位置関係には
意味があるでしょう。
(歴史好きの方ならビビビッとくる
「山名」の名。
あとで
この地域のキーワードになります)
戦後、この貴重な文化財を
米軍の接収から守るために
地元の人が土に埋めていたとは!
「文字」というのは
人類のたゆまぬ歴史でもあり、
壮大なるロマンがありますなー。
「多賀城碑」(762年)に行けば
東日本の古碑はコンプリートかぁ。
いつか行かねば。
栃木県大田原市にある
「那須国造碑」(700年)は
日本で3番目に古い石碑ですが、
なんと、
この
国宝(の下の方)を
触らせていただいたことがあります。
(もちろん自分から申し出たわけではなく、
あくまでも当時の宮司さんのご厚意です!)
「上野三碑」のレプリカも
本当に神々しく
身応え十分。
このあと
実物を見に行く
「多胡碑」。
完全な形で現存する
日本最古の石碑!!
「山上碑(681年)」。
「群馬」という文字が
群馬県内で初めて使われた
「金井沢碑」。
(
「君 羊 馬」と3文字で書いてあります。
「ぐんま」は古代
「くるま」と呼ばれ
「車」と表記していましたが
大宝律令の
「地名は2文字で」という
規則に則り2文字になりました)
(
江戸時代、洗濯石として使われた、
なんていう話もあります...)
「古碑のへや」へようこそ。
日本最古の石碑(不完全な形)は
架橋記念碑として建てられた
京都府宇治市
「宇治橋碑(646年)」。
(
一番左側の石碑。上部しか現存していません)
国宝「那須国造碑」(700年)。
多賀城の創建と改修を伝える
国宝「多賀城碑」(762年)。
まだ
「上野三碑」の
一つめも見ていないのに
だいぶ時間を食ってしまいました!!
(もっと時間をかけたかった)
いよいよ
新しい郡を作った記念の石碑「多胡碑(711年)」へ。
1300年の時を一気に
飛び越えます!
「多胡碑」の保存・管理に尽力した
群馬の初代県令、
楫取(かとり)素彦(奥さんは吉田松陰の妹!)の歌碑。
いい歌です。
ぐるぐるまわって
ガラス越しに、
奇跡のように残ったこの石碑を
さまざまな角度から
ひたすら眺めました...。
本来、
このような古碑は
至る所にあるんだと思います。
いつか、土の中から
すごい石碑が見つかるといいなー。
公園内では
セミの大乱舞!!
スズメのように、
数十匹が飛んでいて
わたしにバシバシ当たってきます。
セミは大好きなんですが
おしっこをかけられたくなくて
警戒しながら
この美しい景色を
楽しみましたー。
(...続く)
Posted at 2025/08/03 15:35:31 | |
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歴史 | 日記
2025年07月27日

終戦に気づかないまま
2年間も木の上で生き抜いた
2人の日本兵の実話に着想を得た
井上ひさし原案の同名舞台劇を、
堤真一と
山田裕貴の主演で
映画化した本作。
太平洋戦争末期の
1945年。
沖縄県伊江島に米軍が侵攻し、
激しい攻防の末に
島は壊滅的な状況に陥っていた。
宮崎から派兵された
山下一雄少尉と
沖縄出身の新兵・
安慶名セイジュンは
敵の銃撃に追い詰められ、
大きなガジュマルの木の上に身を潜める。
圧倒的な戦力の差を目の当たりにした山下は、
援軍が来るまでその場で待機することに。
戦闘経験豊富で厳格な上官・山下と、
島から出た経験がなくどこか呑気な安慶名は、
噛みあわない会話を交わしながらも
2人きりで恐怖と飢えに耐え続ける。
やがて戦争は終結するが
2人はその事実を知るすべもなく、
木の上で“孤独な戦争”を続ける。
事実は小説よりも奇なり。
この事実、忘るべからず。
Posted at 2025/07/27 21:15:48 | |
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映画 | 日記
2025年07月21日
先日、
我が家の
リビングのエアコン、
そして
オーブンレンジが、
ほぼ同時に故障...。
ケーズデンキに行ってみると
ハイアールのエアコン
「huu」が
「2025年3月1日 発売」 で
「14畳用」で
お値段ナント、
96,026円(税込)。
はい、即決です。
(部屋も暑いし...)
【 JAA-CS405AK2-W [ホワイト] 】
お次は、
オーブンレンジ。
こちらは奥さま御自ら
買いに。
東芝
電子レンジ・オーブンレンジ
石窯ドーム ER-D70A(W) [グランホワイト]
32,280円(税込)。
Posted at 2025/07/21 21:36:33 | |
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買い物 | 日記