2026年01月25日
近すぎて
興味はあっても今まで行ってなかった
「道の駅 川口・あんぎょう」。
川口市の伝統産業である
植木・園芸・造園産業の拠点施設と
なっています。
約400年の歴史をもつ植木の生産地、安行。
周辺を走っていても
起伏に富んだ地形と、
その変化にあったさまざまな植木が見られて
楽しいドライブになります。
お次は
「密蔵院」に行くときには
絶対に寄ろうと思っていたお店
「トムズハウス スープパスタのお店」。
これは、おいしい!
体が温まるー。
「密蔵院」はすぐそば。
ここも起伏が激しく
わたし好み。
いい雰囲気の
参道。
「山門」は
1884(明治19)年に
薩摩藩・江戸中屋敷の門(中門)を移築したもの‼
(薩摩藩・江戸中屋敷正面の「大門」はかつての国宝。
しかーし。空襲で焼失! 無念!)
勝先生や
西郷どんも通ったのかと想像すると
感慨深いものが...。
「ご本堂」までは
「四国八十八ヵ所のお砂踏」の参道!
一カ所ずつ
確実に
踏みしめていきます。
ご本尊の
延命地蔵菩薩は
慈覚大師円仁の作。
「平将門が
肌身離さずに持っていた念持仏」と
伝えられています。
最後は
ご朱印で人気の
「九重神社」。
クルマで上まで登れますが
すごーい急坂!!!
車高が低いと
下りは確実に
バンパーこすります!
ご注意を。
樹齢500年以上の「スダジイ」が
2本も!
圧巻!!
これが
ご朱印にもなっています。
裏手の
「御嶽山」へ。
安行で最高峰の山。
登頂!
見晴らしがいい。
少し待ちましょう。
寒い日は
「待合室」がありがたい。
ご朱印拝受。
終戦後、
人心は混乱し、
境内は浮浪者のねぐらと化し、
失火で社殿が喪失、とな!!
今度は
この近くにある
「赤山陣屋跡」を訪れる予定。
(もうだいぶ下調べ済み)
10代にわたり
江戸幕府の代官として
約30万石の領域を支配した伊奈家は
「関東郡代」の名で
人々から慕われていました。
関東の関所の運営から
「利根川東遷」「荒川西遷」
各種新田開発などの
大開発を指揮した
その
絶大な権力は
ここ、
川口の陣屋で育まれていきました。
(
「伊奈の陣屋」は、
この
赤山の陣屋以前の拠点。
「伊奈の陣屋」もだいぶ下調べをしたので
そろそろ行ってみたい。
あー、楽しみ!)
Posted at 2026/01/25 20:07:51 | |
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神社仏閣 | 日記
2026年01月18日
「関宿城博物館」で
博物館セミナー
「野田市の馬頭観音信仰」を受講。
馬頭観音さまの背景知識を身につけ、
またまた
お参りしなければならない
場所が増えました。
(これがまた楽しみ!)
【 野田市の馬頭観音信仰 】
「馬」は
自動車や重機が普及する現代まで
戦い・農耕・工事、運送など
様々な仕事を担う大切な働き手でした。
江戸期より
馬頭観音を
馬の守護神とする
民間信仰が広がり、
飼い馬の墓標や
運送業者などの
講集団が
馬頭観音塔を造立することが
定着していきます。
野田市内に残る
馬頭観音塔や
絵馬などから、
江戸期の馬との関わりを推察します。
<馬頭観音の特徴>
◆
頭の上に馬の頭を冠のように乗せている。
馬が草を食べるように煩悩を食べ尽くし災難を取り除く。
◆
「馬口印(まこういん)」を結んでいる。
これは
馬の口を模した印相。
◆手には
煩悩を打ち砕く剣や斧、棒を持っている。
あと、
「明王さま」と違い
「菩薩さま」は膝を出さない、というのも
新たに学習。
江戸期の
下総台地には
幕府直轄の牧場(まきば)
「小金牧(五牧)」「佐倉牧(八牧)」が
ありました。
こちらも、今まで以上に詳しく
追っかけて行こうと思います。
まずは、流山の
「長流寺」に行かねば。
ここは、
新選組の駐屯地にもなったので
10年前にお参り済み。
こちらにはなんと、
慶長12(1607)年の
馬頭観音の石造物があります。
か、かわゆい♪
Posted at 2026/01/18 19:28:45 | |
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博物館 | 日記
2026年01月17日
Posted at 2026/01/18 00:12:16 | |
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神社仏閣 | 日記
2026年01月12日
Posted at 2026/01/12 17:05:34 | |
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カフェ・喫茶店 | 日記
2026年01月12日
「鑁阿寺」といったら
まずはこの
「太鼓橋」。
本当にいつ来ても
心が安らかに
温かくなります。
今回は
左に折れて
「大日茶屋」へ。
おすすめのメニューは、
「足利シュウマイ」‼
これが、うんまい!
玉ねぎと片栗粉でできたシュウマイで、
たっぷり、ピリ辛のソースをかけて
食べるのが
足利流。
ぬぬっっ。
お主。何者。
「足利学校」へ。
「足利学校」は、
日本で最も古い学校として
知られています。
「足利学校」の創建については、
奈良時代の国学の遺制説、
平安時代の小野篁説、
鎌倉時代の足利義兼説などがありますが、
歴史が明らかになるのは、
室町時代の永享11(1439)年、
関東管領・上杉憲実(のりざね)が、
現在国宝に指定されている書籍を寄進し、
鎌倉円覚寺から僧・快元を招いて
初代の庠主(しょうしゅ=校長)とし、
足利学校の経営にあたらせるなどして
学校を再興してからです。
「足利学校」は、
応仁の乱以後、引き続く戦乱の中、
学問の灯を絶やすことなくともし続け、
学徒三千といわれるほどに隆盛し、
天文18(1549)年には
イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルにより
「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と
世界に紹介されました。
(正一位 霊験稲荷社)
江戸時代の末期には
「坂東の大学」の役割を終え、
明治5年に幕をおろしました。
「足利学校 遺蹟図書館」。
「江戸時代における儒教のひろがり」を開催中。
『庭訓(ていきん)往来』。
版元は、蔦谷さん‼
北斎さんの絵!
有名な
「字降松(かなふりまつ)」。
学生が読めない漢字が出た時に
紙に書いて松に付けておくと、
校長先生がふりがなをや注釈を付けてくれたので、
「かなふりまつ」と呼ぶようになったそう。
「孔子廟」。
「南庭園」。
これは、おもしろい資料!
江戸時代の「足利学校」の
最も重要な仕事。
それは、年初に
徳川幕府へ1年間の占いの結果を
献上すること‼
(戦国時代から、
「足利学校」で易学を修めることは
ステータスでした!)
「北庭園」。
こちらの方が、
「南庭園」より格が高い。
明治維新後、
足利学校の貴重な蔵書は
役場に移され、放置状態。
払い下げ事件も起きたため、
南画家の「田崎早雲」を中心に
蔵書の返還要求運動を展開。
ついに
蔵書は
返還されました!
はやく
「草雲美術館」に行かなきゃ。
「衆寮」。
1700年代半ばの姿に
復元された
学生寮。
薪の収蔵庫。
「木小屋」。
「土蔵」。
「庠主廟」。
「裏門」。
いや~、
実にいい時間を過ごしました。
Posted at 2026/01/12 16:27:08 | |
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神社仏閣 | 日記