2026年09月27日
「麻賀多神社」は
由緒ある
延喜式内社。
印旛郡市に18社ある
「麻賀多十八社」の総本社です。
今から1700年余前、
印旛国造(当時の大和朝廷の地方長官)であった
伊都許利命(イツコリノミコト)が、
現在の地に
麻賀多神社大神として崇め、
以降、
近隣の
麻賀多十八社の本宮として、
また
地元の鎮守様として
広く崇敬されています。
平安時代中期に制定された
国家の法制書である
「延喜式」神名帳には、
国幣社・麻賀多神社と記されている
延喜式内社。
往時、
勅使として
大伴家持(おおとものやかもち)も
参拝されています。
境内左奥にある、
東日本一の大杉(御神木)は、
樹齢1300有余年、
昭和10年、
千葉県の指定記念樹第一号に指定されました。
樹高 約40メートル、
幹回り 約8メートルの巨木。
古来より
御神木には
心霊が宿っていると言い伝えられ、
延命長寿のご利益を授かることでも有名です。
「天日津久神社」。
お次は
ずっとお参りしたかった
「宗吾霊堂」へ。
正しくは
「鳴鐘山 東勝寺 宗吾霊堂」といいます。
成田といえば
「新勝寺」が
真っ先に思い浮かぶと思いますが、
「新勝寺」は、ここ「東勝寺」より
新しい寺という意味で、
この名がつけられているんですよ。
約10万平方メートルの広さに、
年間参詣者は
約250万人の人々が訪れる
霊場です。
桓武天皇の時代に、
征夷大将軍・坂上田村麻呂が
房総を平定し、
戦没者供養のため建立された
真言宗豊山派の寺院です。
我が国の代表的義民として有名な
佐倉宗吾(本名:木内 惣五郎)は、
今から370年前に
佐倉藩国家老による暴政のため
領民の救済を4代将軍・家綱公へ直訴し、
その罪により
公津ケ原刑場で磔刑に処せられました。
この時、
当山の
住僧・澄祐(ちょうゆう)和尚は
遺骸を刑場跡に埋葬されました。
その場所が
まさに、ここ。
惣五郎の処刑後、
佐倉藩はその失政を悔い、
宝暦2(1752)年、
百回忌の時に
堀田正亮(まさすけ)公は
宗吾道閑居士の法号を諡号しました。
以来、
惣五郎は
宗吾様と呼ばれるようになり、
寛政3(1791)年、
堀田正順(まさなり)公は
徳満院の院号と
石塔一基を寄進しました。
威厳のある
堂々たるご本堂!!
ちょっと鳥肌立つくらい、の迫力。
ご本堂、裏。
上野寛永寺にお成りの
将軍家綱を待ち受け、
一間の竹の先に挟んだ訴状を差し上げて
名乗りを上げた、
惣五郎48歳。
惣五郎自身は取り押さえられて拘束されましたが、
訴状は幸いにも取り上げられ、
宗吾の命を賭した訴えで
佐倉藩領の苛政は改められたといいます。
しかし
宗吾は死罪と決定。
名主たちの助命嘆願も認められず、
翌年8月3日、
惣五郎と妻は磔獄門、
4人の子供も打ち首となったと伝わります。
この行いについて触れた
福沢諭吉は
「余輩の聞くところにて、
人民の権義を主張し正理を唱えて政府に迫り、
その命を棄てて終わりをよくし、
世界中に対して恥ずることなかるべき者は、
古来ただ一名の佐倉宗五郎あるのみ。
(中略)もって世人の亀鑑(きかん)に供すべし。」
(
「学問のすゝめ」七編・国民の職分を論ず)と、
史上最高の「義民」として称えています。
また、
日本初の「公害」事件として名高い
足尾銅山鉱毒事件で、
国と戦い続けた
田中正造は、
佐倉宗吾を
自らの行動指針としたといわれます。
足尾銅山の汚染を
国会等で訴えるも取り合われず、
川俣事件などの弾圧事件も起きて
手をこまねく正造に、
毎日新聞の主筆・石山半山は
「貴方はただ佐倉惣五郎たるのみ
(貴方は佐倉宗吾のように行動するしかないよ)」、と促します。
正造は国会議員の職を辞し、
1901年、
明治天皇の馬車を待ち受けて
直訴状を手に駆け寄りました。
渡良瀬流域の民を救うための決死の行動は、
まさに
印旛沼流域の民を救うため直訴した佐倉宗吾と
重なります!!
最後は
「宗吾旧宅」へ。
義民宗吾様の生家です。
最後の手段(将軍家に直訴)を決意した惣五郎は
公津村に戻り、
家族に後難が及ばないように
妻を離縁し、
幼い4人の子供たちを勘当しました。
屋敷内にある、ここ
「椿井」で
妻子との
別れの水盃を交わしたといいます。
(
1912(明治45)年頃の
惣五郎生家)
今も
宗吾17代目のご家族がお住まいです。
Posted at 2026/09/27 16:55:15 | |
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神社仏閣 | 日記
2026年09月22日
過去のブログを見返してみて
次女との落語は
約10年ぶり。
数カ月前、
「今度落語に行きたい...」と言われ、
「おー、昔行ったのを覚えているんだなー」と思いきや、
その理由が
落語会で
噺家さんの質問に
観客みんなが答えるときに
判明します...。
じゃん。
この漫画。
有名なんですねー。
『あかね噺』。
ということで、
行ってきました。
「ウェスタ川越」。
『特撰落語会 小遊三・たい平 二人会』。
(たい平さんは、時間があれば
文化放送「林家たい平 たいあん吉日!おかしら付き♪」を
毎週日曜日に聞いています)
ランチ。
パッとしない天候や
パッとしない(国内外の)政治情勢、
パッとしない事件・事故だらけの世の中ですが、
落語は頭を適度にほぐして
リラックスさせてくれますね!!
◆
咲太朗さんは、なんとご本名。
そんでもって、なんと
たい平さんの息子さん!
お上手でした。
◆
たい平さんは今や、
武蔵野美術大学 客員教授。
◆
落語の世界観を壊すからと
実に
徹底的に「スマホの電源OFF」を促す
スタッフの姿勢に感動!
◆
演者さんも、ユーモアたっぷりに
「スマホの電源OFF」をお願いしてきます。
嫌味ではない。
本当に心地よい世界。
◆
現実社会も
「〇〇禁止!」のみの
ギスギスしたものから
脱したいですなぁ~。
Posted at 2026/09/23 15:33:00 | |
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お出かけ | 日記
2026年09月13日
昨日は
わが家が今はまっている
「iクレーン 越谷店」へ。
実に
多種多様なクレーンゲームが揃っており、
日用品、食品、飲み物などの景品が
獲得しやすくなっています。
冷凍、冷蔵食品や
野菜や果物、パンなども。
100円で。
こんなのや。
こんなのも。
この日の収穫!
お次は
北越谷の
ここに行こうと思ったら
開店時間になっても
開いていなかったので。
急遽、
そばにあった
「クチーナ伊和乃介」に変更。
ふわっふわ卵の
オムライス。
サラダとコーヒーも。
いい店発見!!
「パブレストラン サンゴ+喫茶」。
金曜・土曜の昼は
喫茶もやっているそうなので
近いうちに行きます‼
Posted at 2026/09/13 22:04:44 | |
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カフェ・喫茶店 | 日記
2026年08月30日
日光例幣使街道沿いにある
割烹中華そば店
「中華そば とちの葉」へ。
わたしの好きなお店なのですが
家族に紹介。
「熟成醤油そば 特製別皿付」を注文。
カウンター8席のみの
小さ~な割烹スタイルの
中華そば店ですが、
おいしいですよー。
さて。
お次は。
お隣の
「嘉右衛門町伝統的建造物群保存地区拠点施設
ガイダンスセンター」へ。
今日の大河で
勝家とお市の方とは
お別れですね...。
八津弘幸さんの脚本。
「半沢直樹」
「流星ワゴン」
「家政夫のミタゾノ」
「陸王」
「VIVANT」
「豊臣兄弟!」などなど!!!
帰りは
「おたちゅう 小山店」に立ち寄り。
店内は大混雑‼
いろんな
日用品が
ここで揃っちゃいます!
たったの
300円(3回チャレンジ)で
2,400円分GET!
200円で
600円分。
よき一日でした。
Posted at 2026/08/30 19:29:20 | |
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お出かけ | 日記
2026年08月15日
中山道の最高地点、
標高約1600mの
難所が迫る
「和田宿」へ。
「和田峠」は
五街道の中でも
最高地点!
松本市から
美ヶ原高原の脇を抜けて
「和田宿」へ向かいます。
(
アザレアライン+
ビーナスライン)
まずは
「道の駅 和田宿ステーション」。
奥さまと次女は
「和田宿温泉 ふれあいの湯」へ。
わたしは
思う存分に
「和田宿」を一人歩き。
中山道の最高地点にして
最大の難所といわれた
「和田峠」を控えた
「和田宿」。
(
「和田宿 本陣」裏の駐車場に駐車)
なんだか
ワクワクしてきました。
標高差約800mの峠越えに備え、
ここで
多くの諸大名や旅人が
英気を養いました。
旧道沿いには
国指定史跡の「和田宿本陣」
「歴史の道資料館 かわちや」
「大黒屋」などが並び、
往時の人々の息遣いを
現代にも感じさせてくれます。
「和田宿 本陣」。
(残念ながら
営業時間終了の16時に着いたため
中は見られず)
「和田宿 本陣」ほか宿場の大半は、
文久元年(1861)3月の大火で
一度焼失しましたが、
同年の11月には
皇女和宮の降嫁が控えていたため、
幕府からの2千両(約2億円)もの援助と
住民の努力により、
見事に町並みを復興させ、
この大行列を
無事に迎えることができました。
現在、本陣には、
板葺き石置き(1633個の石)屋根が
特徴的な
居室棟が残っています。
昔の面影が十分に残っているので
歩きながら
にやけてしまう。
歩いているのは
わたし一人。
宿場町、独り占め。
「信定寺」へ。
歴史の重みが
そこかしこに...。
京都方面。
「出桁(だしげた)造り」。
実際に泊まれる建物もあります。
Posted at 2026/08/15 22:00:50 | |
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歴史 | 日記