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レッズレノンのブログ一覧

2022年12月31日 イイね!

「鎌倉殿の13人」、ゆかりの地を訪ねる。(長沼宗政 編・最終回)

「鎌倉殿の13人」、ゆかりの地を訪ねる。(長沼宗政 編・最終回)

いよいよ、

長沼宗政公のお墓へ。





「宗光寺」弁天堂を抜け

東へ。







もう、この写真の中に墓地が写っています。


ずんずん歩いて

お堂が見えてきた。


後ろを振り返ると

宗光寺の森。


東南方向には

筑波山。


たぶん、ここだな。


やっと、来られました。


最初にお堂をお参りしました。



780年余の長い年月、

風雨に耐えてきたんですね。


宗政公は

1240年に

79歳で

ここ長沼庄で亡くなったと伝わります。


お疲れ様でございました。








帰りには

延喜式内社の

高椅(たかはし)神社

ご朱印をいただきます。

(何度か参拝していますが、
宮司さんのお宅にお伺いすればご朱印をいただけるようなので
トライ)





1029(長元2)年、

境内に井戸を掘ったところ大きな鯉が出たので、

これを都に報告したところ、

時の後一条天皇は誠に霊異なことであるとして

「日本一社禁鯉宮」の勅額を授けました。



以来、当社の氏子は鯉を食べず

鯉の絵が描かれた器は使わず

5月に鯉のぼりも立てません



このことから

当社には鯉の明神の別名があります。

(お宮が火事になったときは
そばの田川に鯉の大群が現れ
神社へ水を吹きかけて助けたそう)



中世には

下総国結城氏の保護下に置かれ、

歴代当主によって保護されていました。



結城政朝、結城政直、結城政勝、結城晴朝、結城秀康、

各城主の

寄進状、祈願文、修行留等20通余が現存します。



秀康が

越前福井へ国替になった後も

代々例度の代参を欠かすことがなく、

明治維新まで続けられました。





(お賽銭箱の横に

宮司さん宅の電話番号が貼ってある、

というような情報もありましたが

そのようなものは一切なし)









何度かお参りしていますので

「今日こそご朱印をいただくぞ」という強い意志のもと

ネットで宮司さん宅の電話番号を調べ

早速お電話。


すると、

宮司さんのお母様らしき方が電話に出られ


お母さま:「このまま電話切らないで、

その駐車場出て、参道歩いて。

楼門わかるでしょ。その楼門まで来て」


わたし:「あ、はい」

「今向かっています」


お母さま:「楼門まで来た?

東に入口があるからそこから境内を出て。

(この時点で、私は東がどちらになるのか判別がつかず)」


わたし:「はい。今楼門のところです」


お母さま:「楼門まで来た?

いま、大きな車が出ていったでしょ。

そこを出て。」


この日はとても風が強い日でしたので

お母さま:「もう風が強くて飛ばされちゃうから早く来て―。」

わたし:「は、はい」


出口の方を見ると

広ーい田んぼの向こうにある

一軒家の入り口で

手を振っているお方を発見!!


私もうれしくなって

「わ、わかりました!

すぐに行きます!!!」


お母さま:「このまま歩いてくると

帰りも大変だから、駐車場まで戻って

車で来なさい」


見事に、的確に

リモートコントロールされていた

わたくし、なのでありました。


お母さま、ご親切に

いろいろとありがとうございました。




ついに、

念願の

ご朱印拝受。

(真ん中のご朱印は、なんと
神代文字で「タカハシノオヤシロ」と書かれた
全国的にも珍しいものです)



ご神饌としていただいた

おせんべいも

おいしくいただきました。


ありがとうございました!!



Posted at 2022/12/31 22:10:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記
2022年12月31日 イイね!

「鎌倉殿の13人」、ゆかりの地を訪ねる。(長沼宗政 編2)

「鎌倉殿の13人」、ゆかりの地を訪ねる。(長沼宗政 編2)

「鎌倉殿の13人」、ゆかりの地を訪ねて。

長沼宗政 編、その2。






「長沼八幡宮」を後にして向かったのは

長沼宗政ゆかりのお寺「宗光寺」

「長沼淡路守宗政」のお墓


「宗光寺」の駐車場にクルマをとめて。




「大門」へ。

明治の大火を免れた建物の一つで、1832(天保3)年建立。








屋根が変わっているなー、と思ったら

大谷石の石瓦葺きでした。


石瓦+苔の迫力たるや。


先ほどの地図で気になった

「薬師堂」からお参りしましょう。


この細道の先に。


すばらしい景色!






ちょっと感動しました。


「宗光寺」ご本堂へ。


「宗光寺」

848(嘉祥元)年、慈覚大師・円仁により、

関東の比叡山として開基。


その後、1190(建久1)年に

長沼宗政

源頼朝の本願により

鎌倉大御堂を遷し、新御堂を建立。



中世において

喜多院(川越市)金鑚寺(埼玉県児玉郡)と並び、

関東の3大学問所として

関東天台宗寺院の頂点に立っていただけあって

関東十八檀林に通じる、格式・豪壮さを感じます。

(近世では、関東二僧正寺の一つ、
また天台宗十檀林の一つとして隆盛を極めました。

宗光寺は、長沼談所として
中世より近世に至るまで、僧侶の教育機関である談林だったわけです)


宗光寺は僧正寺の格式も有し、

天海さん

1609(慶長14)年、ここ宗光寺で

権僧正に昇補しています。

1603(慶長8)年、宗光寺に入山した天海さんは、
翌年、宗光寺二十世の法統を継ぎました。
その際、法弟弁海法印への返章で、
宗光寺について次のように述べています。

「謹答当山は帝王の御願寺源頼朝の再興になり、
東関諸精舎の冠たり。
善知識(高徳の僧)でなければ住することを得ない。
まさしくそれは、獅子の窟中に他の獣が住めないのと同理である。」)



本堂を左側に折れると、

何やら「土塁」が。


立ち入り禁止の先には

「堀跡」のようなものも。


そう、ここは

長沼氏が長沼城に移る前の居館跡なのです。


ちなみに「長沼城跡」は

稲城長沼駅と稲城駅の中間にありますね。


寺務所でご朱印をいただきましょう。


このお寺には、

強欲だった村人の亡骸を奪いに来た鬼を

時の頼真僧正が法力で退けたという「鬼の爪」伝説があります。


その際、

鬼は頼真僧正の独鈷に噛みつきましたが、

法力に負けて爪を落として退散した、と言われます。




食いちぎられた「独鈷」と「鬼の爪」は、現在も同寺の秘宝箱に現存しています!!



大迫力のご朱印、拝受!



長くなりましたので、

「長沼宗政」公のお墓参り、に続く...。



関連情報URL : https://soukou-ji.com/
Posted at 2022/12/31 17:36:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記
2022年12月25日 イイね!

「鎌倉殿の13人」、ゆかりの地を訪ねる。(長沼宗政 編)

「鎌倉殿の13人」、ゆかりの地を訪ねる。(長沼宗政 編)

本日は寒風吹きすさぶなか、

栃木県真岡市「長沼」まで

ドライブ。




「鎌倉殿の13人」最終盤で

やっと存在感が出てきて

中の人の知名度もアップした人物

ゆかりの地です。

(というか、終盤にやっと気づいてもらえた感じ)







「坂東一の暴言王」とも称される

その人の名は

長沼宗政





藤原秀郷を祖とする

小山政光の次男である宗政が

長沼に領地を得て

長沼氏を称した
のが始まり。


宗政の兄・朝政は小山氏

弟・朝光は結城氏を称し、

小山・長沼・結城の三兄弟は

鎌倉御家人として

頼朝にとても近い位置で仕えていました



ただ、

宗政は

三代将軍・源実朝を「蹴鞠をしたり武芸に劣り女のようだ」

と言ったり、

しばしば激昂する気性の荒い人物で

言葉も悪かったと伝えられ、

『吾妻鏡』によると、「荒言悪口の者」と評されています。


「悪太郎宗政」の呼び名は

文献にも残されています。



まずは

長沼庄総鎮守である

「長沼八幡宮」を参拝しましょう。





駐車場に車をとめると

何か違和感を感じます。



郵便局との境もないし、

参道も境界があいまい、

敷石なども一切なし。



しかも、すんごく長ーーーーい。



あとでわかりますが、

かつて参道では

鎌倉時代から昭和中頃まで

流鏑馬が行われていました。



宗政は、1207年、

御厩(おうまや)奉行(軍馬の管理役)を命じられ、

その後、長沼氏は

下野国御厩別当職を

代々相伝するのです。

熟練した馬の専門家の一族だったんですね。












参道を振り返る。






なんと、

「御成敗式目」の条文が書いてある

御朱印があるではないですかっっ!!

(「承久の乱」で長沼氏は
北条泰時軍(東海道軍)に従軍して活躍)



これはぜひ、いただかなければ。


拝殿の上には、なぜか「プロペラ」が。


(社務所で聞くと、満州から持ってきたものだそうで
「八八式偵察機」のBMW製プロペラ
機体の製造は「川崎航空機」)







「弥陀八幡」(旧 本地堂)










このあと

長沼宗政ゆかりのお寺「宗光寺」

「長沼淡路守宗政」のお墓

お参りに行きます......。


(続く)





Posted at 2022/12/25 23:30:59 | コメント(2) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記
2022年12月18日 イイね!

「昭和天皇が語る 開戦への道 後編 日中戦争から真珠湾攻撃 1937-1941」

「昭和天皇が語る 開戦への道 後編 日中戦争から真珠湾攻撃 1937-1941」

ETV特集
「昭和天皇が語る 開戦への道 後編 日中戦争から真珠湾攻撃 1937-1941」




昭和天皇の本音がのぞける本番組。


「”勢い”というものは実に恐ろしい」

「勢いが勢いを作って、人力ではどうにもいかなくなる」


などなど、「勢いに流されてしまった」という悔恨が

数多く述べられます。


「私など、戦争を止めようと思っても

どうしても勢いに引きづられてしまった」
という

昭和天皇のお言葉は

けっこうショッキングです。


最高権力者、大元帥の意向さえ

簡単に無視されてしまう組織構造の恐ろしさを

突きつけられます。



昭和天皇が

「私は戦争に反対だった。現に開戦の詔勅には

『豈(あに)朕(ちん=天皇陛下)が志ならむや

(このような事態は、私の本意ではない)』


と書いたではないか」と述べられます。


が。


初代宮内庁長官の田島は

「そのようなお言葉は、過去の詔勅にも

クリシェのように使われていたものであり、

そんなに戦争をおやめになりたかったのならば

開戦の詔勅などにサインしなければよかったのでは
」と

(やんわりと)反論しています。



これは実に

「ああ、戦後なんだなぁ」「健全な姿だなぁ」

というエピソード。





昭和天皇の国内、海外の現状分析は的確で

明解でしたので、

戦争を止められる機会は何度もありましたし、

実際に工作活動(根回し)に入っていたものもありました。


ここには、希望、うれしさを感じます。


ただただ、

軍部のいいなりに流されてきた昭和天皇という

イメージを覆すには、

十分な証言内容、第一級の史料を紹介する

良番組でした。


<おまけ>
昭和天皇の側近で
木戸幸一(きど こういち)なる人物が出てきました。

東條英機を内閣総理大臣に推薦するなど、
太平洋戦争前後の政治に関与した人物です。

木戸でピンときた方は多いと思いますが、
そう、彼は木戸孝允(桂 小五郎)のお孫さんです。

戦後の音声も残っており
実に張りのある大きな声のお方でした。





Posted at 2022/12/18 18:51:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2022年12月16日 イイね!

思った以上に John & Yoko があふれる『月の満ち欠け』。

思った以上に John & Yoko があふれる『月の満ち欠け』。
かつて

ポール・マッカートニーが

「無人島に持って行くならどのレコード?」という

BBCラジオでの質問に答え、

ジョン・レノンの「ビューティフル・ボーイ」をあげました。

(1982年のことなので「レコード」ですね)





わたしがこの問いを聞かれたのなら

迷わずに

ジョン・レノンの「ウーマン」と即答します!



それほどまでに大好きなこの曲が

ある映画の予告編で流れたときには

体がビビビッと来ました。



その映画が、これ。

『月の満ち欠け』。





映画の中でこの曲を

3度も聞くことができて

大満足。




(ユナイテッド・シネマの「会員デー」+
9:50からのファーストショーなので
通常価格の「800円安」、
1,100円で鑑賞。

朝早くから映画を観る人なんか
あまりいないだろうと思いましたが、
チケットカウンターには長蛇の列でビックリ。
事前に購入しておいて大正解でした。

『月の満ち欠け』は、私以外は
すべて女性客、という初めての体験も...)



映画のキーの一翼を担う曲が

なんと

オノ・ヨーコの「Remember Love」


「これ、どのアルバムに入ってたかなー??」と

全然思い出せず、

帰宅後調べたら

「Two Virgins」でした。


どおりで、あまり聞いていないわけだ。



************************

「Remember Love」 和訳

愛を思い出して 愛を思い出して
歌うのに必要な愛を

愛を思い出して 愛を思い出して
出会うのに必要な愛を

愛を思い出して 愛を思い出して
生きるのに必要な愛を

愛を思い出して 愛を思い出して
夢を見るのに必要な愛を

************************


うん、確かに

映画のテーマと

共鳴してる。



1980年頃の

高田馬場駅周辺の景色、

街中を走る車たち も

とってもいい感じ。





佐(すけ)殿、

公暁殿も

大活躍の映画です。

(「公暁殿」は劇中、
「なんか見たことある、個性的な俳優さんだなー」と思っていた人が
エンドロールの「寛一郎」の文字を見て判明)



この映画、

私が大好きな

「思いをつなぐ」系の作品でした。


鑑賞後、

あなたの奥さま、

お子さまへの

見方が変わるかも?! という

作品でもあります。




Posted at 2022/12/16 16:03:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | 映画 | 日記

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