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レッズレノンのブログ一覧

2024年04月21日 イイね!

念願の「赤松宗旦 旧居跡」へ!

念願の「赤松宗旦 旧居跡」へ!わたしの大好きな書物

『利根川図志』


著者は

「赤松宗旦(そうたん)」


いつか必ず手に入れたい和本です。




このたび

赤松さんの復元生家

やっと見に行けました。



前日に

手持ちの iPhone 7

iPhone 15に変えていたため

なんと、外ではインターネットにつながらず、

宗旦さんの家が「徳満寺」のそばにあるのは

何度も地図で確認済みだったのですが、

肝心の「Googleマップ さま」が開かない!

(原因は、「PNP認証の失敗」
帰宅後、y.u mobile の「APN構成プロファイル」をダウンロード、
インストールしたら、あっさり開通)



お寺の方に

「今日スマホが使えないので

お手数ですが、赤松宗旦旧居跡まで

どう行けばいいか教えていただけますか」と質問。


そしたら、なんと

ご住職の奥さま

お寺の参道脇にある

趣き深い石段を降りて、

行く道がはっきりわかる場所(下の地図の星印)まで

連れて行ってくださいました。



(まだまだ先までご案内してくれそうな雰囲気でしたので
「もうだいぶ遠くまで来てしまいましたので
ここからは1人で大丈夫です。

2本ある道の、手前ではなく
向こう側の道をまっすぐですね。

常陽銀行の向かいが『宗旦さんのお家』ですね。

ご案内、本当にありがとうございました。」
とごあいさつし、ズンズン進みます。

ふと振り返ると、奥さまがまだ見送ってくださっています。
ちょっと感動....)


スマホを持たずに

人に頼りながらの散策も

いいものですなーー!



かつての賑わいの残り香

かすかに漂う

旧道の雰囲気満載の中を歩いていくと、

自分でも胸が高鳴るのがわかります。



あった!!









宗旦は、布川に住み

医業を営むかたわら

利根川流域にまつわる歴史・伝説・地理等を調査し、

『利根川図志』として世に送り出しました。



この著書こそ、

民俗学の父ともいわれる「柳田國男」

少年時代に読み、深く感動し、

民俗学を志すきっかけとなった本なのです!







この建物は、

利根町指定文化財として一般公開しており、

室内には、宗旦の書いた利根川図志・銚子日記などの資料

展示されています。


わたしにとっては、まさに宝の山













『利根川図志』執筆の動機は、

天保11(1840)年、

老中・水野忠邦による「天保の改革」が始まり、

印旛沼の開発が計画されることによります。



それは単なる新田開発ではなく、

北浦‐鹿島灘間の運河開削

印旛沼と江戸湾岸・検見川浦間の運河開削など

東北地方の物資を積んだ船が、

太平洋から江戸に直行できる物流幹線を整備
する計画。


(実際に宗旦さんが触っていたものが目の前に!)




利根川流域の環境に与える影響は大きいでしょうね。







だからこそ

自分の故郷である利根川中下流域

自然・歴史を網羅した書物を作り、

後世に伝えようとしたのでしょう。





紹介されている地域

利根川中・下流域(現在の渡良瀬川合流地点から太平洋河口)。

(これは、さっきお参りした「得満寺」「地蔵市」の様子)


茨城県・古河市から千葉県・銚子市まで

広い流域が対象で、

各地の名所・旧跡・名産品・風土・風習などを、

多数の挿絵を交えて紹介しています。


この、挿絵がこれまたいいんだなー。



挿絵を描いた絵師も多彩。

宗旦自身が残した『雑話』には、

葛飾北斎、葛飾為斎、山形素真、湖城喜一、

玉蘭斎貞秀、一立斎広重の名が見えます。



続編については凡例に、

「而して上利根川の方、亦継で筆を起こさむとす

その考察においては、亦上武諸哲の教を期つ」とあり、

上流域を対象とした

続巻の構想を持っていたことがわかります。









(出版前の江戸町奉行との交渉の様子

出版後に誰に何冊、販売を依頼したかなどのメモ、

お世話になった方のうち、誰に寄贈したかのメモ、

出版後の販売促進の様子の日記、などなど

よだれが流れっぱなし)









続編執筆途中の文久2(1862)年

宗旦は57歳で亡くなります

ついに続編は完成しませんでした...。





しかし!

『利根川図志』出版(安政5(1858)年)後、

12,3歳の柳田國男少年の心を躍らせ、感動させ、

後の世に日本の民俗学を確立させていきます。


なんという壮大なるドラマ


宗旦の精神は、見事に受け継がれたと言ってもいいでしょう。



あ~、

本当にすばらしく

充実した時間。



このあと、

宗旦さんのお墓参りに行きます。



また、必ず来ます。



かつて河岸でにぎわった「布川」



徒歩での散策は

大正解!



興味深い建物、道が満載です。













鎌倉街道も近くを通っています。
(この道ではない)



古を感じさせる

セクシーなカーブ♪







徳川家康ゆかりのお寺

「来見寺」に着きました。





「来見寺」は、府川城主・豊島頼継により、

永禄3(1560)年に創建。

当初は、「頼継寺(らいけいじ)」といいましたが、

徳川家康の上意により

名が改められたといいます。



「来見寺」の中で

「赤門」は最も古い建造物で、宝暦5(1755)年に再建。



家康公ゆかりの寺の門ということから、

特別に赤く塗ることを許されています。



そばには

「赤門や おめずおくせず 時鳥(ほととぎす)」と刻まれている

小林一茶の句碑が。





ご朱印、左上に

「松替の里」とありますね。



これはどういうことだっ、

ということで

帰宅後、早速調査。

(家康さん。
鹿島神宮参詣の途中、当寺に立ち寄った際、
お寺に生えていた松の木をたいそう気に入ったらしい。

そこで、その松を家康さんに献上

返礼として江戸城に植わっていた梅の木が贈られたため、
「松替えの梅」として現存しているそうです(見逃したー)。)


赤松宗旦さんのお墓を

お参り。



「墓誌」には

「天明(1781~1789年)」から「昭和」までの

赤松家の方々のお名前が。



壮大な歴史も

一人ひとりの生きざまの

積み重ねですね。









Posted at 2024/04/21 13:42:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2024年04月20日 イイね!

少年期の「柳田國男」に大きな衝撃を与えた、「その絵」に会った。

少年期の「柳田國男」に大きな衝撃を与えた、「その絵」に会った。




「利根町役場」の駐車場にクルマをとめて

柳田國男さんゆかりのお寺に向かいます。






途中見つけた「琴平神社」



寛政7(1795)年から始められたといわれる

「金刀比羅神社奉納相撲」

小林一茶が見学して、

ほっこりする俳句を読んでいます。











こちらの神社、

境内が長ーい長方形で

なんだか土塁の上にある

「馬場」みたいな感じだな、と思っていたら

かつての「府川(布川)城」

「馬出曲輪」でした!







神社のご本殿脇を降りると

お隣の「徳満寺(とくまんじ)」

「ご本堂(地蔵堂)」の裏に出ます。







一茶さん

お師匠さんの一人が

ここ「布川」の出身だったので、

なんと「49回(宿泊日数 289日)」

訪れています。





「山門」から入りなおします。



かつては「地蔵市」で有名で

こんなに栄えていました!

伽藍の配置も今とまったく一緒!)















「地蔵堂」





お地蔵さまには

いつもこのご真言

唱えます。





なんとも

いい表情の

「大黒様」





「徳満寺」

元亀年間(1570年 - 1573年)、

祐誠上人によって中興。

元々は現在の門前のあたりに位置していましたが、

布川城の廃城を機に、

城跡の現在地に移転しました。



「客殿」



元禄年間(1688年 - 1703年)、

京都の六波羅蜜寺より

地蔵菩薩像が持ち込まれ、

当寺のご本尊となっています。



年に1回ご開帳が行われ、

「地蔵市」と呼ばれる市が

江戸の昔から開催。







日本最古の「十九夜塔」(右)と

「時念仏塔」(左)。















「奥の院」






さぁて。

いよいよ、

少年時代の柳田国男がこれを見てショックを受け、

後年民俗学を志すきっかけとなった絵馬を

見に行きましょう。



かつては「地蔵堂」の軒下にかけられていましたが、

いまは「客殿」にあります。









これが

「間引き絵馬」



写真だとうまく伝わりませんが、

実際に自分の目で見てみると

圧倒されるものがあります。

赤子の口をふさぐ手の力強さ

その女性の力強い意志が込められた口元

その女性の影には何と角が生えている描写...。

赤子の抜けた魂の後ろにいらっしゃるお地蔵様の

慈悲深く見守っているであろう表情は傷んでいて

もはや永遠にわかりません。

この嬰児を見て感じた

「わたしたちの心情・決意をそこに補って埋めよ」
という

メッセージのような気がします)















(...続く)



Posted at 2024/04/20 21:54:37 | コメント(2) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記
2024年04月14日 イイね!

益子「もえぎ本店」と、「幽玄桜」と。

益子「もえぎ本店」と、「幽玄桜」と。



益子にある

「もえぎ 城内坂店」

下の動画を見た瞬間。






すぐに行かねば、と

速攻で向かいました。





「鈴木佳世展」@「もえぎ本店」



「もえぎ本店」に近づくにつれ

もやにかすむような

美しい桜の姿が

浮かび上がってきます。





坂を上ると

そこは。

「もえぎ本店」



天気のせいもあるのか

人がほぼいません。

美しい桜たちを独占状態!!









店内へ!







本当に

心が安らぐ

最高の

空間!

















後ろは

益子の山の

森。







いつか

一つは

手にしたい

作品たち。

























この空間で



一度飲んでみたかったんですよね、



珈琲を。

(ここは、「漢字」の気分です)



外には

益子の森の

緑たち。

























帰りは

全成(ぜんじょう)さん

無念の最期を遂げた地を

横目に見ながら。

(台地の突端で
最期を迎えたのが、よくわかります。
夏には気づきませんでした)






Posted at 2024/04/14 16:55:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | 陶芸 | 日記
2024年04月07日 イイね!

益子・城内坂、ぶらぶらお散歩。

益子・城内坂、ぶらぶらお散歩。
青空のもと、

満開の桜

観に行きたいところでしたが、

あいにく曇天の土曜日。



そんななか、益子へドライブ。


でも、

結果的に、

人がいない穴場で

優しい雨に煙る

「幽玄桜」を見られることに

なります...。


出発が遅かったので

まずは腹ごしらえ。



創業・昭和41年「手打ちそば うえの」





温かいおもてなし

おいしいお蕎麦

ありがとうございました!



お隣のおしゃれな「G+OO」

(店内撮影禁止。
あー、いろんな方々に見てもらいたい...)





向かいの坂を上って

「益子大仏」へ。



こういう場所の

こういう古民家を改装して

住みたいなー。(totoが当たれば)







さすがは益子。

大仏様も「陶製」です!







眼下に城内坂。



先日お伺いした

「手打そば おおつか」さんを過ぎ

坂を下ります。













いろいろなお店を覗きながら

「壺々炉 益子焼&カフェレストラン」へ。



子どもたちへのおみやげに

「アロマプレート」を購入!



かわいい♪





ボルト!



レザー!



ジッパー!



すんごい質感の再現度です。



わたしの大好きな「もえぎ 城内坂店」へ。

(入場料払ってもいいくらい)

















ここで、

本店でやっている展覧会の内容を見て

ビビビと来てしまい、

少し遅い時間でしたが

本店へと向かいます。



「陶庫」にも寄らなきゃ。






(....... 続く)



Posted at 2024/04/07 19:41:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 陶芸 | 日記
2024年04月06日 イイね!

笠間、焼き物探訪。

笠間、焼き物探訪。
先日、

笠間の「玉日君御本廟(玉日姫廟)」

「鳳台院」をお参りした際の

残りをメモ。



稲田地区の採石の歴史

広く後世に伝える「石の百年館」







笠間市稲田地区を中心に採掘される

「稲田石(いなだいし)」は、

約6000万年前

地下深くでマグマが固まってできた

花崗岩(かこうがん)の一種で、

その際立った白さから

別名「白い貴婦人」とも呼ばれています。







江戸時代から石材として利用されていた稲田石ですが、

稲田地区で本格的な採石・加工が始まったのは明治22年。











大消費地である東京に近く、

良質な花崗岩を豊富に埋蔵していたことから、

国会議事堂最高裁判所東京駅など、

日本を代表する数々の建築物に稲田石が使用されました。



美しい光沢

優れた耐久性を兼ね備えた稲田石は、

時間による劣化が少ないことから、

墓石や建築材、土木用材など

あらゆる分野で幅広く使用され、

日本の戦後復興と経済発展を支えてきただけではなく、

大型石造物に適した石材として現在も人気を博しています。







「稲田石」があってこその

「笠間焼」だった!!

















「笠間工芸の丘」へ。























笠間といえば、ここ。

「回廊ギャラリー門」







「まちの駅 笠間宿」へ。





「らーめん餃子 三吉軒」







おいしかったです!





Posted at 2024/04/06 20:32:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | 陶芸 | 日記

プロフィール

「念願の「赤松宗旦 旧居跡」へ! http://cvw.jp/b/861852/47669302/
何シテル?   04/21 13:42
サッカー、フットサル、浦和レッズ、ジョン・レノン、キャンプ、ドライブをこよなく愛する50代です。
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