今日は「1日」。
毎月1日は
櫻木神社の「ついたち百菓(ももか)」の
頒布日です。
前回、2月は
10時頃に神社に着き、
これを購入。
目で口で味わい
おいしかったー。
3月は、こんなのを購入予定でしたが.....。
手にできたのは、コレ。
野田市役所での講演会に合わせ、
12時頃に神社に行ったら
見事に「う・り・き・れ」!!!
お取り置き分の袋は
何袋かありましたので
私も今度からは
予約して来るようにします!!
気を取り直し、
“野田市史集中講座 「江戸時代の関宿藩」” を聴きに
野田市役所へ向かいます。
*********************************************
野田市史集中講座「江戸時代の関宿藩」
・日時: 平成27年3月1日(日) 午後1時30分~4時15分
・会場: 野田市役所 8階大会議室
◆講演内容:
・第一部 「関宿城下町の成立と空間構成」
講師: 川名 禎 氏
・第二部 「関宿藩主久世家の家臣団の形成と展開」
講師: 榎本 博 氏
・先着150名 入場無料
*********************************************
『城下町の成立過程』と
『家臣団の形成過程』がわかるなんて、
さいこーの講演会ぢゃないですか!
第1部は『歴史地理学』という、
何とも魅力的な学問分野の先生です。
地理、地学、歴史の話が
有機的に関連したお話は、とても興奮しました。
そして、
な、なんと、
第2部の先生は、古文書を教わっている先生です。
学生の頃から10年間、
野田の市史に関わっているそうです。
城下町と言うと
「お城を含んだ、武家地、町人地」だと思われがちですが
江戸時代の「城下町」は
「町人地」だけを言います。
現状、非常にマイナーな存在の「関宿城」ですが
「分散街路型城下町」を形成していることで
とってもユニークな存在らしいのです。
関宿城の城下町は当初「6つ」あって
「谷貝町」(現在の古河市)は、お城の6km北方に存在。
「境町」の河岸は、東日本の物流拠点でした。
「台町」は大手門に対して、街道が「タテ」に付いている
「タテ町型」の町人地が形成されていますが
このような形は、古い城下町だそうです。
(のちに「納谷町」としてヨコにも伸びていきます)
その後、街道筋が付け替えられ
大手門が移動。
「江戸町」が形成されますが、
このように、大手門に対して街道がヨコに付いている
町人地が「ヨコ町型」です。
この形の城下町は、新しいそうです。
最近、『関藩年譜』全4冊中の3冊が見つかり
解読され始めているそうですので
「関宿藩」の研究は、まだまだこれからのようですね。
期待しましょう!
そーいえば、先日、NHKのヒストリアでも取り上げられた
太平洋戦争最後の首相、「鈴木貫太郎」さんの家は
赤丸部分です。
現在は「鈴木貫太郎記念館」になっています。
ブログ一覧 |
博物館 | 日記
Posted at
2015/03/01 19:35:42