(なんだかダラダラと駄文を
連ねておりますが、
もう終わりますので、ご安心くださいマセ...)
『芭蕉庵史跡展望庭園』 から
『芭蕉記念館』へ行こうと思いましたが
お腹がだいぶ空いてきましたので
深川発祥の地『深川神明宮』方面へ向かい
食べ物屋さんを捜します。
んんん。
なんか見つけた。
『高橋のらくろード』。
幼年期から青年期までを
江東区で過ごした漫画家・田河水泡さんの作品
「のらくろ」に逢える商店街です。
いかしたイラスト♪
のらくろせんべい。
ランチは、ここに決定。
地域密着の喫茶店。
ナポリタン+味噌汁+ホットコーヒー=750円!
『深川神明宮』。
「祈年祭」をやっていましたので
ご朱印は後日。
なぜここが、深川発祥の地、かと言うと.....。
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深川の地はその昔、海辺の土地でした。
慶長元年、将軍徳川家康がこの地を巡視した際、
一人の農夫に会い、
呼び寄せて地名を尋ねたところ、
農夫曰く「住むものもなき故に地名もありません」と。
「では貴方の名はなんというか」と問われ、
「深川八郎右衛門と申します」と答えると、
家康は八郎右衛門の姓「深川」を取って地名とし、
かつ、この土地を開拓するよう命じた、とのことです。
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やっと『芭蕉記念館』へ向かいますよー。
着いた。
「おくのほそ道」自筆本(複写)や
芭蕉さんが弟子に宛てた書簡(自筆)、
芭蕉さんの旅装束のレプリカなんかがありました。
後期企画展
「武家の文人―秀頼・幽斎などから定信・海舟まで―」を
やってましたので、
豊臣秀頼の書を初めて拝見。
まだまだ幼さを感じさせる
生真面目な感じの字でした。
小さい庭園もあります。
このあとも2,3カ所
刺激的な場所(自分調べ)に行くのですが
またの機会に。
最近、古地図を見ながら
散策するのにはまってます。
なぜかなー、とふと考えるとき
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の
「仏像の微笑み」というエッセイが浮かんできます。
明治40年頃に書かれたこんな文章です。
「明治、大日本人はこれだけ素晴らしい文化と伝統を持っていながら、
ヨーロッパに追い付き追い越そうとするあまりに
欧米人の合理的な心も一緒に輸入しようとしている。
器用な日本人、近い将来、彼らは
欧米をはるかにしのぐ製品を産み出す様になるだろう。
だが、その時には日本人はもう日本人ではなく、
日本人によく似た西洋人になってしまっていることだろう。
そしてそうなった時にはじめて日本人は、
かつて自分の町内の角に必ず立っていた石仏の
なんとも言えないかすかな微笑みに気付くだろう。
実はその微笑みはかつての彼ら自身の微笑みなのだ。」
現代でも、素敵な微笑みはあふれていますが、
あえて切り捨ててきた微笑み、
時の流れの中で
忘れられてしまった微笑みも
きっとたくさんあるはずです。
そんな微笑み、暮らしていた人たちの息づかいを
この体で感じたくて
これからも、お散歩、ドライブを
続けていくんだろーな...。
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博物館 | 日記
Posted at
2015/03/18 21:40:32