宮城の戦国武将 支倉常長の忌日 享年51歳 病死したようです
伊達政宗の部下で山形県米沢出身 40歳くらいまでそう目立った事はしていなくて
現在の宮城の川崎町あたりを任されて勤めて
いたのですが
「外洋船作ったからヨーロッパ行って来て( X -) へ?(- -;)」
伊達政宗の徳川そっちのけの独自外交政策でヨーロッパへの派遣が決まって石巻より出港
太平洋を横断しメキシコ経由でスペイン、イタリアと訪問 両国から大、大歓迎を受けています
が
「通商だの軍事はちょっとねえ( - -) そこをなんとか はるばる来たんです(T T )」
英国の台頭でスペイン、イタリアは落ち目 徳川が英国に接近していた事から英国との
関係悪化を懸念した事と 海軍が大打撃を受けていて伊達家に貸せる余裕が無い事などから
この訪問の成果は日本人がはるばるヨーロッパにやってきた と言うだけにとどまってしまいます
これが渡航と滞在しめて8年
フィリピンで外洋船を放棄し 8年後に日本になんとか帰国していますが
「誰お前?あっち行って(X - )余計な事しゃべったら殺すかんな 。゜(TДT )゜。」
その8年の間に日本の状況が激変 鎖国にキリスト教弾圧と始まり伊達家としては
このヨーロッパ訪問を無かった事にした為に窓際に追いやられ間もなく病死しています
冷遇について行けず重度鬱になっていたとも言われていますね しかも
「あいつはくたばったがまだ息子がいたろ(X - )テキトーに理由つけて始末しとけ」
息子も部下の失態を口実に処刑されています 常長も殺害されたのではないかとも
それでも流石に家名断絶とまでは行かず 現在も仙台で支倉家は続いていますが・・・
伊達家と仲良くやっているのですかねこれ 他人事ながら(-¥-;)
「ひでえ最後だったけどさ スペインでは今でも有名人なんだ(^ ^ )王室に油絵で肖像画を描いて
貰ったんだけどそれが日本人を描いた最古の油絵なんだよ ヨーロッパは楽しかった」
この人 テレビの世界ふしぎ発見などでも取り上げられるくらいの人ですが伊達家への遠慮
なのか支倉家の意向なのか航海のその後をなかなか取り上げられないですね それでも
少し前にサンドウィッチマンがこの人の冒険をコントにして文化庁から良作扱いになっています
予備知識として伊達政宗さえ知ってればとても楽しく観る事ができます DVD等で見かけたら
是非是非(^ ^)
家紋がズバリのハーケンクロイツ 支倉家の方が300年は早いですけど
さて
大きな話題が立て込んでしまい 話題にしてはいませんでしたが
真・木目ばばーん作戦 第一段階の研磨はまあこれでいいんじゃないかなと
ユーノス800と言う理由で800番からスタート まあ300でも800で始めたでしょうけど
「シャララ釈迦釈迦 シャララ釈迦釈迦( ‵¥´)シャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカ
どろろの脳髄~♪」
(筋肉少女帯の「釈迦」って曲は歌の趣旨と言うか物語が全くわからないですけでど誰か分かりませんか?)
そして1000番で引き続き釈迦釈迦ポテト
「うん まあ こんなものかな(;o¥o)あとはサーフェイサーだけど天気悪いからなあ」
お盆前になんとか下色くらいは なんて思っていた所でプーリーぶっ飛び騒ぎが出てしまって
停滞してしまっております 送って頂いておきながらサボっていた訳では決してないので(汗)
それと
助手席側の化粧鏡もLED化完了 まあものの五分の作業ですけど(^¥^;)
画流石に四つ点灯すると明るいですね 本来の使い方なら電球一個ずつでも全然問題ないとは
思いますが折角だし ただあまりに明るいので直角に下を向かせて加減してみました なので
画像の印象程ではありません それに左右同時に使う場面もそうは無いと思います 片側だって
年に数回もなかったし これで良い手元照明になりますね 夜間の配線弄りなどに
強力な灯りになったと思えば却って使用頻度上がるかも 不便なら戻すだけの話ですし
次に目をつけているのが後退灯とハイマウントですが まあ おいおい
また赤札の戦いが始まるその日まで(-¥- )