
これ書いてる日は2020年3月29日 です
世界的なウイルス感染防止による自宅待機要請に加えて、関東地方は朝からまさかの積雪です。
特にやることもないので、未整理の古い写真を取り出して、気になってた愛車紹介ページの1台目をやっと記入してみました。
そうなんです。
一応昔ハチロク乗ってたんですよね。
大学生になって、一応免許は1年の夏休みに地元教習所で2週間で取得。
親は学生の分際でクルマなんて贅沢だし、バイトするくらいなら学業に専念しろ!!
という良くできた親なので、実家では素直ないい子というキャラ設定だった僕なので、漠然とクルマ欲しいな~って思いつつも、特に目的もなくひたすら部活とバイトでした。
部活も九州ではそこそこ強い学校だったので平日夕方~22:00くらいまであったんで、長期休暇の引越し、鉄工所、新車陸送と関連事業のトレーラー足巻き補助、TOTO出荷トイレ積込みなどと、ガテン系高時給バイトを斡旋してくれてるのが、一度も弓を引いてるところを見たことのない当時7年生の先輩!
’91年当時ですでに携帯電話を持ち、○ッサンとその子会社からのバイト学生の斡旋と指導を社員からも任せられてる変わったエネルギッシュな人でした。
前々からクルマの話をすることはあったんですけど、2人でコンビニ入ってるカウンターで
先『で、お前クルマ何が欲しいねん?』
ま『ホントは70スープラか、セリカLBって言いたいとこですけど、現実的にはAE86でしょうね~』
先『ハチロクならどれがええねん?』
ま『まぁ、マストなのはレビンの3枚で、色は黒かな~・・・って、学生で買える訳ないですけどね~』
って、話をした1週間か10日くらい経ったある日
先『ハチロクあったで~♪』
ま『はぁ??』
田舎の真面目な公務員の子でA型なので、石橋をたたいて壊し、結局渡らない方をチョイスする系の人生なんで、バイトして貯金してるとしてもクルマを買うなんて大それたことを親に隠れてやるって不可能だろうって思ってましたが、
先輩曰く
『借金(ローン)できる金額が人の信用のレベルを示すんやで!
そして、そのレベルを上げていくのは、正しく借りて、正しく返すことで少しずつ積み上げていくんやで。』
今なんぼ貯金あんねん?から始まり、
クルマ持つなら定期収入がないとアカンからコンビニのシフトは早朝毎日にしよう。
実印の作り方、ローンはコンビニのバイトでも定期収入あるってことになるからと、オーナーに書類記入してもらい、購入先は応援団OBがやってる中古車屋さんだから普通にローン組めるし。
って、ここまででほぼ2日程度。
欲しいけど怖いような・・・そしてまだ実車も見てないし。
結局断り切れなかったような、ちょっと勇気もらったような、そんな感じで購入に踏み切りました。

納車の日まで一切見る機会なかったんですよね。
昭和58年5月物前期 超重ステGTV 車両¥30万、1年ローンで総支払額¥45万でした。
今思うと、実車確認もしないで値段と条件だけで買うって・・・

バケットシートとモモステはクルマ屋さんのヤ○ザみたいな応援団OBさんが付けてくれましたし、当時峠で必須だったパーソナル無線も違法出力アップのものを貸してやると付けてくれました。
話してるところ見つかったら逮捕やで~って言われてましたけど ((( ;゚Д゚)))
デフ入れるお金溜めなきゃって思ってたけど、競技車落ちだったみたいで、TRDのデフが入ってました♪これは貧乏学生にとって超スーパーラッキーですね♪
オーバーホールが4万弱でカキカキいうようになっただけでテンションあがりました!(まさかオトナになってイニシャル落とそうって思う日がくるとは)
近くに有名な観光道路があったので、授業の無い暇な昼間にちょっとドライブとかしてましたが、クラブの1つ上の先輩の友達のハチロク乗りからタワーバーを売ってもらったのをきっかけに夜の時間に誘われるようになって、週3~4で通うようになり、その人がバイトしてるショップに付いて行くようになり、そこで色々手伝ったりしてるうちに作業を覚えたり、タイヤ組み換えはお客さんのをするようになったり。
デフも爽健美茶の缶を切ってシムにして鬼効きデフにしたり。

事故車から中古ヘッド貰ってアパートでバラシてしこしこ磨き

面研だけ街の加工屋さんにやってもらって

本見ながらヘッド交換したりしてみました。

直後ではないですが、近くのチューニングショップでパワーチェックしてもらったりしました。ディスビを目分量で進めただけのなんちゃってハイオク仕様ですが、ローラーでカタログ値(グロス)を超えたので満足です♪
また、そのショップはJAF加盟クラブで、ジムカーナの練習に誘ってくださったのが当時から20年以上九州のトップに君臨してる某専務さんだったんですね。
九州はとある広場が一般開放して(たの??)てジムカーナの一流の人達が練習されてました。
そこでおだてられ、貧乏だったのでマフラーや車高調とか高額チューニングしてなく山走ってたので、遊ばないダウンバネを純正に戻すだけで参戦出来たってこともあってジムカーナに出てみるようになりました。

デカパイロンってモテギの専売っぽい感じですが、この頃の三井三池スポーツランドでは『かかってこいパイロン』って呼ばれてましたね!
買って1ヶ月目でタイミングベルトが切れて、JAFで数kmの駅駐車場に置いてもらって、その日の夜電車で取りに来て30km以上を奥さまと(いゃ、その頃は結婚してませんけど)牽引ロープだけで幹線道路を走って戻って来たり
10年以上九州に積雪なんてないって聞いてたのに、たまたま長崎へドライブ行こうとしてる日に超豪雪になり、高速封鎖が間に合ってなくて誰もいない雪の高速をゼロ分山タイヤで走行中、ゆっくり走ってたのに突然路面凍結でケツ出て200m以上のロングスライドになりましたが、ドリフト遊びしてたお陰でどこにもぶつけないで何とか凌いだり

今は無き美祢サーキットをショップで1時間だけ借りてみんなで走りに行ったら、デフのサイドベアリングが砕けたうえ、スピードメーターケーブル切れたり(実際にはドリブンギヤが割れた)

僕を煽り倒してる赤いSWが若き日の某専務さん(^▽^;)
まだユーザー車検って言葉が無い時代に初めて自分で車検を通し、4回くらい純正マフラーの排気漏れで落ちてたところ、見るに見かねた近所の修理工場のお兄さんに助けられて何とか通したり。(スピードメータ動かないけど40km/hはタコメーターで分かるから)
当然良い思い出だけでなくて

調子乗ってドリフトしに行ってぶつけたりも。
それを解体屋さん回って部品かき集めて直してて、缶スプレー塗装とパテ盛りが上手くなったり
お正月に実家戻ったとき、橋が凍っててクラッシュしてしまったのですが、高校時代の先輩のつてで応急処置してもらって、また奥さまと二人で取りに来たり
(実家にはクルマ持ってることすらナイショだから)
出てみましたって程度のジムカーナでしたが、当時はEF8 CR-Xと出たばかりのEG6シビック全盛のテンロクA2クラス。
30台くらいのクラス内で20番前後ってのがどのくらい下手なのかよくわかんない。
当時からケツ駆きしか頭に無かったので、お店で知り合った渋くて上手すぎる別のオトナの先輩の3型SW20を『就職したら僕がこれ引き取りますので連絡してください~』って卒業しました。
秋とか、来年くらいかなと思って入社10日目くらいで埼玉語もおぼつかない頃、
エボ3にスイッチせんとやってられんからすぐ買ってと連絡が!
さすがに1年落ちの3型を買える融資を受けられる訳ないので1週間親を説得して保証人になってもらって鬼ローンで

SW20 3型GT-Sを購入
このハチロクは当時広島に住んでた奥さまへあげることになりました。
(その半年後、FC購入を機にさらに1つ下の後輩へ¥10万で売られて行きました)
まだまだ色々小ネタはありますけど、トピックスだけでこんな感じです。
書いてるとどんどん出て来るけど、本当にたった2年だったんだろうか?!ってくらい色んな経験をしてるな~。
これが20代の若さっていうか、初体験の威力なんでしょうか。
地元で小さく目立たないように生きてた頃の友人や大人たちとは全く違う感じの人と知り合い、自分でもびっくりするくらい一気に人生が変わったなって思いますし、節目節目でいい方向に強引に引っ張って盛り上げてくださったオトナの人達と裕福な先輩方のお陰で今もこんなことやってるんですね。
たぶん、このクルマを強引に薦められなかったり、頑なに断ってたりしてたら・・・
クルマを買ったとしても思いっきり走ってみる勇気もなく、一生ビデオとイニDと湾岸ミッドナイトの知識だけで語ってるイタぃ奴だったと思いますね。
本当に
こういう人生で良かったのかどうかは別のお話ですが
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \