先日、HPを始めて10年が経過したとお伝えしましたが、このクルマが「フルノーマルである理由」については今までお話したことがなかったように思います。少し長文になりますが、今日はその理由をお話したいと思うので興味のある方は最後までお付き合い下さい(笑)
BNR32を購入する前、ECR33に3年ほど乗っていました。免許も取立ての頃で若かったこともあり、イジることが楽しかったです。とりあえずマフラー換えてホイールや足回り換えて車高を落としてエアロを組んで。車高は車高調で落とせるだけ落としてリアタイヤはフェンダーに被るくらい、いや、完全に被ってました(笑)フロントバンパーもエアロのおかげでかなり低かったし、段差を気を付けながら走るのは当たり前。当時はそれがスポーツカーのあるべき姿だと思っていました(苦笑)でも乗り心地は悪いし、道路の段差も気になるし、カッコいいけど「何だか疲れるなぁ」と思ったのがノーマルのよさを実感するそもそもの始まりだったように思います。その後33を手放してとあるクルマに乗り換え、そしてBNR32に乗り換えました。
BNR32にした理由は「GT-R」というモデルが一体どんなクルマなのか興味があったから。
「33はタイプMだけど乗ったし、BNR34は高くて買えないし、じゃあBNR32で」
当時僕は22歳、こんな単純な思いでBNR32に乗ることにしたんです。
BNR32はクルマ屋さんに探してもらうことになり、ボディカラーは白もしくは黒、フルノーマルでガンメタの純正ホイールが履きたかったので標準車、これが条件でした。約1ヶ月して出てきたのが今のクルマで状態はお世辞にもよいとは言えず…。塗装は痛んでるし、お約束のリアウインドウのモールも隙間だらけ、その他モールも紫外線の影響でザラザラに劣化。内装も日焼けと浮きばかりで正直「こんなクルマがこんな値段なの!?」と驚きました。クルマ屋さんを信頼して購入したのがダメでしたね。やっぱりクルマは自分の目で見て品定めしないと。当時22歳の若造にはそれがわからなかったです(苦笑)
「BNR32を買ったら一生大切にする!」って決めたのに届いてみたらこの有様。でも来ちゃったものは仕方ない、「これが自分のBNR32」と思い、これを直しながら乗ることを決意!幸いだったのは外装や内装のヤレ以外は極めて良好だったこと。ホイールだけが社外品に換わってたけど、それ以外は完全フルノーマル。そしてここから僕とBNR32との付き合いが始まりました。
ホイールはすぐに予め用意しておいたガンメタの純正ホイールに交換。その後もこのクルマと付き合っていく中でいろいろと直す日々が続きました。浮きだらけの内張りはダッシュボードも含めて中古良品に全交換、日焼けで薄紫になっている純正シートも中古良品に全交換、傷だらけのステアリングや文字が擦れて消えかかっているシフトノブも交換、交換ばかりでモノがきれいになっていくだけで見た目は何も変わらないBNR32。でもそんなことを続けているうちに気付いたんです。
「これって何だかすごく楽しい!!」って。
ボロボロだったものが全く同じのきれいなモノと入れ替わっていく、「純正っていいな」って。それがすべての始まりです。
足回りも純正だと乗り心地もいいし、段差も気にしなくていいし、純正マフラーもなかなかいい音出してるし。最初はこんな楽観的な感じだったけど、純正品って莫大な開発費もかかってるし、結構考えて造られていてそのクルマが持つベストな状態をつくるための構成部品であることは疑いようがありません。だからこうして付き合ってきた中で改めて純正のよさがわかったし、何もイジる必要を感じさせないクルマだと感じました。それに気付いたから僕は12年もの間、フルノーマルで維持し続けることができたんだと思います。
また、乗れば乗るほどわかるこのクルマの味と言うか、趣、素性の高さと言うかそういうのもあります。
「90年代までに技術世界一を目指す」という日産自動車の「901活動」の象徴とも言えるBNR32、その裏にある主管やテストドライバー、技術研究所などの開発現場における数々の苦労や「スカイラインGT-R」という開発者や我々一般人が持つ様々な思いが込められたクルマを16年ぶりに世に送り出すという高い志や責任、中島飛行機、そしてプリンス自動車の時代から脈々と受け継がれる飛行機屋のプライド・血筋など、そういう数々のドラマティックな要素が僕を熱くさせるのです。
イジる楽しさも知ってるけど、ただフルノーマルで乗っているわけではなく、あえてフルノーマルに拘る理由がそこにはあります。ちょっと熱く語っちゃったけど、これがBNR32をフルノーマルで乗る理由であり、フルノーマルであり続ける理由です。
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32の話 | クルマ
Posted at
2014/05/26 11:33:31