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2021年04月13日

熊野古道 そちらは太郎 うち次郎

熊野古道 そちらは太郎 うち次郎 山歩きの日記ですので、興味がない方は引き返し願います。

熊野古道「曽根次郎坂・太郎坂」
曽根さん兄弟が道の名まえの由来、ではなく、この坂道にある甫母峠が志摩国と紀伊国の境であった(現在も尾鷲市と熊野市の境界です)ため、"自領他領"→"次郎太郎"となまったものと言われています。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.964336/136.198411/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


古道に挑む前に、その手前にある曽根城跡へと寄り道。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.961221/136.194506/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


曽根城跡
曽根城は、曽根の山手に築かれた山城で、
曽根を支配した曽根弾正により築城されました。
曽根弾正は、元の名を佐々木右衛門といい、
近江国甲賀の出で、六角氏の一族であったそうです。
室町時代末期に曽根へやってきて、この地を治めました。

曽根城は天守閣も築かれたこともない戦国時代以前の城で、
平時はふもとの館で政務を行い、攻められた際に立てこもる最後の砦。
幸いにも、戦場になったことはないようです。

現在は城跡公園となっており、時期的にオンツツジがたくさん咲いていました。
紫色のオンツツジは珍しいものであり、紀伊半島でのみ自生が確認されています。
ここは数少ない群生地の一つです。


賀田湾の眺めが堪能できます。


熊野古道へ向かいます。



次郎坂の登り口は墓地になっており、入口にはお地蔵さまが並んでいます。


曽根の五輪塔

墓地の奥の方に、曽根弾正の墓石があります。
五輪塔という形式です。
曽根弾正と夫人、息子の孫太郎のもの。
弾正の五輪塔は石を積み上げてあるのに対し、
後ろにある孫太郎のものは板状の石に五輪塔の形が彫られています。
https://maps.gsi.go.jp/#16/33.963606/136.198711/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1





熊野曽根石 石切場跡

次郎坂に並行する谷川の方に、石切り場跡があります。
350年前の江戸城修復工事の際にも、
ここから切り出された石が献上されたそうです。

古道の石段にも切り出された石が使われています。



曽根の一里塚

次郎坂の途中に一里塚があります。
一里塚は、道の両側に土を盛って目印にしていたものですが、
片側しか残っていなかったり、一里塚跡と伝わるものの
既に痕跡は残っていなかったりするところも多いです。

ここでは両側の塚とも健在です。
植えられた山桜と松はなく、檜が生えています。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.958107/136.200063/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


鯨石

道の横に大岩があり、鯨石と呼ばれています。
シロナガスクジラによく似ていますね。


中部電力の電柱

次郎坂には電柱が立ち、電線が通っています。
現代風の金属製の電柱ですが、車が乗り入れできないこの古道へ、
ここまで人力で運び上げたのでしょうか?


甫母(ほぼ)

甫母峠は平地も広く、ほうじ茶屋という茶屋がかつてあり、
明治29(1896)年に新道が開通するまで営業していたそうです。
「甫母地茶屋」がなまった名らしいです。

道は海沿いの甫母の集落へと道が分岐しています。
電線は甫母集落へと向かっており、古道の山道で
現代を感じられた電柱と電線は、ここまでです。

次郎坂・太郎坂などのややこしい名ではなく、
甫母峠道でいいのではと思っていたのですが、
甫母峠を越えてからも登り下りが続き、
本当の峠はまだ先でした。
しかし、ここが伊勢と熊野の境であったことから、
この峠道ではもっとも重要な地点です。
https://maps.gsi.go.jp/#16/33.955241/136.196973/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


ハート形の敷石



楯見ヶ丘

名勝楯ヶ崎が望める展望所です。
長椅子が置かれ、一休みできるようになっています。
有名な楯ヶ崎の柱状節理は、方向的に見えないのが残念。


荒坂

本当の峠を越え、太郎坂を下ります。
太郎坂(熊野側)は傾斜がきつく、荒坂という別名もあります。
ふもと集落の二木島町は、昔は荒坂村という名でした。
二木島にある学校も、荒坂中・荒坂小となっています。
(ともに閉校となっていますが)


猪垣と記念碑

石切り場が近いこともあり、自然石だけでなく、
切り出された四角い石が多いことがこの辺りの特徴です。

猪垣の完成を記念する石碑というのは珍しいそうです。
それだけこの地域にとって、猪垣は大切なものだったのでしょう。



巡礼供養碑

文政3(1820)年にここで力尽きた17歳の少年の供養碑です。
この峠道は難所であったため、行き倒れて亡くなった旅人もいます。
供養碑は3か所はありました。


曽根次郎坂・太郎坂の世界遺産指定ここまで

供養碑のすぐ先に、熊野古道石碑が立てられています。
世界遺産の指定部分はここまでです。
振り返って見ても、やはり急坂。


国道311号との合流地点

R311は山を削って道を通しているので、階段を下りて国道へいきます。
https://maps.gsi.go.jp/#16/33.940983/136.183079/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&lcd=gazo1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


太郎坂広場

少し先に太郎坂広場という公園があります。
良い景色を眺めることができます。
https://maps.gsi.go.jp/#16/33.940200/136.185247/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&lcd=gazo1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


場所は戻ります。
古道に並行して、「曽根坂」という道もあります。
明治時代に開通した新道(いわゆる明治道)です。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.963428/136.198368/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


古道に比べると、道幅は狭いですが、石畳が非常に整っています。
歩く者がほとんどいないので、敷石への苔がすごいです。



熊野古道は大名行列が通ることを想定して、
お殿様を乗せた籠を傾けないように横になって歩けるよう、
一間(約1.8m)の幅を基本に整備されています。
曽根道の石畳はその半分くらいの道幅でしょうか。



右手に水道管があったのですが、この沢から取水しているようです。
沢を渡ります。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.960180/136.197220/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


沢を越えてから、坂が急になってきて、
道が分かりにくくなっていました。



熊野古道って、たまになぜか碍子が落ちているのですよね。
電線無いのに。

それとも、昔はあったのか?


倒木を人が通れる幅だけ切ってあります。
断面は垂直であり、近年チェンソーなどで切られたと考えられます。
その断面も苔むし始めています。



曽根坂の峠です。
手書きの小さな板が、木に結びつけてあるだけ。
他に人工物はありません。
古道の峠よりも50mほど標高が低いので、
その分楽なはずですが、古道に負けず劣らず傾斜がきつくて、
それほど楽に感じませんでした。

尾根沿いに歩けば、古道へと出られます。
https://maps.gsi.go.jp/#16/33.956363/136.189978/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


白いサワガニがいました。



舗装した道(林道)まで出ました。



https://maps.gsi.go.jp/#16/33.952367/136.184882/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

古道が尾根沿いの道であるのに対し、
曽根坂は川(沢)沿いの道になっています。
古道より曽根坂の方がやや楽な坂道ですが、
百年単位の長期で考えると、曽根坂の方が
雨により道が崩れる危険性が高いと考えられます。


赤いサワガニがいました。

二匹で力比べをしていたのですが、大きな動物(ヒト)が来ると
二匹とも石の間に逃げ込んでしまいました。
奥にもう一匹いるから、これ以上隠れられないのです。


帰ろうとした時点で、足にかなり疲労していることに気づき、
これは峠を登るのはかなり厳しいと思い、徒歩帰還を断念。
JRの列車で戻ることにしました。
2時間近く待ったけど。

この日の6時間かけて移動した距離が、運賃230円,乗車時間10分。
これは古道は廃れるのは当然ですわ。



曽根次郎坂・太郎坂の感想
・荒坂とも別名される急傾斜の坂があり、距離もそこそこある。中級者向け。
・明治道の曽根坂も急傾斜。古道とどっこいどっこい。
・古道の方が変化に富むので、どちらかと言えばおすすめ。

written by So!@BlackInsight
ブログ一覧 | 熊野古道 | 旅行/地域
Posted at 2021/06/08 23:22:46

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