• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

So!のブログ一覧

2021年04月13日 イイね!

熊野古道 そちらは太郎 うち次郎

熊野古道 そちらは太郎 うち次郎山歩きの日記ですので、興味がない方は引き返し願います。

熊野古道「曽根次郎坂・太郎坂」
曽根さん兄弟が道の名まえの由来、ではなく、この坂道にある甫母峠が志摩国と紀伊国の境であった(現在も尾鷲市と熊野市の境界です)ため、"自領他領"→"次郎太郎"となまったものと言われています。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.964336/136.198411/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


古道に挑む前に、その手前にある曽根城跡へと寄り道。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.961221/136.194506/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


曽根城跡
曽根城は、曽根の山手に築かれた山城で、
曽根を支配した曽根弾正により築城されました。
曽根弾正は、元の名を佐々木右衛門といい、
近江国甲賀の出で、六角氏の一族であったそうです。
室町時代末期に曽根へやってきて、この地を治めました。

曽根城は天守閣も築かれたこともない戦国時代以前の城で、
平時はふもとの館で政務を行い、攻められた際に立てこもる最後の砦。
幸いにも、戦場になったことはないようです。

現在は城跡公園となっており、時期的にオンツツジがたくさん咲いていました。
紫色のオンツツジは珍しいものであり、紀伊半島でのみ自生が確認されています。
ここは数少ない群生地の一つです。


賀田湾の眺めが堪能できます。


熊野古道へ向かいます。



次郎坂の登り口は墓地になっており、入口にはお地蔵さまが並んでいます。


曽根の五輪塔

墓地の奥の方に、曽根弾正の墓石があります。
五輪塔という形式です。
曽根弾正と夫人、息子の孫太郎のもの。
弾正の五輪塔は石を積み上げてあるのに対し、
後ろにある孫太郎のものは板状の石に五輪塔の形が彫られています。
https://maps.gsi.go.jp/#16/33.963606/136.198711/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1





熊野曽根石 石切場跡

次郎坂に並行する谷川の方に、石切り場跡があります。
350年前の江戸城修復工事の際にも、
ここから切り出された石が献上されたそうです。

古道の石段にも切り出された石が使われています。



曽根の一里塚

次郎坂の途中に一里塚があります。
一里塚は、道の両側に土を盛って目印にしていたものですが、
片側しか残っていなかったり、一里塚跡と伝わるものの
既に痕跡は残っていなかったりするところも多いです。

ここでは両側の塚とも健在です。
植えられた山桜と松はなく、檜が生えています。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.958107/136.200063/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


鯨石

道の横に大岩があり、鯨石と呼ばれています。
シロナガスクジラによく似ていますね。


中部電力の電柱

次郎坂には電柱が立ち、電線が通っています。
現代風の金属製の電柱ですが、車が乗り入れできないこの古道へ、
ここまで人力で運び上げたのでしょうか?


甫母(ほぼ)

甫母峠は平地も広く、ほうじ茶屋という茶屋がかつてあり、
明治29(1896)年に新道が開通するまで営業していたそうです。
「甫母地茶屋」がなまった名らしいです。

道は海沿いの甫母の集落へと道が分岐しています。
電線は甫母集落へと向かっており、古道の山道で
現代を感じられた電柱と電線は、ここまでです。

次郎坂・太郎坂などのややこしい名ではなく、
甫母峠道でいいのではと思っていたのですが、
甫母峠を越えてからも登り下りが続き、
本当の峠はまだ先でした。
しかし、ここが伊勢と熊野の境であったことから、
この峠道ではもっとも重要な地点です。
https://maps.gsi.go.jp/#16/33.955241/136.196973/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


ハート形の敷石



楯見ヶ丘

名勝楯ヶ崎が望める展望所です。
長椅子が置かれ、一休みできるようになっています。
有名な楯ヶ崎の柱状節理は、方向的に見えないのが残念。


荒坂

本当の峠を越え、太郎坂を下ります。
太郎坂(熊野側)は傾斜がきつく、荒坂という別名もあります。
ふもと集落の二木島町は、昔は荒坂村という名でした。
二木島にある学校も、荒坂中・荒坂小となっています。
(ともに閉校となっていますが)


猪垣と記念碑

石切り場が近いこともあり、自然石だけでなく、
切り出された四角い石が多いことがこの辺りの特徴です。

猪垣の完成を記念する石碑というのは珍しいそうです。
それだけこの地域にとって、猪垣は大切なものだったのでしょう。



巡礼供養碑

文政3(1820)年にここで力尽きた17歳の少年の供養碑です。
この峠道は難所であったため、行き倒れて亡くなった旅人もいます。
供養碑は3か所はありました。


曽根次郎坂・太郎坂の世界遺産指定ここまで

供養碑のすぐ先に、熊野古道石碑が立てられています。
世界遺産の指定部分はここまでです。
振り返って見ても、やはり急坂。


国道311号との合流地点

R311は山を削って道を通しているので、階段を下りて国道へいきます。
https://maps.gsi.go.jp/#16/33.940983/136.183079/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&lcd=gazo1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


太郎坂広場

少し先に太郎坂広場という公園があります。
良い景色を眺めることができます。
https://maps.gsi.go.jp/#16/33.940200/136.185247/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&lcd=gazo1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


場所は戻ります。
古道に並行して、「曽根坂」という道もあります。
明治時代に開通した新道(いわゆる明治道)です。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.963428/136.198368/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


古道に比べると、道幅は狭いですが、石畳が非常に整っています。
歩く者がほとんどいないので、敷石への苔がすごいです。



熊野古道は大名行列が通ることを想定して、
お殿様を乗せた籠を傾けないように横になって歩けるよう、
一間(約1.8m)の幅を基本に整備されています。
曽根道の石畳はその半分くらいの道幅でしょうか。



右手に水道管があったのですが、この沢から取水しているようです。
沢を渡ります。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.960180/136.197220/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


沢を越えてから、坂が急になってきて、
道が分かりにくくなっていました。



熊野古道って、たまになぜか碍子が落ちているのですよね。
電線無いのに。

それとも、昔はあったのか?


倒木を人が通れる幅だけ切ってあります。
断面は垂直であり、近年チェンソーなどで切られたと考えられます。
その断面も苔むし始めています。



曽根坂の峠です。
手書きの小さな板が、木に結びつけてあるだけ。
他に人工物はありません。
古道の峠よりも50mほど標高が低いので、
その分楽なはずですが、古道に負けず劣らず傾斜がきつくて、
それほど楽に感じませんでした。

尾根沿いに歩けば、古道へと出られます。
https://maps.gsi.go.jp/#16/33.956363/136.189978/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


白いサワガニがいました。



舗装した道(林道)まで出ました。



https://maps.gsi.go.jp/#16/33.952367/136.184882/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

古道が尾根沿いの道であるのに対し、
曽根坂は川(沢)沿いの道になっています。
古道より曽根坂の方がやや楽な坂道ですが、
百年単位の長期で考えると、曽根坂の方が
雨により道が崩れる危険性が高いと考えられます。


赤いサワガニがいました。

二匹で力比べをしていたのですが、大きな動物(ヒト)が来ると
二匹とも石の間に逃げ込んでしまいました。
奥にもう一匹いるから、これ以上隠れられないのです。


帰ろうとした時点で、足にかなり疲労していることに気づき、
これは峠を登るのはかなり厳しいと思い、徒歩帰還を断念。
JRの列車で戻ることにしました。
2時間近く待ったけど。

この日の6時間かけて移動した距離が、運賃230円,乗車時間10分。
これは古道は廃れるのは当然ですわ。



曽根次郎坂・太郎坂の感想
・荒坂とも別名される急傾斜の坂があり、距離もそこそこある。中級者向け。
・明治道の曽根坂も急傾斜。古道とどっこいどっこい。
・古道の方が変化に富むので、どちらかと言えばおすすめ。

written by So!@BlackInsight
Posted at 2021/06/08 23:22:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 熊野古道 | 旅行/地域
2021年04月12日 イイね!

熊野古道 城塞のやうな 羽後峠

熊野古道 城塞のやうな 羽後峠熊野古道「羽後峠」
熊野地方には、猪や鹿による獣害を防ぐための石垣である"猪垣(ししがき)"が多く残っています。
羽後峠道の周りでは、特に良好です。

三木峠の降り口からすぐに、羽後峠への案内があります。
この辺りは農道として整備されており、世界遺産指定から外れています。
https://maps.gsi.go.jp/#16/33.982718/136.209826/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


農道・集落内の道を通り抜け、国道311号へ出ます。
少し歩くと、羽後峠登り口の案内があります。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.980707/136.209140/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


この辺りは世界遺産指定されていませんが、何かの遺跡か城跡かと思えるほどの猪垣があります。


昔読んだオカルト記事では、宇宙人が作った日本の万里の長城か!?
と書いてあった気がしますが、
猪垣工事の金の工面とか殿様への上申とか記録が残っているので、
オーパーツとかの可能性は極めて低そうです。
あと、宇宙人が作ったにしては、素朴すぎる完成度なのです。


現在では、害獣は捕獲する方針のようですね。
たぶん捕獲されたら、ジビエ肉になると思います。



道祖神さまが祀られていました。


子孫繁栄の願掛けだと思いますが、
モザイクをかけなくで大丈夫でしょうか。



関所のような猪垣の間を抜けると、周りの畑(耕作放棄されていますが)
がなくなり、山道となりました。

案内表示が無いので道が分かりずらく、ちょっと迷いました。
道路と並行しており、最悪の場合はすぐ脱出できそうなので、
遭難の危険は感じませんでした。

小さな石を重ねた猪垣もありました。



道路を渡ると、羽後峠への登り口です。
ここから世界遺産指定です。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.977851/136.200857/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


緩やかに峠へ向けて登っていきます。



羽後峠です。
椅子が置かれて休めるようにもなっていますが、
登り口からすぐなので、疲れは無い。

https://maps.gsi.go.jp/#18/33.977963/136.198813/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

この前のヨコネ道三木峠道もそうですが、
羽後峠にはあまり旅人のための設置物がありません。
(地元の生活を守る猪垣はとても立派ですが)
海上を船で湾を短絡していく旅人も多かったからと言われています。
見るべきものが少ないことを気にしてか、地元の方が立ててくれた
看板が何か所かあります。

江戸時代の古文書の写しで、
上が原書写し、中央が原書内容を文書化したもの、下が現代語訳、
となっています。
なかなか興味深い。
この先の賀田村の寺の住職が書いた身分証明で、
この書状を持つ者はうちの門徒で怪しいものではないのでよろしくね、
といった内容です。


石畳道。



横を見れば、道に並行して猪垣が築かれています。
気になったのは、熊野古道の道は、猪垣で守られる田畑の
外側にあるのですよね。
でも、考えてみれば、旅人はよそ者で何をするかわからないし、
やはり外側になるか。



「是より左くまのみち」と彫られた石碑のところで曲がり、
猪垣の間を通って、賀田の集落方向へ向かいます。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.978599/136.193304/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


秋葉山のほこらです。
遠江国(現在の静岡県)に本山がある防火にご利益のある神様。
東京の電気街・オタク街の秋葉原も、秋葉山が名の由来だそうですよ。



秋葉山からもう少し歩いて、道路に合流して羽後峠終了。
ここも山を削って道路を作ったみたいな地形で、
古道が90度曲がると、側溝のようなコンクリの道になり
道路まで下りていく道になっていました。

もうツツジに花の季節ですね。


もう少し先に、「賀田羽根の五輪塔」という史跡があります。
賀田はここの集落名で、元は"潟"(干潟)の意味だったそうです。
羽根は賀田内の字の名で、古くは"波根"と書いたそうで、
この字面だと海沿いの地名っぽい。

五輪塔は、球形の水輪が欠損していて、製作者も由来も詳細不明。
ちょっと拍子抜け?かな。



羽後峠道の感想
・緩やかな峠道であり、歩くのは楽。初心者向け。
・猪垣が最大の見どころ。熊野古道のほかの道では、ここほどの猪垣にはお目にかかれない。

written by So!@BlackInsight
Posted at 2021/05/28 07:25:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | 熊野古道 | 旅行/地域
2021年04月11日 イイね!

熊野古道 短き峠 三木峠

熊野古道 短き峠 三木峠ヨコネ道降り口から、しばらく国道311号を進むと、また山の方へ向かうように道が現れます。
「三木峠」の登り口です。

ヨコネ道が世界遺産指定されていないのに対し、三木峠はほぼ全体が世界遺産指定です。
ただ、ぶっちゃけると、ヨコネ道と大差ないのですが。


三木岬という小さな岬を近道する道です。
対してR311は海岸沿いに迂回するルートになっています。
石畳道よりも、石段がよく残されています。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.988696/136.212637/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


世界遺産の石碑の先から、登り石段が始まっています。



足元の石は苔むしており、雨の多い熊野地方を気候を実感できると思います。



近年、枯れ沢に整備された木橋にも苔が生え始めています。

道標が示す全体数字は8。
伊勢路最長の八鬼山が63だったことを考えると、やはり短い。
https://maps.gsi.go.jp/#16/33.985333/136.212466/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


三木峠です。
「三鬼峠」と書かれた文献もありますが、
険しさも危なさも感じない峠道です。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.984337/136.212466/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
長椅子が置かれており、一休みできるようなっています。
でも、

「絶景の丘展望所」がありますので、そちらの方がいいでしょう。



展望所にも椅子が置かれています。


絶景か、と問われると、微妙な返事をするしかないのですが、
木立が視界を遮るところもあり、やっぱり微妙。

それでも、峠より明るく開放的なので、こちらでの休憩をお勧めします。
https://maps.gsi.go.jp/#16/33.984640/136.213109/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


石段に根が絡み、石の道なのか、木の道なのか。



たいした道のりもなく、峠道は終了。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.982860/136.210170/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0



三木峠道の感想
・現在の道であるR311をショートカットするような峠道。距離短く、初心者向け。
・これといった見どころがない。
・峠から展望所へ行けるが、ここもそれほど絶景というほどでもない。

written by So!@BlackInsight
Posted at 2021/05/25 21:49:25 | コメント(1) | トラックバック(0) | 熊野古道 | 旅行/地域
2021年04月10日 イイね!

熊野古道 近年見つかる ヨコネ道

熊野古道 近年見つかる ヨコネ道興味ない方は、戻ってください。

熊野古道を歩いてきました。

三木里の海水浴場に駐車。
オフシーズンなので余裕あります。
松の木の下は、季節によって松脂が垂れてくることがあるので、車をきれいに保ちたい方は注意が必要です。
なお、この松並木は、最も古いものは正徳2(1712)年に紀伊藩5代藩主徳川吉宗(後の暴れん坊将軍)が防風林として植林させたもので、市により名勝史跡に指定されています。
https://maps.gsi.go.jp/#16/33.999264/136.209462/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


今年は桜の開花が早かったので、ソメイヨシノはもう盛りを過ぎています。
八重桜が良い感じで咲いていました。



海水浴場から国道311号を歩けば、「ヨコネ道」の入り口が、唐突に現れます。
「ヨコネ道」は、地元の方々により近年再発見された道です。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.996293/136.211007/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


石段・石畳が残っているところもありますが、
あまり状態は良くありません。
石は苔むしており、人が通ることは少ないと感じられます。



木立の間から、賀田湾の海が見えます。
天気の良い日に歩くと、いい感じです。



道の先に緑色の物体が。


完全に苔むした落石でした。



炭焼き窯の跡です。



ヨコネ道は、世界遺産登録されていません。
近年再発見されたことによる調査不足の為かもしれませんし、
写真のように、並行しているR311の安全確保の為に、
ワイヤーが岩に打ち込まれている所があることが理由かもしれません。
(過去の状態が保存されていない為)



ヨコネ道には峠はありませんが、ここが最高地点なので、
仮にヨコネ峠としておきます。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.991614/136.211994/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


眺望が開けて、海がきれいに見えました。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.991240/136.212380/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


R311に合流して、ヨコネ道終了。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.990529/136.212058/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0



ヨコネ道の感想
・現在の道であるR311と並行した道で、道のりは短く、傾斜も緩やか、初心者向け。
・ルートが短いこともあり、この後の「三木峠道」「羽後峠道」と合わせて紹介されていることが多いです。
 往時はこれらの峠道を避けるため、海上を渡し船でショートカットする者もあったそうです。
・これといった見どころが少ない点が残念なところ。
・木の間から海がちらちらと見えるので、天気がいい日に歩くのが良いです。

written by So!@BlackInsight
Posted at 2021/05/22 12:21:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 熊野古道 | 旅行/地域
2021年02月27日 イイね!

熊野古道 最難関なる 八鬼山越え

熊野古道 最難関なる 八鬼山越え山歩きの日記です。
興味が薄い方は、引き返してください。長いです。


熊野古道踏破「八鬼山越え」
熊野街道で最難関の峠と言われており、その昔 何人もの行き倒れが出たこともあります。
峠の標高が高いこと、距離が長いことが、その要因です。

登り口の位置も分かりづらく、目印とするために地元の「尾鷲節」を刻んだ歌碑が設置されています。
昭和の時代の設置なので、割と新しいです。
https://maps.gsi.go.jp/#16/34.060153/136.207552/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


登り口まで、車で行けます。
駐車場もあります。


振り返れば、登り口。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.056277/136.205192/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


登り口から、石畳道が続きます。
ヤマバトが歩いていました。



熊野古道が世界遺産指定され、目安となる道標が
一定距離(約100m)ごとに表示が設置されています。
八鬼山越えは63も設置しているようです。

なお、他の峠道では10くらい。


しばらくは周りが開けた道でしたが、そろそろ木々が茂ってきています。
前の馬越峠も石畳が立派でしたが、
八鬼山越えも負けず劣らず、石畳の長さは熊野古道一だと思います。



みかんが自生しています。
耕作放棄された木が野生化したものと思われます。



八鬼山越えで行き倒れとなった旅人は、地元の負担で供養されました。
これは茨城県の武兵衛さんの供養碑だそうです。

八鬼山に供養碑は4つあるそうです。
熊野道一の難所にしては少ない印象。(不謹慎)


道幅はやや狭いですが、とてもきれいな石畳道です。



ここの大きな敷石は「ゴットン石」と呼ばれています。
踏むとゴトゴト鳴るからです。



日が向かいから差し込んできました。

石畳には、流れてきた水を脇へ逃がす洗い越しが作られています。


登り道も半ばまで差し掛かりました。
林道と交わっていますので、峠まで少しでも楽したいのであれば、
ここまで車で来ることもできます。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.043992/136.212916/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


八鬼山の矢浜側(伊勢側)の坂では、お地蔵様をみかけます。
これは「町石」というもので、1町(約109m)ごとに峠まで置かれています。
峠までの道のりから、50体が設置されたと考えられていますが、現存は33体。
江戸時代に、伊勢商人から寄進されたものです。



八鬼山でも難所と言われる、七曲がりの坂。
つづら折りになった急坂で、かなりきつい。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.041485/136.215062/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


七曲がりを登り切ったところには長椅子が置かれており、
一休みできるようになっています。
木立の隙間から尾鷲の町が見えます。
だいぶん登ってきたことを実感します。



七曲がりを超えると、しばらくは平坦な土の道になっています。
八鬼山越えは、坂道と平らな道を交互にすることで、
適度に疲れをいやせるように工夫されているとのこと。

登っても登ってもまだ峠ではないということで、
過酷イメージを助長させていたのではないかとも思うのですが。
https://maps.gsi.go.jp/#16/34.039992/136.217058/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


桜茶屋一里塚
江戸幕府が街道沿いに整備させた一里塚。
町石地蔵もあります。
紀伊藩では一里塚に松と桜を植えたそうですが、
現在それらの木は残っておらず、ヒノキが生えています。
茶屋があったそうですが、建物があったような場所も分からず、
言われなければここが何なのかわからないですね。



道のわきに2つの大岩があります。
立っている方が烏帽子石、平たい方が蓮華石と名付けられており、
昔から目印になっていました。



この峠道が「八鬼峠道」ではなく「八鬼山越え」と言われる理由のひとつは、
複数の峠を含んでいるからと考えられます。
ここ九鬼峠で分かれる道を下りていくと、九鬼水軍の本拠地であった
九鬼の集落へと至ります。
「右、みきさとみち 左、くきみち」と刻まれた小さな石碑は、
大正15年に当時の九鬼村役場により設置された道標です。
この道は近代まで地元集落にとって大切なものだったのです。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.034141/136.219504/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


峠までもう少しのところに、荒神堂(日輪寺)があります。
令和元(2019)年に尾鷲の有志により再建されたそうで、新しくなっていました。
ここにはかつて茶屋があったそうで、建物の跡と考えられる平地があります。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.032523/136.217165/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


荒神堂の先には、また急坂がありますが、それを上り切れば八鬼山峠です。
現在は東屋が建ち休憩所になっていますが、昔は茶屋があったそうです。

町石地蔵も、ここにあるものが最後です。
https://maps.gsi.go.jp/#16/34.030514/136.216092/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


峠から道を少し外れて上るとすぐ、八鬼山山頂に着きます。
大岩の上が頂上です。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.030211/136.216414/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


峠から少し歩くと、さくら広場があります。
眺望が開けており、九鬼の集落と海が見えます。

広場を整備したときに桜を植えたそうですが、鹿に食べられ全滅した模様。
https://maps.gsi.go.jp/#16/34.028238/136.218281/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


十五郎茶屋跡の休憩所。
かつて茶屋があったと言われる場所です。
いつ開業していつまであったのかは分かっていませんが、
江戸時代の西国三十三所名所図絵に往時の様子が描かれています。
今は木が生い茂っていますが、その絵からすると、
当時は眺望が開けていたのかもしれません。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.020501/136.220169/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


大名行列の槍持ちが、この坂だけは槍を肩にかついでもよいと
されていたと伝わるほどの急坂、槍かたげの坂。
三木里側(熊野側)の登りで一番の難所。
下りるのも慎重になります。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.020010/136.218860/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


江戸道と明治道の分岐。
ここから先は緩やかに下っていきます。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.018047/136.216156/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


世界遺産指定部分はここまで。
この後は、川沿いに海まで、集落を抜けていく道です。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.014116/136.216350/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


名柄一里塚跡なのですが、塚は八鬼山に向かって右側の塚のみ
残存していますが、正直わかりにくいです。
植えられたと言われている桜と松は既にありません。
熊野古道の峠道で一里塚が2つも含まれるのは八鬼山だけです。
道のりが長いというだけでも、踏破の大変さがわかろうというものです。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.009848/136.215985/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


耕作放棄された畑の間の道を歩きます。
農道でもアスファルト舗装されていることがほとんどなのに、
現在も石畳舗装が残っているのは珍しいです。
たぶん、明治~大正時代に施されたのではないでしょうか。
あと何十年か経ったら、この道も何かの史跡に指定されそう。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.014116/136.216350/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


梅の花が咲いていました。



三木里の海岸まで到着しました。
八鬼山を振り返る。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.001950/136.214590/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


紀伊半島東岸はリアス式海岸になっています。
三木里集落も賀田湾の奥に位置しており、海岸の波はとても穏やかです。



こんな貼り紙が。
イルカは加減してくれないので危ないらしいですよ。



復路です。
再び江戸道と明治道の分岐まで戻ってきました。

「整備されてなくて荒れている」為、世界遺産登録されている江戸道の通行が推奨されています。
自己責任で、帰りは明治道を歩いてみます。
槍かたげの坂なんて、登りたくない。


落葉が積もっていますが、幅の広い石畳道が続いています。
明治道では、きっちり1.5mくらいの道幅で石畳が敷かれています。
峠に近くなると1m幅くらいに狭まりますが、江戸道よりも敷設状態は良好です。
世界遺産登録前の2000年くらいまでは、明治道の方が使われていたそうです。
傾斜は割合に緩やかで、急坂は少ないです。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.019257/136.216328/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


整備されていないところ。
道をふさぐ崩れてきたであろう大岩。
残っている道幅10cm。
道の外側に間伐材で橋が架けられていたようですが、朽ちて落ちてます。



こんなのが落ちていました。
1980年代に販売されていた、アルミパウチの果実飲料。
西ドイツ・ヴィルド社のライセンス商品ですが、
西ドイツというのが時代を感じさせます。
30年以上ここに放置されていたと考えられますが、ほとんど劣化していない。



整備されていないとはいえ、たまに案内看板も立てられています。
道が落ち葉や土でおおわれているところでは、
正しい道をたどっているのか不安になります。
その時に探すのが、曲点の表示。道が曲がるところには必ず設置されています。
電電公社のマークがついています。
山越えの電線やアンテナの管理の為に、通信会社や電気会社によって
整備されている山道もあります。



八鬼山の峠で、明治道は江戸道と合流します。
江戸道が尾根沿いの道となっており、明治道は沢に沿って通っています。
全体的に明治道の方がなだらかでしたが、峠近くは急坂でした。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.030514/136.216092/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0



八鬼山越えの感想
・距離が長く、傾斜がきついところも多いので、間違いなく熊野古道伊勢路で一番の難所。中級者~上級者向け。
・長い道のりの大部分に石畳が施されており、伊勢路一の「馬越峠」に次ぐくらいには見どころも多いので、歩き甲斐はあります。
・三木里側(熊野側)は江戸道・明治道の2ルートあるが、登りは明治道の方が、圧倒的に楽。

written by So!@BlackInsight
Posted at 2021/05/21 05:45:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 熊野古道 | 旅行/地域

プロフィール

「第23回伊勢赤福オフは、事故もなく無事に終了しました。
ありがとうございました。
参加者の皆様方におかれましては、まだ移動中の方もいらっしゃるかもですが、最後まで安全運転でお願いします。」
何シテル?   08/31 18:28
こんにちは 黒いインサイトに乗っています 普段は Club e-TEC というところで主に活動しています よろしかったら、たまにでものぞいて下さい
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/9 >>

 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    

愛車一覧

ホンダ インサイト 黒太子 (ホンダ インサイト)
俺の名は三代目インサイト。 かの誇り高き世界最高燃費車の後継車だ。 世界中の車好きが俺を ...
ホンダ インサイト クロサリス2 (ホンダ インサイト)
雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナアルミボデーヲ持チ 慾ハナク ...
ホンダ インサイト SchwarzBruder (ホンダ インサイト)
諸君 私はインサイトが好きだ 諸君 私はインサイトが好きだ 諸君 私はエクスクルーシブも ...
ホンダ インサイト 黒燕 (ホンダ インサイト)
インサイトってあんだろインサイト。 実はこれが2代目だって知ってる?? 初代の燃費35k ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation