
昨日の京都新聞の記事によれば、祇園暴走車が、最初にタクシーに衝突後、いったんバックして逃走したというのは、捜査が進んでも事実が確認できなかったという。「軽ワゴン車はアクセルを踏む音をたて前方のタクシーが左側に寄ると、抵抗がなくなり猛スピードで暴走し始めた」という52歳の警備員の証言が正しいようだ。さらに、本人の身辺調査や事故に至る経過から、警察も故意性は低いという見方をするようになった。
ここではっきりしたことは、この事故は終始「アクセルベタ踏み状態」に至る事態になったということである。考えられる理由は二つ。
①クルマの故障 ②ドライバーの故障のいずれかである。 クルマの故障であれば皆抵抗なく知りたいと思うのに、ドライバーの故障の場合は「病気」が関わってくると口をつぐみたくなる。もちろん「病気」には、それに苦しむ人々がいて、その人たちへの配慮は大切だ。だが、それとどういう「故障」が起きたかを考えることは別問題である。
こういった混同が大きな事故になったのが、1982年に起きた羽田沖日航機墜落事故である。治療していた医師はいらぬ配慮をして、本当は「統合失調症」であったものを「心身症」という診断書を会社側に提出していた。事故前からも、同乗していた副操縦士が機長がおかしな操縦をすることを会社側に訴えていたが黙殺された。そして機長は着陸態勢の最中、エンジンを逆噴射させ、滑走路手前の浅瀬の海に墜落させ、24人が死亡した。機長はそれ以前からすでに幻覚妄想状態が続いていた。当時「片○機長 逆噴射」は流行語になり、実際の「心身症」患者は多くの誤解を受けた。
今回の事件は、クルマの動きのみに注目すればその異常性は明らかで、逃走を意図したクルマの動きでは全然ない。そのために覚せい剤中毒者が運転する逃走車の映像を比較のためにアップしたが、あれが街の暴走族が逃げる時でも、もっとましにバイクやクルマをコントロールできる。(デリケートな加減速に注目)
アクセルとブレーキの踏み間違いの事故は珍しくはない。YouTubeにも、店に突然つっこんでくるクルマの映像がある。ほとんどが最初の障害物に衝突して終わる短時間の事故で、祇園のケースのように障害物を避けるハンドル操作をしながら360mを走る例は聞いたことはない。ここで注目したいのは、そのハンドル操作で障害物を避けていたという事実だ。
警察は、これを意識のあった証拠と捉えるが、それでは人を避けるハンドル操作を少しでもしていたかということが知りたい。もし人に対してそれをまったくしていなくて、電柱やクルマを避けるハンドル操作のみしていたら、それは状況にそぐわない行為で複雑部分発作(自動症)が起きていた可能性が極めて高くなる。前回の日記の参考に記した例にあったように、熱湯を注ぐ行為を、状況に関係なく続ける人のように。
そして、もし人も電柱もクルマも、あの速度下でできる限り避けようとした痕跡があるのなら本人の意識はかなりまともで、右足だけが本人の意思に反してアクセルを踏み続けた。つまり意識のある単純部分発作だったという推論も成り立つ。
普段、私たちがクルマを運転している時でさえ、意識のレベルは変容している。考え事をしたり、ハンズフリーで会話していたりすると、運転操作は意識下で自動的に代行される。そういう時のクルマの動きは、外からみればきちんと集中して運転している時より緩慢でぎくしゃくしているように見えるはずだ。
さらに、酒を飲んでの酩酊状態ではどうだろう。クルマは蛇行し、“千鳥足”のような動きになるだろう。
自動症での運転例では比較的まともにしている。接触もあるが、無事故で戻ってきたりすることもある。おそらく普段の身にしみた運転スキルでするので、日常的な運転の範囲に多くは留まっているのかも知れない。
こういうことを考えると、祇園暴走の運転はあまりに異常すぎる。現実に複雑部分発作を診ている医師の中には、てんかんとの関わりは低いと判断する人がいるのも、そういう例を実際経験していないからだろう。だが、見たことがないから存在しないということにはならない。爆発性憤怒が自動症の間に生じ、あのような運転になったということも一つの可能性としてはある。
このように、意識があったからてんかん発作でなく殺人、意識がなかったらてんかん発作というような単純な二分法ではなく、その間のグレーゾーンには様々な仮説が考えられる。
私がこの事件に興味を持つのは、運転と意識の関係について考えさせられるからだ。毎日経験しているにもかかわらず、意識とはまだ解明されいない大きな謎である。
ブログ一覧 | クルマ
Posted at
2012/04/20 08:01:40