
昔、仕事先で行っていた精神科病院の古いカルテの表紙に「プシコパチー(Phychopathie)」または「精神病質」という診断名が殴り書きされているものがいくつか散見された。なんのことか病歴を読んでみると、その患者さんが若い頃、酒を飲んでは大暴れしたり、賭博、借金、傷害、窃盗など、要するに家族や世間から手余しされた破天荒な人物だった故、とりあえずこういう病名で入院させられたのである。実際会ってみると、長い年月を経たこともあり普通に礼儀正しく振舞い、病的なところはない人のいいオジサンまたはおじいさんになっていた。
このプシコパチーという言葉は、私が精神科医になりたての頃はまだ使われていて、略して「パチー」と隠語のように用いられた。精神科医は変わり者の集団なので、お互いに「パチー」を乱用し「あいつはパチーだからな」みたいに同僚を揶揄していた。もちろん私も何度か言われた覚えがある。この「パチー」も「精神病質」も今ではほとんど使われない言葉になっている。一つの理由は、この例のように、変わり者=パチー、であれば精神科病院に入院という流れは人権侵害を犯してしまう危険性が常にあるからである。実際、旧ソ連では政治犯をこのような処遇にして隔離してしまうこともあった。
日本でも、1981年に朝日新聞の記者が患者を装って精神科病棟に入院した顛末記を『ルポ・精神病棟』という本にして出した。この時、著者は専門医の前ではエセ患者であることがばれるのではないかと不安に思ったが、そこの病院の院長が診察時に著者の目を覗いて「ほー、こりゃ飲んでいる。入院だ、入院だ」の1分足らずで入院になったと記している。ただし、前もって酒を飲めば暴力を振るい仕事も休む、幻聴もあると医師には伝えていた。
であれば、当時はこのような患者を入院させるには説得より「あ・うん」の呼吸が大切だからこれはあり得るなと私が読んだ時は思った。
以後、精神科医療制度も何度かの改正を受け、患者の人権を最大限に尊重するためかなり慎重な手続きやそれに伴う同意書などの書類も多く設けられ、監査も厳しくなっている。要するに精神科医の一存で入院させるなど、今では不可能なことになっている。アルコール依存症の患者も、きちんと酔いを醒ました時に来院してもらって、本人に入院の意思を確認してからの入院となる。いくら患者の背後で家族から入院を嘆願する眼差しを向けられても、期待には応えられない。
それでは「精神病質」や「パチー」はどうなったか?上のドイツ語読みを英語にすると「サイコパシー」すなわち
サイコパスになる。
今回の佐世保高1女子殺害事件で、加害者家族はぎりぎりまで、本人を精神科病院に入院させようと奔走していたようだ。しかし精神科病院の方が受け入れを拒んだことになっている。家族の話だと「個室を占有することになる」「他の病院でも受け入れは不可能」と言われたという。
これは病院側の立場としてはよくわかる。まず精神科医にサイコパスは治せない。ましてこの女の子のように「今にも人を殺したい」なんていうケースなどほとんどの精神科医は治療経験は持っていない。入院させて病棟内で殺人行為をされれば管理者責任になる。すると常時一人部屋の隔離室に入室させ、施錠し監視していないといけない。そして治る見込みがないからずっとそこで暮らすことになる。それが「個室を占有することになる」の意味である。そういう事情は他の病院も同じであるから引き受けを渋ることになる。そこの院長が目を覗きこんで「ほー、こりゃ危ない。入院、入院」というわけにはいかないのである。
ただし、法的には措置入院という方法が可能だ。これは精神障害の疑いがあって、「自傷他害の怖れ」がある場合適応される。法律上の精神障害の定義の中にはなんとまだ「精神病質」という文言が残されている。措置入院の依頼は一般人、すなわちその子の親、警察官、病院の院長等いずれでも申請できる。すると行政が動いて二人の精神科医が措置入院のための精神鑑定をして、どこかの精神科病院に強制的に入院させられる。当然、相談を受けた精神科医もそれを考えたはずだ。そうできない事情があったのか?
でも仮に措置入院したとしてもその後の展開は前述したとおり。
こういう危機的で緊迫した状況の中で関係者も必死だったろうが事件は起きてしまった。サイコパスはプレデター(捕食者)と呼ばれる。その眼前に疑うことを知らない善意の女友達を差し出してしまったことは痛恨の極みだ。危ないから近づくなと誰かが警告していれば・・・。人の心の中に悪意を読み取る能力も必要であるが、プレデターはまさにそういうことがない獲物を選ぶのである。
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2014/08/05 14:55:06