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堅雪かんこのブログ一覧

2009年08月17日 イイね!

S600ロングに乗りました!

S600ロングに乗りました!  先日、地元のYANASEでメルセデス・ベンツS600の試乗をしてきた。こういう機会でないと乗れるクルマではない。

 あこがれのSクラス♪と思って乗り込んでみると、ん?変な匂いが車内に淀んでいる。ベージュ色の内装もなんか煤けているような・・と思ってメーターを覗きこんだら16000㎞の走行距離。完璧中古車だった。聞けば2007年モデル。

 それでも気を取り直して、走ってみることにする。このメルセデスは電子キイーを差し込んで右に回す。そうだった、以前所有していた先代のCクラスも同じだったが、アウディの新しいやつとか、インプレッサまでボタン式になっているので、余計中途半端に感じる。シフトはコラム式。これは逆に遠い遠い昔のクルマを思い出す。

 走り始めると、そこは上質なメルセデスの世界。ヌメ~とまろやかに、まるでレクサス車のような静けさで走る。せっかくだからV12ツインターボチャージャー5500cc、517馬力の威力を試そうと、アクセルを開ける。するとクルマは音もなくシューッとワープのような加速に入る。エンジン音がそういう時でも高まらない。市街地コースだったので、アクセルは1、2秒開けるのが限度。しかも脇から平気で軽や小型車が前に入ってくる。Sのロングだじょ~!!という威圧感はもはやないのか。

 このクルマを運転しながら、所有した時の生活をイメージしてみる。何も浮かばない。後ろには後部座席用のTVモニターが二個備わっている。これを発注した人はリッチマンだったのだろう。だが手放した。
 あらためて室内の造形を見ると、高級感がまったく感じられない。これはどうしたことだ。このクルマは新車価格が2000万円を超える。もともとメルセデスは高級感というより質実剛健なデザインがすなわち“高級”さを表現していたが、これはレクサスのような日本車にすり寄ったような腑抜けのデザインだ。


 試乗が終わって、降りてまたクルマを眺めてみる。デヴュー当時は新奇だった外観も今はインパクトもなく大人しめに感じる。NewEクラスがはじけたデザインだったから、なおさらそう見える。S600用ホイールもダサいの一言。メルセデスのデザインってこんなに経年劣化したっけか?いやそうではないはずだ。少々失望してしまった。

 もちろん走りはメルセデスらしさがしっかり残っている。だが、所有する満足感はない。旧モデルのS320の試乗の時はすばらしいと思った。だからS350やS550のベーシックな黒の内装であったら、また印象が違っていたかも知れない。
 S600は水戸ナンバーであったが、二年も経たないで手放した顔をも知らない水戸のオヤジの気持ちが少しはわかるような気がした。


    で、水戸のオヤジは次に何を買ったか?









      アルファ・ロメオ MiTo
Posted at 2009/08/17 13:27:31 | コメント(5) | トラックバック(0) | クルマ
2009年08月15日 イイね!

頭に住みつく不思議な人物

頭に住みつく不思議な人物  前回の日記で、「あなたは脳のつくりだすイルージョンである」と書いたが、これは単に言葉のレトリックではない。

 私がいつも外来で診ている統合失調症の女性がいる。彼女は常に幻聴が聴こえるのだが、その幻聴があたかもひとつの人格があるように彼女に話しかける。聞けばスガタケンイチと名乗り、年齢は60歳だという。彼女にいろいろアドバイスをし、体重を46㎏まで落とせとか、アメリカに行ってあっちの病院に入院しろとか荒唐無稽な内容も含まれるが、参考になる話もしてくれるのだという。漢字の読み方まで教えてくれる時がある(たぶん単なる失念を思い出させたものと考えられるが)。いわば友達のような存在なのだそうだ。

 そこである時、私が彼女に「その声の人にバカヤローと言ってみてください」と言ったら、彼女はしばし黙り込んで声に耳を傾け、やがてにこっと笑い「そういう先生の方がバカヤローだと言っていますよ」と返ってきた。

 実は、こういう幻聴がある人は統合失調症に限らず普通に存在する。それが宗教的だったり、倫理的な内容だとTV番組であるように人の先祖の声を聴き相談に乗ったりする商売に応用できる。古くは宜保愛子であり、今は江原啓之などがそうだ。この人達はおそらく幻聴と会話できる。宜保の方は幻視もあったと思う。ただTV番組上、水増しして演出しなければならなかったこともあっただろう。

 ただし、他人がその人に乗り移るという憑依はない。それはカローラにフェラーリのエンジン(の魂)が乗り移って速くなったというのと同じで、あり得ないことだ。あくまでその人の脳の性能の範囲で解釈したことが語られる。この点は重要である。今までドイツ語を習得したことが一度もない人が、憑依して突然しゃべることができたという例が、一例でもあれば憑依は証明できるが、私の知る限りそれはない。アイン、ツバイ、ドライぐらいは叫んでいる人は見たことはあるが。恐山のイタコもそうで「わたくすはマリリン・モンローで~す」と東北訛りで出てきて大笑いしちゃったよとビートたけしが言っていた。

 さて、前述の統合失調症の彼女は、本来の彼女の人格がメインでありそれに対して幻聴としてもう一人が脳に住み着いている。人によっては複数の人物を抱えていることがある。これが解離性同一性人格障害、すなわち多重人格になるとメインの人格がなくなりさまざまな人格が入れ替わり出てきて、その間の記憶がメインの人格にはあまり残されていない。
 これも症例として実際目の前で見たことがあるが、不思議な現象だった。


  さらにそういう“よそ者”がいなくても、あなたの中には子供時代の自分がどこかに潜んでいるという。これは虐待されて育った人に心理学的アプローチをしていく過程で、これまた例えば「小学校3年生の時の自分が傘をさしてどしゃぶりの中をはだしで歩いている」と吉田拓郎の歌の一節みたいだが、インナー・チャイルドと呼ばれているものが存在する。あるいは老人の中にも青春時代の自分がいるのである。(写真参照)


 こうして見てくると、人格というのはきちんと堅牢に組まれたものではなく、今まで生きてきた経験値を踏まえて自然発生的に脳から立ち現われてきたものという考えが少しは理解できるであろう。そして人類の進化の過程で肉体に伴った何百億の人格がこの世界に現れては消えて行った。
 昨日のTVで再放送されていた「火垂るの墓」の兄弟は想像上の人物だが、上映されるたびに現れては消える。
 だが、こういう想像上の人物と私たちの違いは有限かつ物理の法則にがんじがらめになった肉体を持っているかどうかなのだが、時計を早回ししてみればその肉体の存在すら一瞬の幻のようである。そこから創出される人格もひと夏の火垂るの輝きみたいなものだ。



     かくして人生は夢の一時と相違なくなる。
Posted at 2009/08/15 15:38:03 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記
2009年08月13日 イイね!

ポルシェ乗り、略して「のりP?」

ポルシェ乗り、略して「のりP?」  フェラーリが他のクルマと圧倒的に違うのは、見る者にイルージョンもたらす度合いが大きいからだ。
 実際、所有してその実像を知る者はごくわずかで、多くの者はその伝聞で想像を膨らませるしかない。祭りとは、現実にイルージョンを持ちこむことと寺山修司は言ったが、まさしくフェラーリはお祭りグルマでその場の雰囲気をも変えてしまう。


 一方、ドイツ車は屋根に100㎏の荷物を積んで数百キロを走れることが基本だそうだから、そのまんまの現実を具現化したクルマが多い。ポルシェも現実の中での使い勝手は申し分なく信頼性も充分だと言える。その分、華やかなスーパーカーに比べるとお祭り気分の要素は少ない。


 最近の話題としては同じPでも、のりPの覚醒剤容疑が連日報道されているが、人の脳が覚醒剤に強い親和性があることは疑いのない事実だ。というか、もともと私たちの脳はある決まった仕様のイルージョンを見られるように設定されてある。それ以外は原則禁止ということだ。高級一眼レフカメラのように、おまかせモード以外にも撮影者の好みで細かく調整することで、作品としての写真にバリエーションをもたらすことが可能であるが、幻覚剤の使用は私たちが通常使用している“おまかせモード”の限界を超えた世界を垣間見ることを可能とさせる。


 私たちが覚醒剤を始めそのような幻覚作用のあるクスリの使用を固く禁じているのは、社会が共通のモードを持った人々なしには成立しないからだ。赤を青に見える人が混在していれば信号機も用をなさない。笑顔を自分をバカにしていると受けとめられれば信頼関係は成立しない。
 だが、この世界の出来事は単なる幻覚とどれほどの隔たりがあるのだろうか?私の好きな映画に「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」というのがある。もう20年以上前の古い映画になってしまったが、ラストのシーンでロバート・デニーロが阿片を吸ってニタッと笑うところでエンドロールになる。長尺な映画だが、この最後の主人公の一瞬の笑顔がガス抜きとなり観客の気持ちを救う。束の間の人生は波乱万丈であっても、過ぎ去れば夢の中での出来事と相違なくなる。
 




 ところで、TVでも幻覚・幻聴と併記しているが厳密には幻覚の中に幻視や幻聴が含まれる。幻覚とは対象なき知覚のことなので、何もないところに見える、聴こえる、触られる、臭うなどすべてが包括される。


 ただし、人はこの世界を物理的にリアルに感じたいという強い願望も持っているのも事実で、だからこそその現実の中で凄まじい結果を出せるシューマッハや石川遼には賛辞を惜しまないのである。いくらうまいゲーマーがいても賞金を出す人はいないだろう。
 競技スポーツの世界は、いかに精緻に現実を把握できるかどうかで、特にモータースポーツの面白さは虚構を一切排した超現実の世界だが、そこにしびれるような物語が毎回展開される。らりって運転している場合ではないのだ。
 これが動物だと、タイミングよく獲物をとらえる技量(捕獲者から逃げるのも同様)に直結し、それが生死を分ける。神経系は適正値を常に知りたがっている。


  その中で、人間の心だけが幻覚にも嗜好性を持つ(幻覚を体験するのが嫌いではない)というのは、実はあなた自身が脳の造り出したイルージョンだからである。「自分」が人生の主人公だという保証はどこにもない。そういう輩が集まってできたのが人間社会で、豪雨や大地震はもともと存在している地球の普通の営みで人間からみれば「災害」となる。


  のりPは悪いことをしたが、芸能界という集団幻想の世界で逆説的ではあるが、ある意味リアルな自分を瞬間的に発見したのかも知れない。
 イルージョンはクスリを使っても使わなくても、私たちからきちんと分離できるものではない。今の時期、お盆も実は集団幻想のなせる行事だと気づいてただろうか?



    崩落した高速道路こそリアルな事象なんですよ。
Posted at 2009/08/13 20:54:01 | コメント(2) | トラックバック(0) | クルマ
2009年08月09日 イイね!

新しいプリウスに乗る

新しいプリウスに乗る   ただ今、爆発的な売れ行きになっているプリウスに乗って来た。実はニューゴルフも試乗していなくてそちらをDUO店で試乗したついでに同じ敷地内にあるトヨタ店に寄って(つまりはDUOとトヨタは同じ経営者)、プリウスを試乗をしたのである。

 まず、ゴルフ。極めてオーソドックスで新奇性はない。息子のクルマに一時考えたが今の若者にアピールするのは難しいと思う。だが、クルマ全体の動きがドライバーに正確に掌握できる精緻さは911にも通じるものがある。それは少し速度を上げてコーナリングしてみるとよりわかる。上質でレベルは高いが、そのよさは地味でなかなか万人(クルマに興味のない人)にはわかりにくい。

 次にプリウス。これはやはり新しいコンセプト、新しい世界のクルマだ。トヨタ本来のあまり芯を感じられないクルマ造りが、いい意味で開花したすぐれた作品だと思う。内装もおしゃれなシティホテルっぽいモダンなイメージでよい。
 混雑した市内を、ゴーストップを繰り返しながら走る日本の道路事情にはもってこいのクルマだ。同じ低速で走るならゴルフより快適かも知れない。少なくともゴルフの質素な内装が見劣りするほどだ。

 さて、二つのクルマの試乗を終えてカレラ4に乗り込み、そこから小岩井農場に通じる裏道のワインディングを走らせた。7000回転まで回せる走り方をすると、ノーマルエグゾーストでもレイシーなエンジン音が存分に楽しめ、人馬(車)一体感の中、クルマは勢いよくコーナーを次々パスしていく。
 そんな時「私は愛されている?」という言葉が浮かんだ。ある女が男にシニカルな想いしか抱いていないのに、ある晩二人でベットで熟睡していたら突然地震がきて、その男が無意識に自分に覆いかぶさり庇う行動に出た時そう思ったとブログに書いていた。

 
 911の美点はドライバーに対する愛情が深いということだ。ある状況まで追い込んで走らせた時に待ってましたとばかりにちゃんと答えてくれる。ゴルフもタフな使い方をした時に、911ほどではないがその“愛情”が備わっている。
 ならばプリウスはどうか?プリウスの優しさは市内を普通に乗った時は発揮されるが、ハードに走らせた時に、ドライバーに喜びを与えるような愛情、すなわち備えは想定していないだろう。そこまでは自分を愛してくれてはいない。


  クルマを単なる移動手段と捉え、そんな愛情まで要求しないのならプリウスはよいと思う。メインにしなくても、一家に一台あってもいいクルマであると思った。
Posted at 2009/08/09 11:53:34 | コメント(5) | トラックバック(0) | クルマ
2009年08月03日 イイね!

カレラ4で行く下北半島の旅

カレラ4で行く下北半島の旅   いつも行っている三沢からさらに北上し、下北半島に行ってきた。本州の果て、観光客も十和田湖や青森ねぶたまで来ても、ここまで訪れる人は少ない。

















  まず、位置関係から確認しよう。東北地方の北端はこうなっている。




 ここの大湊地方総監部(現・大湊地方隊)のあるところに一泊して、そこから翌日尻屋崎、大間崎を周り、南下して仏ヶ浦を通過し地図には書いてないが左下のコーナーの脇野沢を通って大湊に戻った。ちょうどマサカリの形をした半島を一周したことになる。






 下北半島にはご覧のような風車があちこちに見られる。宮崎アニメの世界っぽい。








 尻屋崎の岬にある灯台は明治9年に建てられたもので、レンガ造りとしては日本で一番高い。難破が多いところだが、観光客が少ないため私も含め軟派な人はいなかった。






 
   気温は20度。心地よい風だ。








 









  途中の漁村の風景。錆ついたトタンや古びた木材のままの建物が雰囲気があってよい。荒涼とした風景である。








 大間崎。大間マグロで有名なところだ。ここが本州最北端。







 仏ヶ浦付近。 





  

 陸奥湾。湖のような静かな水面である。

















 
Posted at 2009/08/03 16:42:48 | コメント(5) | トラックバック(0) | クルマ

プロフィール

「@terry997 人のクルマにのせられる時それを少し意識します。自分の運転の時はしないけど。(^_^;)」
何シテル?   05/02 14:49
  2007年型カレラ4に乗っています。オールシーズン、日常の足として使用し、すでに10万キロを越えました。  カレラ4の乗り味は、ゆっくり走ればメルセデス、...
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