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堅雪かんこのブログ一覧

2011年02月10日 イイね!

駐車場での気遣い

駐車場での気遣い   クルマの傷というのは、大抵は道路を走っている時よりも駐車場で起きる確率が高い。自分で気をつけていても、隣のクルマいかんでその安全は保障されない。日常で使っていれば無傷のままでいることは難しいから、そこは腹をくくってはいるが、一応の注意はする。子連れのファミリーユースのクルマの隣は避けたい。チャイルドシートがあるのもNGだ。一人しか乗らないビジネスマンの営業車の隣はより安全だとか。



  街の中では、管理人がいる広い駐車場のあまりクルマの出入りがない奥のスペースに置く。それでも戻ると、わざわざランエボとかBMW3シリーズが他が空いているのに隣に停まっていたりするが、それはOKだ。クルマ好きの人間は他のクルマにも気をつかう。クルマに無関心な人が一番怖い。新車のゴルフⅡが我が家にあった頃、クルマの向こう側にいた妻が段ボールに入った荷物をこちら側に手渡す時、ボンネットの上に置いてそのままこちら側に突いて滑らせてよこした時は驚愕してしまった。



  そう、だから子供の次に怖いのが女性だ。先日も駅の近くのビルの駐車所にカレラ4を停めたら、ほとんど同時に横にすっと軽が入って来た。しかもフロントから入れてきたので、お互いの運転席側が隣同士になる。「おめぇ、このまま二人同時にドアを開けたらぶつかるじゃないの!?しかも他に何台分も空いているのに嫌がらせ?・・・」と思って、相手がドアを開けないことを願って恐る恐る降りると、なんと隣のクルマのドライバーはこちらには全く無関心に車内で座ったままルームミラーを見ながらお化粧を始めた。20代くらいの女性で、そのためにクルマの向きを外の明るい日差しが顔にあたるように逆向きにしたようだった。



  なるほど、やはり価値観が全然違うんだ。野郎だったら、そんなことはまずしない。野郎には野郎の礼儀があるから。(それゆえ別な面でこじれることもあるけど)
 このように駐車場も一般社会と同じで様々な価値観を持った人がクルマを置きに来るので、心配しだすときりがない。



   クルマについたエクボも笑って済ませられるかな?う~ん、やはりそれは無理じゃ。(^ ^;

  
   
  
Posted at 2011/02/10 15:47:45 | コメント(12) | トラックバック(0) | クルマ
2011年02月08日 イイね!

男の子が大人になるためには

男の子が大人になるためには  前回、映画『アバター』は神話であると書いたが、さらに具体的に言えばこれは英雄の冒険の話である。ここで神話学の大家、ジョーゼフ・キャンベルが世界中の神話にみられる英雄の冒険について20年以上前に述べたことを引用してみよう。


 ふつう英雄の冒険は、なにかを奪われた人物、あるいは自分の社会の構成員にとって可能な、または許されている通常の体験には、なにか大事なものが欠けていると感じている人物の存在から始まります。それから、この人物は、失ったものを取り戻すため、あるいはなんらかの生命の霊薬を見つけるため、日常生活を越えた一連の冒険の旅に出かけます。たいがいそれは、どこかに行ってまた戻るというサイクルを形成しています。


  どうだろう、これは『アバター』そのものではないか。別にキャメロンがキャンベルからアイデアを盗ったわけではない。映画に限らず、人は魅力ある物語を創作する時、無意識的にそのようなストーリーになりがちだし、それを観るのを好む。
 さらに彼はこういった冒険の構造と精神性は、原始的な部族社会の思春期儀礼やイニシエーション儀礼にすでにみられると指摘している。子供である人格を死なせ、責任ある大人として蘇る(映画の中のナヴィ部族にもまさにその儀式の場面がある)。


  そして英雄の冒険には多くの試練、苦難、難題が待ち受けている。こういったものは英雄になるためには必須のもので、その意味に対してキャンベルはこう答える。


  試練は、英雄を目指す者が真の英雄になれるようにという意図で用意されているのです。彼は本当にこの使命にふさわしいか?危険を克服することができるか?任務を果たすだけの勇気や知識を持っているか?


  こういう過程で本人の意識が変わり、周囲も認めるようになる。だから乗り越えるべき課題が困難であればあるほど賞賛度も高いというわけだ。


  ところで英雄は圧倒的に男が多い。なぜだろうか?その答えはこうだ。女の子はなにもしなくても自然に大人になる。生理がきて妊娠可能になる。そして出産。出産そのものが自己犠牲を伴う男の「冒険」に匹敵するくらいのイニシエーションにすでになっている。
 一方、男の子は自分で努力しないと大人になれない。今の社会でいえば仕事に就きいろいろと揉まれる過程で大人に成長するのである。仕事もだから他人に責任を持ち自己犠牲を伴う厳しい仕事に就いている男ほど凛としてくるが、私利私欲だけで仕事を考えている人間はどこか子供っぽい雰囲気を残す(一部の大学教授やホリエモンみたいな人)。さらにひきこもりの男がいつまでたっても大人になれないのはこういう理由による。


 『アバター』の最後の方で、信用を失い窮地に陥った主人公のジェイクが一回り大きい怪鳥グレート・レオプテリクスに乗ってナヴィの群衆の前に現われるシーンがある。
 あれなんかは、普通のオフミにいきなりムルシエラゴに乗って現われる男を連想してしまった。そのクルマを自分の実力で買えるのなら、その男はクルマ趣味世界では“英雄”だ。


  
  ね、ここで気付いたでしょ?あなたたちも男の子同士で日々英雄ごっこをやってんだからね。
Posted at 2011/02/08 15:01:48 | コメント(6) | トラックバック(0) | クルマ
2011年02月06日 イイね!

『アバター』もエクボに見えない現代

『アバター』もエクボに見えない現代  映画『アバター』評は二分される。映画好きから見れば、その凝った映像はともかく、ストーリーがあまりにありきたりで、さらに今まで観た宮崎アニメやインディアンが出てくる西部劇、その他いろいろな映画が重なってパクリのオンパレードに見えてしょうがなかったかも知れない。
 だがこれは現代の最高の映像技術を用いた「神話」の再現なのである。神話と言うのは世界いたるところで同じモチーフが出てくる。この映画はその神話のモチーフを多く盛り込んだゆえストーリー的には“ありきたり”の印象を人々に与えてしまった。


 私たちは今もって自分らの存在や生命の源泉を知らない。映画では“頭がからっぽ”の海兵隊の男が偶然選ばれ、異なる肉体をまとい異星人の部族に潜入する。しかし彼は経済活動優先の現代人の価値観を持たない「戦士」ゆえ、数々の生死の危機を乗り越えついには彼らの精神性を理解する。この映画に共感できるかどうかは、自分も映画の中の密林を進みながら別な自分のキャラクター(アバター)を起動できるかにある。

 
  森の中では人も動物も生と死は隣合わせだ。そこでは強いものが生き残る。均整の取れた体と強い心、そして生き抜く知恵のある者が命をつなぐ。だが、偶発的な死は免れず、それを受容する精神も持っている。生は借り物ゆえいつかは元のあった場所に返さないといけないことを知っている。



  翻って今の私たちの死生観はどうだろう。食糧があふれているので危険な狩りはしない。体には余計な脂肪がつき過ぎメタボと言われ、金をかけてダイエットに励む。病気で死にたくないと思い、頭をCTに突っ込んだり、口や鼻、または肛門から管を入れて検査を強迫的にする。そういやって長生きして、やがて認知症になり、その家族がまた介護で疲弊してしまっている。野生をすでに失い、力の誇示や性的な振る舞いは犯罪行為と紙一重までに貶められている。



 『アバター』を観て、単純に思うことは私たちの遠い先祖もあのような社会構造で長らく生きてきたのだろうということだ。それこそ食べるものにも不自由し、つまらないことで死ぬことも多かっただろう。だが、そこには明らかに密度の濃い自然と一体となった生きる喜びがあったに違いない。戦士を敬い、真のリーダーに従い、そしてあらゆる生命の根源であるなにものかを崇めていた。



  とは言うものの、ではまたそのような暮らしに戻れるかというとそれは無理だ。『アバター』の話が陳腐に思える程、現代の社会は変化してしまった。人々も神話すら見向きもしなくなった。そういうことなんだろうな。でも「戦士」を敬う習性はしっかり残っていて、スポーツ選手に時に何億円もの年俸が集まるのは、そういった人々の無意識の表れでもある。(サンデル教授は進化心理学も援用すべきだ)


   私はそういうわけで『アバター』は“大変よく出来ました”のハンコをあげたいw
Posted at 2011/02/06 21:06:26 | コメント(5) | トラックバック(0) | 音楽/映画/テレビ
2011年02月03日 イイね!

久しぶりの快音を聴く♪

久しぶりの快音を聴く♪  今日は、午後からの外での仕事が早めに終わったので、小岩井農場に向かうことにした。気温がいつもよりかなり暖かく感じ、雪も融け始めている。しかし実際の気温は2度前後。慣れとは恐ろしいもので、あまりに寒い日が続くと北国では0度でも有り難く感じるようになる。


 雪祭りの開催を明日に控えた小岩井農場の道路はクルマも少なく空いていた。久しぶりにアクセルを奥まで踏み込むと、あの心地よいエンジン音が響いてきた。道は両脇は雪の壁だが路面はウエットでシャーッと水しぶきを跳ねる感覚がタイヤを通して伝わってくる。こういう場合は飛ばしても安全だ。やはりポルシェの本領はスピードメーターの針を左下に寝かせておくのではなく、ビーンと上方を向けさせないと味わえない。


 と、安心なカレラ4に頼りながら運転していると、ふと朝の武田鉄矢のラジオ番組で言っていたことを思い出した。それは、靴底が丸い靴があって、それは普通の靴より歩くときに不安定になる。ところがその不安定さが逆に本来のバランス感覚を呼び覚ますという。だから、逆に人というのは安定したものにのると、本人のバランス感覚はかえって悪くなる。


  なるほど!と思った。これはGT3とカレラ4の対比に置き換えられる。おそらく雪解けの道をGT3で走ったら神経がピリピリするだろうが、そこでドライバーは神経を研ぎ澄ませて走るだろう。一方カレラ4はクラウン並みにリラックスして走れる。さて、どちらが正確な運転を体得できるだろうか?


  同じ普通のクルマでもプロドライバーが乗ると、ラップタイムにかなり差が出る。それはプロドライバーがその修練によって正確なバランス感覚で、無駄のないドライビングが出来るからだ。
 ポルシェがなんでGT3というモデルを出すか、よりわかったような気がした。



2011-02-03 15.16.19 - コピー

  今日の網張スキー場付近。カメラを持参しなかったので携帯で撮った。カレラ4はどこでも行ける頼もしい相棒。
Posted at 2011/02/03 21:51:36 | コメント(7) | トラックバック(0) | クルマ
2011年02月02日 イイね!

君の友達、それは誰?

君の友達、それは誰?  氷点下が続く寒くて暗い街の中をカレラ4で走り抜ける。家路を辿る、厚いコートを着込んだ人々も針葉樹の林のように動いていないかのような凍てついた晩だ。普段あまり聴かないFMを車内でかけていると、聴き覚えのある少し沈んだ落ち着いた声の女性シンガーの歌が流れだした。数曲目に「You've got a friend」が始まった。キャロル・キングだ!すごく懐かしい。


 この曲は最初はそっと慰めるように始まるが、サビの部分からゴスペルのように力強くなる。それに合わせてクルマの中で腕と体を揺すってみる。夜だから人に見られまい。
 しかし、今までいろいろな出会いがあり、結婚もし子供もいる。でもどうだろう。人は結局はその心の真ん中にある孤独はどこまでいっても埋まらないんじゃないだろうか。目を閉じて呼びたい名前の人が浮かぶだろうか?う~ん、いないなぁ・・。


 だからと言って、がっかりすることはない。友達とはもしかしたら自己愛の投影なのかも知れない。クルマを愛でる人も自己愛はかなり強いと思われる。いいクルマというのはそういう投影に応えてくれる。「クルマが友達です」なんてベタなことは言うつもりはないが、いい出会いはいい自分探しでもある。だからいい人やいいモノとの出会いは大切だ。



  その晩にあった飲み会は残念ながらそういう集まりではなかった。行き帰りのクルマの中の方が楽しいってやはり変なんでしょうか?
Posted at 2011/02/02 22:54:50 | コメント(6) | トラックバック(0) | クルマ

プロフィール

「@terry997 人のクルマにのせられる時それを少し意識します。自分の運転の時はしないけど。(^_^;)」
何シテル?   05/02 14:49
  2007年型カレラ4に乗っています。オールシーズン、日常の足として使用し、すでに10万キロを越えました。  カレラ4の乗り味は、ゆっくり走ればメルセデス、...
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2014年7月27日に退役しました。盛岡の冬もなんなく走り、非常に頼もしい家族車でした。
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