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堅雪かんこのブログ一覧

2011年10月24日 イイね!

911のおじいちゃん

911のおじいちゃん  先日、偶然にも駐車場でVWビートルに遭遇した。過去に何度も目にしていたとはいえ、今もってインパクトのあるクルマである。911の祖父みたいな存在で、流線型ボディにリアエンジンが主な共通項だが、その背景には歴史がぎっしり詰まっている。


 このクルマを特異なものにしているのは、やはりヒトラーの国民車構想の掛け声で開発がスタートしたことと、声をかけられたのがフェルディナント・ポルシェだったことであろう。もっともこのビートルは、一からポルシェが創造したものではなく、現代のスマートフォンの技術みたいに、当時の様々な自動車技術者達のアイデアが歴史の中で交錯して出来上がったものだった。




 



 例えばスタイルなんかは当時のチェコスロヴァキアのタトラ似だし(写真・下)、リアエンジンも珍しいものではなかった。だがポルシェという強力な重力の中心があって、いいものに仕上がったのである。それは戦後のこのクルマの驚異的な販売台数が物語っている。





 ポルシェには三つの夢があったという。一つはレーシングカーをつくること。二つ目は小型の国民車をつくること。三つ目は農業用トラクターをつくること。その二番目の夢がヒトラーの独裁で陽の目を見た。それまで彼は同様の試作品を何個か作ったことがあったが、依頼主の都合で頓挫していたのである。


 TopGearの英国人ジェレミーは、ドイツ車をナチのクルマと時々揶揄するがあながち間違いではない。ヒトラーはスーパーチャージャー付きのメルセデスを好んだし、911の系譜はビートルに始まり、356、911と続いている。
 しかし、第二次世界大戦で壊滅的な打撃を受けたそのVWを復興に導いたのは、終戦直後、工場のあった地区の統治をまかせられた英国軍少佐のアイヴァーン・ハーストだった。今も呼ばれているそこの地名のヴォルフスブルクの命名者も彼らだし、現在使用されているVWのエンブレムも彼らが考案したものなのである。


 VWビートルにはこの他にも語りつくせない逸話がたくさんある。秋の夜長に911のオジイチャンの話をひもといてみるのもいいものだ。









Posted at 2011/10/24 16:57:27 | コメント(6) | トラックバック(0) | クルマ
2011年10月18日 イイね!

ドイツでメルセデスよりAT比率の高いメーカーは?

ドイツでメルセデスよりAT比率の高いメーカーは?  ドイツの多くのドライバーはマニュアル車を選び、アメリカや日本に比較してもそういう傾向で、新車購入者の28%がATを選ぶに過ぎない。だが、ドイツでもATのオプション価格が2000ユーロまでであれば選択の障害にならないことや、昨今のATの優秀さもあってAT人気が高まっているそうである。(参考記事はAUTO MOTOR UND SPORTより)

 しかし、メーカー別に見ると意外な結果に驚く。


 ドイツ国内のデーターでのメーカー別AT比率(新車)は、トヨタ 28%、日産 16%、ルノー 9%、プジョー 8%と確かに低い。
 これがドイツ車では、VW 27%、アウディ 45%、BMW 56%、メルセデス72%となり、それをさらに上回るメーカーは・・・・・・・嫌な予感がしますか? そうポルシェ 84%なのである!


 まあ、ポルシェと言っても売れ筋はカイエンやパナメーラが半分以上であるが、スポーツカーメーカーのイメージが濃いポルシェなだけに、これは驚きの結果だった。


  このデーターから言えるのはAT比率の高さはオヤジ度の高さに相関するのではないかということである。国産、輸入車共に若者は安いクルマを買う。当然、金銭的な問題もあるが、運転の楽しみも求める層である。
 メルセデスがAT比率が高いクルマであることは誰でも納得できるであろう。しかしポルシェはどうか?実はポルシェの購買層もメルセデスに劣らず新車はオヤジが買っていると思われる。日本でも911のAT比率は確か90%を越えているはず。ディーラーに足を運べば、そこにいるお客さんは白髪頭が多いはず。(自分のことはさておきw)
 そこでポルシェのキャッチコピーを考えた。



    ダンナ、いいクルマありまっせ!!


 これを思えば、昨今のポルシェのクルマの仕上げ方の傾向も納得できる。奥山清行が言うように、結局クルマのデザインを決定するのは顧客であると。ただこの顧客に合わせ過ぎると製品が陳腐化してしまう。
 だからこそGT3のようなモデルはポルシェの本来の精神の象徴で、台数は少なくとも大変貴重なものだと思う。
 ポルシェ にはいつまでも Stay hungry. Stay foolish であって欲しいものだ。

   
  
Posted at 2011/10/18 15:35:47 | コメント(7) | トラックバック(0) | クルマ
2011年10月16日 イイね!

秋の空

秋の空は変わりやすい。











































Posted at 2011/10/16 17:39:38 | コメント(7) | トラックバック(0) | クルマ
2011年10月15日 イイね!

Hello,darkness my old friend

   闇の中の道をひたすらカレラ4で走る。今日は一関で会議があった。会議が終わったら地元の鰻屋に行く予定だったが、店が見当たらない。以前何度か来たことがあるのに。仕方なくカーナビを操作し、車周辺の「おすすめグルメ」を探す。ところが4・5件あたってみたが、皆閉店している。土曜日だというのに、一関の夜はひっそりと静まり返っている。


  運転しながら、今日の会議の内容を思い出していた。震災時にガソリンの供給不足となり、各医療機関は大分苦労した。中には優先的に入れさせてもらったところもあったようだが大部分のところは職員の出勤にも支障をきたすまでに追い込まれた。そこで県医師会として、県の石油を扱っている元締めのところに医療機関の者を優先させてくれとお願いをしに行ったら「ベンツとかで来られて、それでガソリンを入れても、どこに行くのかもわからないし」と嫌みを言われて断られたそうだ。


  隣町の平泉町に向かうことにした。20分くらいで着き、まずは駅前のそば屋、その近くの割烹屋・・・、皆閉まっている。一関以上に人影も明かりも少ない。世界遺産に指定を受け、日中は観光客で賑わうのに、夜はひたすら閑散としている。
 途方に暮れ、半ばあきらめ高速道のインターを目指して、よくわからない細い裏道を走っていると、暗闇の中で一つだけポツンと明るく照らされている看板が目に入った。カフェレストラン○○○とある。しかし駐車場には照明がなく薄暗い。それでもクルマが二三台停まっていた。よく見ると開店祝いの花輪が店の前に数個飾られていた。


  思いきって店に入ると、誰もいない店内にきれいなウェイトレス3人が一度に寄って来た。もしかしてヤバイ店かもとちょっとあせったが、席に座って落ち着いて店内を見回すと、衝立の向こう側には客も何人かすでにおり、きれいと思ったウェイトレスの一人は普通のオバサンだった。
 持ってきたメニューを見ると、ピザとかパスタ、サラダ、スープなどが書かれてある。要するにイタリアンレストランだった。おそらくスタッフは皆家族と思われる。シェフが父親で、奥さんと娘二人で店をオープンさせたのだろう。


 海老マカロニグラタンと野菜サラダとスープを別々に頼んだ。コース料理等は一切なかった。ちょっと待って料理が運ばれてきた。野菜サラダは食材が新鮮でおいしかったが、他は「ん?」レベルだった。特に海老マカロニグラタンはラブホなんかで用意されてある電子レンジで温めて食べるものと相違ない味だった。「ここのグラタンはおいしんだよね~」と言っていた女の子の言葉が思い出される。
遠い過去の話だけどw



 次に運ばれてきたミネストローネスープも「あれ~??」みたいな素人臭い味。私の後に地元の客が次々入ってきたが、これでは先が見えている。おそらく一年後にここを通りかかったら店がないかも知れない。一関の名店の鰻屋でも危ういのだから。闇の中で見つけた店は、一時の幻のように思えた。味にこだわらない店はほどなく消えていく。



  盛岡に着いてから、東京で観劇して帰って来た妻を駅に迎えに行き自宅に戻った。お土産の中に鳩サブレがあった。昔からある定番のお菓子。さっそく食べてみると、これがおいしいんだなぁ。



  ところで表題を見てメロディが浮かんでくる人は・・・・・・・・・もう若くない人ww




  
Posted at 2011/10/15 22:19:45 | コメント(7) | トラックバック(0) | 日記
2011年10月12日 イイね!

SLK、恐竜時代の残滓

SLK、恐竜時代の残滓  映画『ジュラシックパーク』のエンディングは、恐竜の襲撃から辛うじて逃れた人達が脱出用ヘリコプターから外を見やると、鳥達が平和そうに飛んでいる姿だった。その鳥こそがあの戦慄させた恐竜の末裔であることを暗示する見事なシーンでもあった。
 実は、先日アップした“平和な”SLKも、恐竜の末裔だった。


 そのジュラ紀に相当するのが、第一次世界大戦が終わってからの1920~30年代のダイムラー社(メルセデス)で造られたSシリーズで、その技術的中心人物だったのがフェルディナント・ポルシェだった。
 そこでのSはSport、SSはSuper-Sport。KはKurzesfahgestell(短いホィールベース)、LはLicht(軽量)というネーミングで、SSKやSSKLといったスポーツカーまたはレーシングカーがつくられ、これらは即当時行われていたいろいろなレースに参加し名声を高めたのであった。
 SSKLに至っては300馬力のスーパーチャージャー付きエンジンで最高速が235km/hという現代のスポーツカーと比較しても遜色のない高性能で、これがなんと彼の国では1931年に走っていたのである。





  メルセデスSSK。凄いとしか言いようのない佇まい。カラッチオラという当時の名レーサーにより数々のレースで優勝した。







 メルセデスは第二次世界大戦後も、300SLRなどでレースでの実績を残していたが、1955年のルマン24時間耐久レースで、観客80名が死亡するという悲惨な事故を起こし、それ以来レースから撤退してしまう。 (その34年後に復帰するも、99年にレーシングカーが舞い上がる事故があり再び撤退)


 しかし、このような歴史で蓄積した自動車造りの技術、そして精神はやはりメルセデスの中にしっかり残っており、それがあればこそSLSやSLRが作れてしまうのである。TopGearのリチャード・ハモンドがレクサスLFAを試乗して、その性能の優秀性を認めざるを得ないとしても最後まで受け入れられない理由がレクサスだからというわけは、こういった歴史性にあるのではないかと思ってしまう。


 こういうわけで、ヨーロッパにおけるクルマの黎明期は、一部の限られた王侯貴族の趣味としてのレーシングカーから発展してきたことがわかる。だから、今現在でもスーパーカーが相当な性能と価格で登場し、それを一部の裕福な人々が買い、またサーキットでそれを楽しむというのは、本来のクルマのあり方とも言えるのである。(買えない人々は観客となって楽しめばよい)


  一方、多くの人々が買える小型車を作りたいと主張し、経営陣と衝突してダイムラーを去ったのはフェルディナント・ポルシェその人でもあった。そして時代はやがて大衆車で満ち溢れ、『ジュラシックパーク』のエンディングのように平和な鳥達が舞う世界になったのである。



   
      あなたは鳥と恐竜、どっちに興味を持ちますか?
Posted at 2011/10/12 14:47:21 | コメント(7) | トラックバック(0) | クルマ

プロフィール

「@terry997 人のクルマにのせられる時それを少し意識します。自分の運転の時はしないけど。(^_^;)」
何シテル?   05/02 14:49
  2007年型カレラ4に乗っています。オールシーズン、日常の足として使用し、すでに10万キロを越えました。  カレラ4の乗り味は、ゆっくり走ればメルセデス、...
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