福島 「郡山空襲」から80年 跡地をたどり平和を考える催し
04月12日 17時22分
郡山市では80年前の4月12日、アメリカ軍による空襲で460人が犠牲となりました。12日は市内で爆撃を受けた地域をたどり戦災の記憶を語り継ぐ催しが行われました。
郡山市では、太平洋戦争末期の昭和20年にアメリカ軍によって軍需工場などがあった市の中心部が4回にわたり爆撃を受け、県内の自治体では最も多い500人余りが亡くなりました。
12日は地元の市民団体が戦争被害を語り継ぐ催しを開き、県内外から参加したおよそ20人が爆撃による被害を受けた場所など市内の7か所をめぐりました。
このうち、駅の東口にある化学工場は、当時、戦闘機の燃料などを製造していたことから標的となり80年前の4月12日に爆撃され学徒動員の30人を含む204人が亡くなったということです。
団体のメンバーは、市内では同じ日に別の場所も爆撃され、あわせて460人が犠牲になったことを説明していました。
このあと参加した人たちは、犠牲者の慰霊碑がある寺を訪れ、静かに手を合わせていました。
市内の20代の女性は、「ふだん通勤で目にしている場所が、戦争で被害にあったのだと知ることができた。家族や友人に学んだことを伝えたい」と話していました。
また、東京から郡山市に疎開し、戦後も市内で暮らしてきたという80代の男性は、「離れて暮らす子どもや孫とも改めて戦争や平和について話し合いたい」と話していました。
催しを開いた平和のための戦争展実行委員会伊藤洋さんは、「平和の実現のため声を上げ、戦争の悲惨さを語り伝えていきたいです」と話していました。
Posted at 2025/04/12 19:55:23 | |
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