南相馬の特攻機墜落、名誉回復へ「新説」 研究者「操縦卓越、不時着試みた」
2025/07/08 07:45
終戦の6日前、後藤野飛行場(現岩手県北上市)を飛び立った1機の特攻機が現在の南相馬市原町区の山中に墜落し、操縦していた渡辺秀男少尉=当時(22)=が亡くなった。花巻市博物館主任専門員の布台(ふだい)一郎さん(61)は今年、渡辺機は厳しい条件の中、ため池への不時着水を試みたのではないかという新たな可能性を示した。機体の破片は5日から同博物館の企画展で展示されており、特攻機は80年ぶりに「里帰り」している。
展示されているのは「九九式双発軽爆撃機」の破片で、右主翼後方の胴体の一部分とみられる。70~85センチ×210センチで、墜落現場で見つかったとみられ、顕彰会から南相馬市博物館に寄贈された。
特攻機、北上をたつ
これまでの研究によると、渡辺少尉は岩手県釜石への艦砲射撃があった1945年8月9日、後藤野飛行場から沖合の米軍艦隊を目指して飛行。しかし片方の車輪が出たままで、日没も迫った。渡辺機はかつて訓練を積んだ原町への帰還を試みたが着陸できず、何らかの原因で墜落したーとされる。墜落原因を巡っては、操縦者の技量不足や、飛行場を見つけられなかったなど「不名誉」な見方もあった。
布台さんは今年3月、米軍の記録や現地調査などを基に新たな考察をまとめた。月明かりがほとんどない中、原町まで飛行した渡辺少尉の飛行技術は「非常に卓越していた」と推測。原町飛行場は8月9日に米軍の攻撃を受け激しく破壊されており、さらに墜落現場の付近に建てられ詳しい場所が分からなかった追悼碑が同市原町区矢川原の山中に今もあることが判明し、近くには大迫ため池があった。これまでの研究での目撃者の証言から、渡辺機が原町上空を1時間弱程度旋回していた可能性が高いことも分かった。
ため池目指したか
布台さんはこれらを総合し、渡辺機は飛行場の場所や状況も把握しながら、どこかに着陸を試みたと推察。「検証が不可能だが一つの説」とした前置きした上で、「渡辺機は空襲や片脚飛行のため原町飛行場への着陸を断念した。上空を旋回して燃料が切れるのを待ち、ため池への不時着水を試みたのではないだろうか」という新たな可能性を導き出した。布台さんは「燃料切れという不可抗力ではなく、最後まで懸命に努力した」との見解を示す。
破片は6月20日、花巻市博物館に到着した。花巻は渡辺少尉ら特攻隊員が出撃前に過ごした場所でもある。「ゆかりのある花巻に機体が戻り、展示に訪れた人が悲惨な過去を考えるきっかけになれば」と布台さん。冷たい金属は80年前の悲劇を静かに訴える。
来月24日まで企画展
花巻市博物館の企画展「戦後80年 戦争と花巻」は8月24日まで開かれている。問い合わせは同館(電話0198・32・1030)へ。
Posted at 2025/07/08 12:32:54 | |
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