エルヴィス・プレスリー
未だ根強いファンが多い
キング・オブ・ロックンロール
その、人気絶頂期のエルヴィスに
米国陸軍よりの徴兵礼状が届いたのが
1957年12月20日の事でありました。
エルヴィス徴兵礼状は通常の兵士として西独逸で勤務し
1960年3月満期除隊しているます。
当時の、記事を見ると・・・・・
プレスリー二等兵騒動記
徴兵告知に大むくれのファンとハリウッド
襲われたエルビス邸
テネシー州最大の都、メンフィス市はこの日、正確に言えば12月20日昼過ぎから大騒動が巻き起こった。その昔チカソー族という北米インディアンの中でも一番好戦的な蛮族の砦のあったこの町の警察は、まるでインディアンの襲撃でもあるかのような厳重な警戒態勢をしいた。
この町の郊外にある " ロックンロール " の開祖、エルビス・プレスリー君の邸宅が、続々と押しかけた熱狂的なファンの群れに囲まれて、あわや陥落?のピンチに落ちいったからだ。
「僕らのエルビスをどうするんだ。軍服を着せてみろ、僕は服を引き裂いてやるから」アヒルのシッポ風に刈り込んだエルビス刈の兄ちゃんが叫んだ。「そうですとも。私のエルビスをどうするつもりなの。エルビ(註:←そう表現されている)、あんたは本当に軍隊に行くつもりなの。私は死んでやるから」デニムのズボンをはいたカリプソ・スタイルの少女がこれに答えてキイキイ声を上げた。
たそがれが迫ると、このようなファンの群集は次第に数を増し、ことさら群集の暴力から防ぐために頑丈に作られている正面の鉄門をゆさぶり、警官の阻止も聞かずにヘイを乗り越えようとする者も出てきた。そして何の魔除けか知らないが色とりどりのパンティを雨のように広い邸内に降らせた。やがて夜がやってきても、ファンたちはいっこう立ち去ろうという気色さえ見せなかった。
入隊は誇りです
そもそもの事の起こりはプレスリー君のところに徴兵事務所から入隊告知書が届けられたことに始まる。この朝九時過ぎプレスリー君はベッドの中で目を覚ました。昨年四月、十万ドル(三千六百万円)もかけて新築した邸宅は、部屋の作りも粋を凝らしたもの。濃紺で塗りつぶされた寝室の一方の壁は壁一面に鏡をとりつけ、床は真白なじゅうたん、プレスリー君はおもむろに立ち上がるとこの白いじゅうたんを踏んで寝室の片隅に置いてある机の方に向かった。机の上にはいつも重要書類が置いてるので朝起きるとプレスリー君は毎朝習慣的にそうするのであった。何気なくぱらぱらと書類をめくっていたプレスリー君は一通の手紙をみてはっと息をとめた。
「エルヴィス・プレスリー君、メンフィス徴兵事務所は貴君に対し、来年一月二十日までに入隊手続きを要請する」
その手紙にはこう書いてあった。しかし息を止めたのも瞬間、プレスリー君はまたいつもの調子で鼻歌を歌いながら洗面所に出て行った。昨年一月ケネディ郡軍病院受けた徴兵検査が合格してからというもの、プレスリー君は前から、この日のくるのを予期していたからそんなに驚くにはあたらなかった。それよりもまずプレスリー君の頭に浮かんだのはこのニュースを知ってかけつける報道陣と熱狂的なファンのことだった。すでに昨年の徴兵検査のときですらそうだった。連日のように彼の家には「兵隊に行くな」という気狂いじみた投書が舞い込み、ハワイに住む十二歳の少女などはご丁寧にも十五条からなるプレスリーの兵役免除に関する嘆願書を陸軍省に送り「彼が入隊すれば、婦人兵が騒ぎ出し、暴動が起こるでしょう・・・」と訴願したほどであった。
しかしプレスリー君のこの暗い期待は見事に当たり、早くも一時間後には押しかけた報道陣に囲まれてもみくちゃにされてしまった。新聞記者の質問はどれもこれも月並みなものばかり。 " プレスリー君、君は本当に入隊するつもり? "、 " 赤紙を受け取ったときの感想は? "、" 入隊延長手続きはとらないの? " プレスリー君のこのような質問に対する回答はどれも同じ。
「ぼくは入隊する事を非常に誇りに思っていますよ。だって入隊は米国市民の義務であり権利でしょう。私は喜んで命令に従いますよ」
ハリウッドは大損害
一年に五万ドル(一千八百万円)も稼ぐほどの人気者が、喜んで、月七十八ドル(やく二万八千円)の一兵卒になるなんて、とうてい考えられないことだったので、この答えを聞いた居並ぶ新聞記者たちはみんなあっけにとられた。しかしプレスリー君が、喜んで入隊すると言っても、おいそれとハリウッドの連中がプレスリー君を手放すはずはなかった。一月にプレスリー主演で " キング・クレオール " を撮る予定になっていたパラマウント社が真っ先に " 入隊反対 " の火の手をあげた。同社のチーフ・プロデューサーであるフリーマン氏は早速メンフィス市の徴兵事務所にあててプレスリー入隊の八週刊延期嘆願書を出し、こう言った。
「プレスリーの入隊が決まれば、わが社のこれによって蒙る損害は、三万ドルから三万五千ドルという多大な額にのぼります。もうセットも出来上がりロケ地の選択も終わって、あとはクランク・インするだけの段取りになっているですからね。とてもたまったものではないですよ。」パラマウント社だけではない。二十世紀フォックス社も、すでにプレスリーと契約ずみだし、MGMも交渉を進めていたのだから、プレスリー入隊の影響は大きい。
クリスマス・イヴの二十四日にはついにをそそのかし、彼自身による入隊延期手続書をメンフィスの徴兵事務所に提出させた。はたして徴兵事務所がこれを認可するか、どうか今のところ判らないが、これまで単なる個人的な理由だけで、入隊が延期された例はほとんどなく、どうやら却下される見通しが強い。そうなれば、この正月二十日には晴れてプレスリー二等兵が誕生し、入隊中の二年間というものは、あの独自の「ロックンロール」も舞台や銀幕からは姿を消すわけだ。
ロックンロールは大芸術
ところで、この入隊騒ぎをまえに今、当のプレスリー君は米歌謡界の大御所フランク・シナトラを相手取り、大論争を闘わしている。このいきさつはこうだ。これは決してプレスリー君が売ったケンカではなく、シナトラが仕掛けたケンカなのだが、シナトラが旧冬パリの " ウエスタン・ワールド " 誌上に書いた " ロックン・ロール " 攻撃の記事よってこの論戦は口火が切られた。まず、シナトラの記事を要旨を紹介してみよう。
アメリカのジャズやポピュラーソング世界中の人々に強い影響を与え、とくに友好を深める大きなきずなとなっている。ところが、ただ一つ私が遺憾に思うことは、心ない米国の映画会社やレコード会社が、聞くにもたえない---野蛮な、堕落的な、そして悪徳に満ちた表現形式の音楽つまり " ロックン・ロール " を広めている事である。 " ロックン・ロール " は、世界の青少年を堕落させ、不良化させる因を作っている。
プレスリーの " ロックン・ロール " に対するこのような非難は今に始まった事ではなく、デビュー当時「ハート・ブレイク・ホテル」や「ハウンド・ドック」の頃から、一部の教会からは " 悪魔の使途 " とつまはじきにされ、道学者からは " 青年不良化の温床 " だと非難されてきた。しかし同じ流行歌手であり、先輩である者から正面きって攻撃を受けたのははじめて。プレスリー君は激しい口調でこれに応じた。
「シナトラさんだって言う権利はありますよ。事にシナトラさんは成功者であり、素晴らしい芸術家ですからね。だけどいうべきことはわきまえるべきだと思いますよ。シナトラさんは " ロックン・ロール " について、誤解なさっています。 " ロックン・ロール " は一つの流行なんです。ちょうどシナトラさんが売り出したときに一つの流行があったように、私は " ロックン・ロール " は偉大な芸術だと思っていますよ。なぜなら私しかできない音楽ですからね。どうして人々が " ロックン・ロール " が青少年不良化に影響を与えていると責めるのか理解に苦しみます。不良なんて、昔からいつもいたんです」
まだこの論戦にきりはついていない。もともときりのつかない性質のものかも知れないが、プレスリー君の入隊が決まれば等分タナ上げされる可能性にある。はたして、二年間の兵役を終えて、舞台にカム・バックしてもプレスリー君の人気が現状のままであるかどうかも判らない。またシナトラにしてもその時まで流行歌手の王座にすわっているとは断言できないのである。
週刊サンケイ 昭和33年(1958年)1月19日号より
除隊初の映画となる『G.I.ブルース』はエルヴィスが駐屯していた、
フランクフルトを舞台に製作され、初のコメディ作品として
1960年11月に公開、主題歌の"G.I.ブルース"は、
軽快なリズムの楽しいロック調の歌で大ヒットしています。
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Posted at
2012/12/20 23:28:14