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DORYのブログ一覧

2010年03月19日 イイね!

PS13シルビア物語

PS13シルビア物語これまで91年式のPS13シルビアを2台乗りましたわーい(嬉しい顔)

■'91 J's 富士フレッシュマン仕様

当時乗っていたR32GTRを手放し、富士フレッシュマンレースに挑戦することにしました。

91年2月、座間にあるNISMOの倉庫へ出向きました。富士フレッシュマン仕様のPS13シルビアを受け取る為です。手配したローダーに載せ自宅まで戻りました。

ベースとなるJ'sという最廉価モデルにN1用パーツを装着されない状態で渡されただけでしたので、製作してくれ尚且つサーキットサービスもしてくれるショップが必要でした。結局、知人の紹介で当時有名だったショップに御願いすることにしました。

91年4月。忘れられないデビュー戦となりました。予選で原因不明のエンジントラブルがあり、なぜか4000rpm以上回りませんでした。そんなわけで決勝グリッドは最後尾涙 さらにグリッドに並んだら今度はエンジン始動せず、記念すべきデビュー戦がピットスタートげっそり

コースインするなり救急車やレッカー車を抜くという貴重な体験をしながら、必死に走ったら3周目くらいで最後尾のクルマが2台見えてきましたひらめき ピットボードは「Goグッド(上向き矢印)」、ウラウラウラウラーー!と雄叫びをあげながら追走したものの翌周にクラッチトラブルでリタイアしちゃいましたバッド(下向き矢印)

それからしばらくしてトンでもない勘違いをしていたことに気づきました。ボクは単純にFRでレースがしたかったのでPS13シルビアを選んだのですが、そのクラスはそれなりのレース経験を積んできた真剣にプロを目指すドライバーが多くいたのでありました。。。

当時のボクはサラリーマンでしたから、金曜日の練習走行には参加できず、土曜の予選はぶっつけ本番でした。元々腕のレベル差があるだけでなく、練習不足もあり、走れば走るほど差がついていきストレスが溜まりました。

ストレスが溜まっていたのは決してボクだけではありませんでした。一生懸命整備してくれたメカニック達もボクの不甲斐ない走りを見て機嫌悪そうでした冷や汗

趣味で楽しむ雰囲気ではなく、かといってプロを目指すレベルには自分自身が程遠い、それでも3シーズン悶々としながら続けました。もちろん1戦あたり最低でも約30万円の予算が必要でしたから全戦エントリーはとても出来ませんでしたが・・・。


そして運命の日がやってきました。たまたまIMSAという大きなレース団体がアメリカからやってくるのでNISMOからN1シルビアレースを前座としてやるので出てくれ!と頼まれ、な~んか気乗りしなかったのですが出ることにしました。

レース当日、強雨のコンディションで、ストレートでは前車の水しぶきで前が見えません。予選を失敗して後ろから数えた方が早いポジションでしたので、ヤケクソになってAコーナーでギャラリーサービスとしてドリフトをかまそうとしたらスピンし最下位となりました冷や汗2

アタマに血が上り、怒涛の追い上げを試み始めました。当時の300Rはダンロップコーナー手前で雨が降るとコース上に川が出来るので、そこはイン側を走ることが鉄則でした。しかし、その時、ちょうど前車に追いついたので構わずアウト側から全開でいきました!するとクルマは一気にコントロールを失い、アウト側のコンクリートウォールへと向かっていきました。瞬時の出来事だと思うのですが、人間って本当に危険な状況に遭遇すると、不思議とビデオのコマ送りのように目の前がスローモーションで見えたりすると聞いたことがあったのですが、まさにその通りでした。

凄まじい衝撃とともにコンクリートウォールに刺さりました。意識はしっかりしていましたので、脱出してコース外へと避難しました。心配そうに駆けつけてくれたチームスタッフには無理してギャグを飛ばしたりもしていましたが、次第に辛くなってきました。でも御殿場の病院へ行ってしまったら明日出社できなくなってしまう。痛みをこらえながら都内まで戻り、近くの救急へ行ったのでありました。

このままでは周囲のみんなに迷惑を掛け続けてしまう・・・痛みにこらえながら引退を決意しました。不完全燃焼だけど、とても中途半端だった自分が本当に情けなかったです涙

ちょっとほろ苦い思い出です。。。


■'91 K's@ドリフト仕様

2004年10月、迷うことなくドリフト変態技へと挑める低価格車が欲しいなぁ~と思い、中古車情報サイト等をチェックし、そこで狙いをつけたのがR32スカイラインGTS-t TypeM。予算は30万円までを上限に探してみました。ところが勇んで色々な店に電話してみましたが、な~んか怪しい店が多く萎えてしまいました・・・。

代わりにシルビアも考えてみようということで、旧知の360monakaさん@KSP Engineeringを訪ね、在庫車を3台見せて頂きました。PS13シルビアが一台、それと高年式の180SXが2台でした。180SXの方はさすがに新しいだけあって綺麗ですし、タイヤもシルビアより積めるしいいなぁ~とは思ったものの、後期型は人気モデルらしくシルビアの倍の予算が必要でした。思案した結果、48万円也の'91 PS13シルビア K's 走行9万km、車高調、LSD付を購入することにしました。これだけ古くて多走行ですから今後色々あったとしても当たり前でしょうが、少なくとも友人から買えば嘘は無いので安心でしたわーい(嬉しい顔)

2004年10月からの1年間、とにかく修行あるのみ!と走りこみました。「もう失うものは何も無いのだー!怖いものなんか無いのだー!コンクリートウォールだろうがタイヤバリアだろうが俺の進路をふさぐものはすべてぶっとばしてやるのだー!どおおおおりゃーーー」と、ミサイル状態でした冷や汗


2005年3月。D1トップドライバー風間靖幸選手が大井さんのスクールに特別講師として初登場されました!ビデオ等ではひょうきんなキャラに映るのですが、実際には地味な仕事もコツコツとこなす努力家で、スクール生一同その誠実な御人柄に感激しました!氏のテクニックはとにかく技の引き出しが多いというか、小技を瞬時に連携し、とても真似できるものではありませんが、このまま修行を続けて少しずつでもいいから習得したいと心の中で誓いました。

特訓を励むにつれ、まずはパワーが欲しくなりました。ブーストアップすらしていないノーマルエンジン仕様でしたので、ジムカーナコースレベルではそれほど不自由さを感じなかったのですが、コースドリフトとなるとストレスを感じました。でも、そんな時はロードスターでの修行を思い出し、パワーバンドを外さないライン取りを研究したり試行錯誤を繰り返してみました。

次に気になったのが足回りです。社外車高調がヘタって凄まじい乗り心地。リアがまったくストロークしていないのか、常にピョコピョコと上下に振動し、たまたま実家の親父を乗せる機会があった際、2分で「そこで止めてくれ!タクシーで帰るから!」とヒンシュクを買いました冷や汗2

でも48万円で購入したクルマに28万円也の車高調を装着するのに躊躇もあり、百歩譲って仮に装着してもそれだけでは満足できないのでありました。中古の4穴ホイールも少なくなってきたので出来ればハブを5穴にしたいし、ボディ剛性ももう少しナントカしたい、青少年達に対抗して大技へと挑むのには、エンジンもGT-SSかRSタービン仕様にして少なくとも350馬力くらいは欲しい!手を加えたい箇所を試算し合算すると、なんだかんだで200万円コースへ突入してしまいます・・・。

そんなわけでそのままの仕様で我慢しつつ修行を続け、もうこれ以上は無理!となったら買い換えようと割り切ることにしました。とはいっても、走行前後には必ず洗車して大切にしていました。ドリ車って、あれだけ激しい時間を共に過ごしているせいか、な~んか連帯感というか独特の愛着が芽生えてくるような気がします。特にそれまで出来なかった変態技が決まったりすると、たまらなく愛しく思えてしまうんですよね揺れるハート

2005年10月に手放すまでの1年間みっちり修行して、これまでボクのことを決して褒めなかった大井さんから「いやぁ~DORYさんはPS13に乗ってからドリフトが飛躍的に上達したね!」と言われた時は嬉しかったですねうれしい顔

修行仲間達からも「ドリー号」と愛され、思い出深い一台でありました!

PS. ちょうど今から5年前のビデオですわーい(嬉しい顔)(大井さん撮影)
Posted at 2010/03/19 02:29:35 | コメント(5) | かつてのクルマ | 日記
2010年03月17日 イイね!

’00 360Modena

’00 360Modena最初のF355を買った並行業者のいい加減な対応に疲れ果てましたので、今度は無理してでもディーラーから購入することにしました。

実は98年6月頃から360Modenaのスクープ画像が流出していまして、それを見る限り「F355の方が断然カッコいいなぁ・・・」と思い、98年7月にF355berlinettaの最終ロットを駆け込みで契約しました。しかしながら、諸般の事情により断腸の思いでキャンセル涙 

しばらくしてなんとか60回ローンを組めば手が届きそうになったものの既にディーラー車のF355は完売。並行であれば当時まだ数台新車がありましたが、どうしてもディーラー車が欲しかったので360Modenaに購入対象を変更。

きっとしばらくしたら印象が良い方向へと変わるだろう・・・イタリア人の素晴らしい感性を日本人はすぐに理解できないものだから・・・と自分に言い聞かせ、オフィシャル画像だけで実車をまだ見ぬまま契約したのが99年6月。仕様は6MT、色はNero Daytona/Nero、オプションはレーシングシート、ロールバー、レザールーフ。

その数週間後に実車がショールームに入るとの連絡を受け見に行きました。見た瞬間、戸惑ってしまい・・・冷や汗2 でもまたキャンセルしたら迷惑をかけてしまうし・・・と悶々。。。

その翌月の99年7月。試乗車が用意できたので乗ってみました。すると、F355を超えるエンジンレスポンス!シンクロが強化されスパスパと気持ちよく決まるシフト!ブレーキもいい!剛性感もある!速い!と、これまでのモヤモヤした気持ちが一気に吹っ飛びました!

・・・とか言いつつも、生産直前の最終確認となった99年11月。今度は550Maranello煩悩に包まれました。価格差もありますからどうせ無理だろうと思いつつもローンの審査を御願いしたら何故か通ってしまい、ディーラーからも550Maranelloへの変更OKの回答。あれこれ激しく悩んだ末、当初の予定通り360Modenaで落ち着きました。

こうして契約から10ヵ月後の2000年4月に無事納車! 数日後にブラックの鍛栄舎製マグネシウム鍛造ホイールを履かせ、真っ黒な「カラス仕様」となりました。


ナラシを速攻で終わらせ、とにかく「クルマは走ってナンボ!」と、天候なんぞ気にせず走りまくりました。1年ちょっとで約15,000kmを走破しましたが、そのほとんどがサーキット走行でした。

2001年3月にCORSAさんに誘われて行ったのが大井さんのスクール@筑波2000。大井さんとはその1年前から知人を通して紹介されたものの、実際に初めてお会いしたのがその時だったのです。髭面のクマゴローが「いやぁ~360Modenaに乗ってみたかったんだよねぇ~」とヘラヘラ笑っているので「こ、こ、このオジサン・・・大丈夫かな?冷や汗2」と不安に思いましたが、いざボクを助手席に乗せコースインすると、叩き出したタイムが2名乗車なのに1分4秒9! しかもタイヤは3分山のP-Zero。ボクのタイムが1分7秒6でしたから、大井さんの凄さを思い知らされました。

余談ですがその日はタイヤが次第にグリップしなくなってきてしまい、1ヘアでドリフトの練習をしてみたのですが上手くいかずスピンばかりふらふら それを見ていた大井さんから「Ferrariでドリフトの練習している人を初めて見ましたよ・・・」と呆れられてしまいました冷や汗

それからですね、大井さんのスクールに通うようになったのは。筑波だけでなくSSパークも行きましたし、雨のエビスサーキットのドリフトスクールコースで暴れたこともありましたウッシッシ



そういえばある方のご紹介でベストモータリングに2度出演させて頂いたりもしましたわーい(嬉しい顔)



今だから正直にお話しますと、当時のボクは360Modenaに乗りながらもF355への想いを消し去ることが出来ず悶々としていました。速さなら断然360Modenaですし、走り込むことによって好きになろうとボクなりに頑張ったのですが、どうしてもF355の方が好きでした。ですからまだ世界のどこかにF355の新車が残っていないか・・・こうなったら並行でも構わないから・・・と密かに探していました。その時に存在を知ったのが今のF355challengeだったのです。知人を通して打診したのですが、その時は断られてしまいました。。。

そんな中途半端な気持ちで360Modenaに接していたことがいけなかったのでしょう。2001年夏、FISCOの1コーナー出口で散ってしまいました泣き顔 修理代は約400万円。自費で直しその後売却しました。

売却直後は寂しいというよりも完全燃焼した・・・という気持ちでしたが、それからしばらくして街で360Modenaを見かける度に「嗚呼・・・こんなにかっこいいクルマなのに中途半端な気持ちで接し本当に可哀想なことをしてしまった・・・」と悔いましたもうやだ~(悲しい顔)

次こそは、これしかない!と思えるFerrariを!そして一生物として大切にしよう!と心に誓ったのでした。でも、その想いが強かったからこそFerrari浪人生活をさらに長くしていったわけなのですが。。。
Posted at 2010/03/17 14:16:17 | コメント(5) | かつてのクルマ | 日記
2010年03月16日 イイね!

’95 F355berlinetta

’95 F355berlinetta95年5月、F355を新車で購入することを決意し動き始めました。少しでも安く買いたかったので 雑誌広告に掲載されているショップに可能な限り問い合わせてみました。電話での印象が良ければ実際に足を運び、もちろん正規ディーラーへも行きました。結局、価格優先で一番安い店を選び95年6月に契約しました(円高という追い風もあり、ディーラー車とは乗り出しで300万以上の差がありました)。

仕様はF355berlinetta 6MT Rosso Corsa/Nero。初めてのFerrariということで赤を選びましたが、実は濃紺とも悩んだのであります。また、ちょうどエアバックが付き始めた頃のPRシャーシーでしたので、エアバックレスの純正ステアリングにしたのが唯一の変更。

当初は6月生産で8月頃には来るような話だったのですが、結局納車されたのが11月。でも納車され初めてステアリングを握った時は嬉しさで細かいことは忘れちゃいました。納車された晩、ガレージで眺めながら飲んだ酒が格別でしたうれしい顔

当時F355はまだ台数が少なかったこともあり、ナラシ中の高速でSAに寄ると人が集まってきてしまい恥ずかしいので、トイレ休憩だけで好物のジャンボフランクをゆっくり堪能する余裕さえありませんでした冷や汗

96年2月にFISCOを走行したのが唯一のサーキット走行でした。300Rで思ったよりロールが大きく、またブレーキが貧弱なことにも失望しましたが、そんなことよりも憧れのクルマでサーキットを走れたことの満足感の方が遥かに大きかったですね。


96年3月。なにを血迷ったか、ブレーキ強化のみのはずが、チャレンジキットを組むことにしました。今から思うとこれが大失敗でした。ここで無理してローンを組んでしまいましたので後々に苦しくなってしまったのです冷や汗2

その数ヵ月後に完成したものの、まだ日本ではchallengeのノウハウが蓄積されていない時代でしたので、ABSが完全OFFのみの仕様になってしまい、アライメントも変でした。わざわざ借金してクルマのバランスを崩してしまったかな?と落ち込みました。しかも当時は今と違ってネットで気軽に情報を得られる環境ではありませんでしたし、周囲にFerrariオーナーがいなかったのでひとり悶々と悩んでいましたもうやだ~(悲しい顔)

96年10月。諸般の事情により走行7,000kmで泣く泣く手放しました。まだchallenge仕様のF355が珍しい時代でしたので、すぐに買い手がつきました。辛い決断でしたが、当時はそうするしかなかったのです。

それからF355へ思いを馳せる日々が続くことになったわけです。それも長期に亘り。。。
Posted at 2010/03/16 19:29:14 | コメント(8) | かつてのクルマ | 日記
2009年12月02日 イイね!

'89 Toyota Pickup X-tra Cab SR5

'89 Toyota Pickup X-tra Cab SR589年12月。既に90年モデルがディーラーには並んでいましたが、 89年モデルの在庫車があり大幅値引きを提示されたのが購入の決め手でした。

平日は仕事の足に、休日はEmmickのシャーシーにYAMAHA KT100を載せたカートを積んで、San DiegoのAmago Raceway等へ通っていました。

V6 3.0L 150hpのエンジンに5MTでしたから、トラックにしては速かったですね。パートタイム4駆ですから普段はFR、残念ながらLSDが装着されていなかったものの、このクルマで山道や砂漠を走り回りました。

LAから東へ2時間ほど走ると、Big Bear Lakeというところがあり、そこにはダートの峠道がありドリフトごっこを堪能しました。また大昔に巨人軍の冬季キャンプ地としても有名だったPalm Springs周辺にも広大なダートがあり、モトクロッサーやATVを蹴散らしながら爆走したりもしました。

すっかりダートの楽しさに目覚め、Angels Staduimで開催されたProTruckというトラック版モトクロスも観にいきました。TOYOTAのエースドライバーはIvan Stewart。ニックネームはIRONMAN(鉄人)。既に50近いドライバーでしたが、激しい走りに圧倒されました。またオバサマを中心とする女性ファンも多く、激走する鉄人に黄色い声援を送り、抜かれそうになると悲鳴が起きるという、今でいうとヨン様のショーみたいでした冷や汗



そんな鉄人に憧れ、ロールバーを入れたり、サスペンションを改造したり、LSDを装着したりしたかったのですが、約8ヶ月乗ったところで突然帰国しなければならなくなり手放してしまったのです。

このクルマがアメリカで乗った最後のクルマでしたが、日常生活でも何かと便利でしたし、アメリカ人にトラックが愛される理由も理解できました。

今でも周期的にトラックが欲しくなります。実はトラック好きだったりもするのですわーい(嬉しい顔)
Posted at 2009/12/02 18:25:10 | コメント(0) | かつてのクルマ | 日記
2009年10月20日 イイね!

CAMARO物語

CAMARO物語これまで乗った2台のCAMAROについてお話させて頂きます。

■一台目 '75 Camaro LT (3AT)

75年8月、実家にCamaro LTがやってきました。ホントはMustangを購入する予定だったのですが、'74モデルからMustang Ⅱとなり大幅にサイズダウンし、憧れた'71~'73 Mustang Mach1の面影はありませんでした。同じく候補だったDodge Challengerも同様に前年姿を消してしまいました・・・。

V8 5.7L 145hpというスペックながら、当時としては速いクルマでした。納車当日にワイパーがぶっ飛んだり、エアコンが内気循環できないのでトンネルでは排気ガスが車内に充満したり、パワステポンプが突然壊れたり、燃費が都内で3km前後だったり、常にオイル漏れがあったり、等々大変なクルマでありましたが、父が11年間大切に所有していました。

映画トランスフォーマーに登場するのは'74モデルですが、ウチのCamaroを思い出してしまいました。

■二台目 '86 Camaro IROC-Z (5MT)


85年12月。ボクはLA近郊のとあるディーラーでCamaro IROC-Zを受け取り意気揚々と走り出しました。

'86 Camaro IROC-ZのV8には5.7L 230hp@L98、5.0L HO 190hp@L69、5.0L 165hp@LG4があり、L98は4ATのみ、L69とLG4には5MTも設定されていたのです。ボクの希望はもちろん5MT。さらに当時はボディ剛性なんて意識が無く、ミーハーだったのでT-Top(Tバールーフ)仕様がどうしても欲しかったのです。

まず第一希望のL69 5MT仕様は受注生産で納期が約3ヵ月と言われ泣く泣く諦め、一番非力なLG4で探すことにしました。ところが20数軒ディーラーを回ってもあるのは4AT仕様のみ そこで感じがいいセールスがいたディーラーで州内検索してもらいました。そうしたら白のLG4 5MT T-Topが見つかったのです!価格交渉をしてメデタク購入と相成りました。

購入後すぐに着手したことはスピードメーター交換でした。当時のCAMAROは法規制で85マイルまでしか表示されなかったので、フルスケールの140マイルメーターを通販で買い、ガソリンスタンドを経営する友人に手伝ってもらい取り付けました。あとステアリングをMOMOに交換し、さらにアクセルとブレーキが極端に離れていてヒールアンドトゥが出来ないペダルは日本からAUTOLOOK製のペダルカバーを送ってもらい対処しました。

ナラシが終わるとすぐに最高速アタックをしてみました。場所はLas Vegasへ向かう15号線であります。130マイル(約210km)まで確認しこれがボクにとって初めての200kmオーバー体験でありました。速度規制は全米で55マイルだった時代にも拘らず調子に乗って飛ばしていたのですが、ある晩120マイル(190km強)で走行中に捕まりました。ポリスは正確に測れなかったらしく90マイルで切符を切られました(ちなみに100マイル以上だと即逮捕出来ます)。罰金を払えばいいや・・・と軽く考えていたら1ヵ月後に裁判所から通知が来て、交通裁判を受けさせられました。友人から「I feel guilty」とだけ言えばいいと教えられていましたのでその通りにしましたが、かなり緊張しました・・・。

その後、日本へ持ち帰るつもりで改造に着手しました。

この時代のアメ車はデフが弱く、’70前後のマッスルカー全盛時代のFord 9inch、GM 12-boltにコンバージョンするキットも販売されていました。最も頑強なのがFord 9inchだったので、Currieという業者でボクのクルマに合わせて製作してもらいました。しかし、実際に取り付けしようとしたら上手くフィットせず返品涙 

代わりにDANA44(LSD付)をディーラーのパーツセンターで注文し、友人と一緒に取り付けました。LSDが付いて嬉しかったのですが、リアブレーキがこれまでのドラムからディスクへとアップグレードしたものの、サイドブレーキの効きが悪くなっちゃいました冷や汗2

さらにエンジン載せ換えも計画し、LA郊外のBANKSへ通いました。400馬力オーバーを狙っていましたので、そうなると純正の5MT(Borg-Waner T5)では役不足になってしまうのではと思い、TexasのショップにDoug Nash 5speedの見積依頼したこともありました。

結局、資金が続かずデフ交換のみで終わってしまいました・・・。

一番の思い出は、ドリフト(テールスライドではなく)を奇跡的に初めて出来たのがこのクルマだったことです。ある晩友人を乗せ、4速全開160kmくらいから右コーナー手前で3速へシフトダウンすると同時にブレーキング、そうしたらテールが流れ奇跡的に出口まで4輪ドリフトで抜けていったのです!助手席の友人(職業はCampus Policeウッシッシ)から「オマエスゴイナー!モウイッカイヤッテミテヨ!」と言われましたが、怖くて2度と出来ませんでした冷や汗2

結局約2年で7万キロ近く乗り、ミッション等が壊れ始め、これからの修理代を考え泣く泣く手放してしまいました・・・。

楽しかった思い出が忘れられず2004年にドリフト用として'90 Camaro IROC-Z ワンオーナー ディーラー車を見つけ購入しようかどうしようかで相当悩みました。

エンジンは5.7LのL98ですが、ミッションがATだったのです。Tremec製6MTに換装し、エンジンをGM Perfomance Partsに注文する計画等々も立ててみたのですが、シルビアに対抗できるような戦闘力を持つレベルには至らないことも悟り(大井さんだけでなく、C.Factoryが誇る隠れアメ車通の山田メカからもサスペンションのポテンシャルの件で反対されました・・・)、結局断念したのでありました涙

・・・C63のエキゾーストノートを聞くたびに大好きだったCAMAROを思い出す今日この頃でありますわーい(嬉しい顔)
Posted at 2009/10/21 00:19:17 | コメント(2) | かつてのクルマ | 日記

プロフィール

国産・輸入車を問わず運転して楽しいクルマが好きです 2001年から大井貴之選手にそれまでの自己流の滅茶苦茶なドライビングを修正して頂こうと基礎から習い始...
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