
これまで91年式のPS13シルビアを2台乗りました
■'91 J's 富士フレッシュマン仕様
当時乗っていたR32GTRを手放し、富士フレッシュマンレースに挑戦することにしました。
91年2月、座間にあるNISMOの倉庫へ出向きました。富士フレッシュマン仕様のPS13シルビアを受け取る為です。手配したローダーに載せ自宅まで戻りました。
ベースとなるJ'sという最廉価モデルにN1用パーツを装着されない状態で渡されただけでしたので、製作してくれ尚且つサーキットサービスもしてくれるショップが必要でした。結局、知人の紹介で当時有名だったショップに御願いすることにしました。
91年4月。忘れられないデビュー戦となりました。予選で原因不明のエンジントラブルがあり、なぜか4000rpm以上回りませんでした。そんなわけで決勝グリッドは最後尾

さらにグリッドに並んだら今度はエンジン始動せず、記念すべきデビュー戦がピットスタート
コースインするなり救急車やレッカー車を抜くという貴重な体験をしながら、必死に走ったら3周目くらいで最後尾のクルマが2台見えてきました

ピットボードは「Go

」、ウラウラウラウラーー!と雄叫びをあげながら追走したものの翌周にクラッチトラブルでリタイアしちゃいました
それからしばらくしてトンでもない勘違いをしていたことに気づきました。ボクは単純にFRでレースがしたかったのでPS13シルビアを選んだのですが、そのクラスはそれなりのレース経験を積んできた真剣にプロを目指すドライバーが多くいたのでありました。。。
当時のボクはサラリーマンでしたから、金曜日の練習走行には参加できず、土曜の予選はぶっつけ本番でした。元々腕のレベル差があるだけでなく、練習不足もあり、走れば走るほど差がついていきストレスが溜まりました。
ストレスが溜まっていたのは決してボクだけではありませんでした。一生懸命整備してくれたメカニック達もボクの不甲斐ない走りを見て機嫌悪そうでした
趣味で楽しむ雰囲気ではなく、かといってプロを目指すレベルには自分自身が程遠い、それでも3シーズン悶々としながら続けました。もちろん1戦あたり最低でも約30万円の予算が必要でしたから全戦エントリーはとても出来ませんでしたが・・・。
そして運命の日がやってきました。たまたまIMSAという大きなレース団体がアメリカからやってくるのでNISMOからN1シルビアレースを前座としてやるので出てくれ!と頼まれ、な~んか気乗りしなかったのですが出ることにしました。
レース当日、強雨のコンディションで、ストレートでは前車の水しぶきで前が見えません。予選を失敗して後ろから数えた方が早いポジションでしたので、ヤケクソになってAコーナーでギャラリーサービスとしてドリフトをかまそうとしたらスピンし最下位となりました
アタマに血が上り、怒涛の追い上げを試み始めました。当時の300Rはダンロップコーナー手前で雨が降るとコース上に川が出来るので、そこはイン側を走ることが鉄則でした。しかし、その時、ちょうど前車に追いついたので構わずアウト側から全開でいきました!するとクルマは一気にコントロールを失い、アウト側のコンクリートウォールへと向かっていきました。瞬時の出来事だと思うのですが、人間って本当に危険な状況に遭遇すると、不思議とビデオのコマ送りのように目の前がスローモーションで見えたりすると聞いたことがあったのですが、まさにその通りでした。
凄まじい衝撃とともにコンクリートウォールに刺さりました。意識はしっかりしていましたので、脱出してコース外へと避難しました。心配そうに駆けつけてくれたチームスタッフには無理してギャグを飛ばしたりもしていましたが、次第に辛くなってきました。でも御殿場の病院へ行ってしまったら明日出社できなくなってしまう。痛みをこらえながら都内まで戻り、近くの救急へ行ったのでありました。
このままでは周囲のみんなに迷惑を掛け続けてしまう・・・痛みにこらえながら引退を決意しました。不完全燃焼だけど、とても中途半端だった自分が本当に情けなかったです
ちょっとほろ苦い思い出です。。。
■'91 K's@ドリフト仕様
2004年10月、迷うことなくドリフト変態技へと挑める低価格車が欲しいなぁ~と思い、中古車情報サイト等をチェックし、そこで狙いをつけたのがR32スカイラインGTS-t TypeM。予算は30万円までを上限に探してみました。ところが勇んで色々な店に電話してみましたが、な~んか怪しい店が多く萎えてしまいました・・・。
代わりにシルビアも考えてみようということで、旧知の360monakaさん@KSP Engineeringを訪ね、在庫車を3台見せて頂きました。PS13シルビアが一台、それと高年式の180SXが2台でした。180SXの方はさすがに新しいだけあって綺麗ですし、タイヤもシルビアより積めるしいいなぁ~とは思ったものの、後期型は人気モデルらしくシルビアの倍の予算が必要でした。思案した結果、48万円也の'91 PS13シルビア K's 走行9万km、車高調、LSD付を購入することにしました。これだけ古くて多走行ですから今後色々あったとしても当たり前でしょうが、少なくとも友人から買えば嘘は無いので安心でした
2004年10月からの1年間、とにかく修行あるのみ!と走りこみました。「もう失うものは何も無いのだー!怖いものなんか無いのだー!コンクリートウォールだろうがタイヤバリアだろうが俺の進路をふさぐものはすべてぶっとばしてやるのだー!どおおおおりゃーーー」と、ミサイル状態でした
2005年3月。D1トップドライバー風間靖幸選手が大井さんのスクールに特別講師として初登場されました!ビデオ等ではひょうきんなキャラに映るのですが、実際には地味な仕事もコツコツとこなす努力家で、スクール生一同その誠実な御人柄に感激しました!氏のテクニックはとにかく技の引き出しが多いというか、小技を瞬時に連携し、とても真似できるものではありませんが、このまま修行を続けて少しずつでもいいから習得したいと心の中で誓いました。
特訓を励むにつれ、まずはパワーが欲しくなりました。ブーストアップすらしていないノーマルエンジン仕様でしたので、ジムカーナコースレベルではそれほど不自由さを感じなかったのですが、コースドリフトとなるとストレスを感じました。でも、そんな時はロードスターでの修行を思い出し、パワーバンドを外さないライン取りを研究したり試行錯誤を繰り返してみました。
次に気になったのが足回りです。社外車高調がヘタって凄まじい乗り心地。リアがまったくストロークしていないのか、常にピョコピョコと上下に振動し、たまたま実家の親父を乗せる機会があった際、2分で「そこで止めてくれ!タクシーで帰るから!」とヒンシュクを買いました
でも48万円で購入したクルマに28万円也の車高調を装着するのに躊躇もあり、百歩譲って仮に装着してもそれだけでは満足できないのでありました。中古の4穴ホイールも少なくなってきたので出来ればハブを5穴にしたいし、ボディ剛性ももう少しナントカしたい、青少年達に対抗して大技へと挑むのには、エンジンもGT-SSかRSタービン仕様にして少なくとも350馬力くらいは欲しい!手を加えたい箇所を試算し合算すると、なんだかんだで200万円コースへ突入してしまいます・・・。
そんなわけでそのままの仕様で我慢しつつ修行を続け、もうこれ以上は無理!となったら買い換えようと割り切ることにしました。とはいっても、走行前後には必ず洗車して大切にしていました。ドリ車って、あれだけ激しい時間を共に過ごしているせいか、な~んか連帯感というか独特の愛着が芽生えてくるような気がします。特にそれまで出来なかった変態技が決まったりすると、たまらなく愛しく思えてしまうんですよね
2005年10月に手放すまでの1年間みっちり修行して、これまでボクのことを決して褒めなかった大井さんから「いやぁ~DORYさんはPS13に乗ってからドリフトが飛躍的に上達したね!」と言われた時は嬉しかったですね
修行仲間達からも「ドリー号」と愛され、思い出深い一台でありました!
PS. ちょうど今から5年前のビデオです

(大井さん撮影)
Posted at 2010/03/19 02:29:35 | |
かつてのクルマ | 日記