
昭和51年排ガス規制により国産車が次々と牙を抜かれていく中、当時のカタログデータでゼロヨン15.9秒 最高速195kmだったコスモAPは衝撃的でした。またTV CMも「瞬間 コスモの匂い」というコピーで大人の世界を演出していました。当時中1だったボクは真っ赤なコスモに憧れ、親父に頼んで試乗へと出かけました。試乗車はモスグリーンのLimited。残念ながらAT。当時はMTに比べATの動力性能がかなり劣っていましたので、あまり速さを感じませんでした。
それから9年の月日が流れ、当時住んでいたアメリカで友人のひとりが一時帰国することとなり、その間ボクが彼の愛車であるコスモを預かることになりました。70年代からマツダはRX3@サバンナなどが輸出されており、コスモも少数ではありましたが現地に走ってました。
そのコスモは13B搭載の5MT!ボクにとってロータリー初体験でしたから、7000rpmくらいまでモーターのように綺麗に回るエンジンには感動しましたね。ただその一方では低中速トルクに物足りなさを感じ、これが当時のアメリカ人に受け入れられなかった一因だったかもしれません。
またまた時が流れ、2003年にロードスターからの買換え候補に挙がったのがZ33、RX8、そしてFD3SことRX7でした。Z33は初期モデルだったので鈍重な印象で、RX8はもうちょっとパワーがあれば・・・でありました。
ディーラーで何気に「限定車のSpiritRはまだ残ってますか?」と尋ねると、「一台だけあります!」とのこと。そしてかなり思い切った金額を提示され即日契約しちゃいました。
SpiritRは、日産がR34GTRニュルを限定発売して即完売したのを見て、マツダが「うーむ、ならば我が社もRX7の最終限定モデルをかますかー!」と2匹目のドジョウを狙って出したものの、仕様としては即完売だった6型RZに近かったのですが、意外に売れ残ってしまったモデルであります。。。
RX7といえば昭和53年に記憶が遡ります。既にスーパーカーブームのピークは過ぎていましたが、トヨタ2000GT以来の国産車でリトラクタブルヘッドライトを装備したクルマでしたから、当時中学生だったボクには素晴らしくカッコ良く映り憧れの存在でした。既にホリデーオート誌を爆読していましたから、免許を取ったらSA22Cを買って、RE雨宮で13Bペリ仕様にするのだー!と妄想していました。
しかし実際に免許を取ったらRX7なんて高嶺の花

当時の為替ではアメリカで新車価格が約400万円!
2代目RX7 FC3Sも憧れましたがご縁が無く、91年の東京モーターショーでFD3Sを見た時はキター!と思い、翌92年の発表と同時にディーラーで試乗して「コレ欲しいなぁ~」と思いましたが、ちょうど富士フレッシュマンレースを無理してやっていた時期でしたので、ナンバー付のクルマにお金をかけれなかったのです
それから10年以上月日が流れてからのご対面でしたので凄く嬉しかったです。ナラシはロータリー専門ショップによればレシプロ以上に丁寧にやらなくてはならないと聞き、3000km頑張ってやりました。
ナラシが終わり、早速ドリフトしてみましたが、ロードスターから違和感無くスンナリ乗れちゃいました。でもそれは定常円旋回や8の字のレベルであって、コースでのドリフトではもちろん違いました。当時直ドリへ挑み始めたのですが、振り返し3発でいかなければならないところをどうしても怖くて5発でしかいけませんでした・・・。
その後も、筑波2000や鈴鹿サーキット等を限りなくノーマルに近い仕様(リミッターカットとブレーキパッド交換のみ)で走っていました。当時友人が'01 996GT3に乗っていてバトルしたのですが、4速まではついていけましたので、チューニングしたら楽しいだろうなぁ~と妄想しました。
思い切って改造すべきかそれとも・・・・と悶々とした日々を過ごしていたところ、購入金額とほとんど変わらない金額で売ってほしいとのオファーがありました。
自分なりに楽しめる仕様にするのにはある程度の改造費が必要、でもロードスターでは1年間で大損してしまったのでそこまではかけるのには躊躇してしまう、それだったらボクよりも真のロータリーファンに大事に乗ってもらったほうが良いのではないか・・・という結論に達し、実質3ヶ月6,000kmで手放してしまいました・・・。なんとも軟弱な話であります。。。
2012年に新開発のロータリー
16Xを搭載する新世代RX7が登場するとの話を聞きますが、スポーツカー好きの気持ちをよくわかっているメーカーですから楽しみです

Posted at 2009/09/28 23:18:38 | |
かつてのクルマ | 日記