
今日のCS放送フジテレビNEXT F1 LEGENDS THE BEST GP '89-'90 は1990年の第15戦日本GPでした。
そう、日本人が初めてF1の表彰台に上ったレースですね。
ドライバーズポイントは第14戦終了時でセナ78pts、プロスト69pts。
この年まで全16戦中11戦が対象の有効ポイント制です。
1~6位が入賞のポイントは上から9-6-4-3-2-1。
プロストにとっては絶対に落とせない一戦でした。
PPはマクラーレンのアイルトン・セナ、2位にフェラーリのアラン・プロスト。

PPのセナはレコードラインから外れた不利な位置からのスタート。
このためポールポジションのイン・アウトを入れ替えるよう要求するが拒否されます。
(2戦前のポルトガルでは認められていました)
はい、1年前とは逆の立場での再現ですね・・・。

違うのはスタートから僅か7秒で決着がついた事。
そしてセナのチャンピオンが決まった事。
これでトップに立ったマクラーレンのベルガーも、2周目の1コーナーでまさかのコースアウト!

ホンダは本田宗一郎氏の御前試合でまさかの全滅でした。
チャンピオンを決めたとはいえ、ホンダエンジニアの心中を察すると・・・。
これでトップはフェラーリのマンセル、続いてベネトンの2台が続く展開が中盤まで続きます。
ピットワークでロータスのハーバートをかわした中嶋。

今日の実況でタイヤ交換は6秒44だったと。
'90年当時TVで見ていても確かに早かったです。これで入賞目前の7位に上がり大興奮でした。
余裕でトップを走っていたマンセルも、ピットアウトの際にドライブシャフトを壊しリタイア!

ステアリングを叩いて悔しがります。
4強が全滅し、レースの興味は3位パトレーゼ VS 4位亜久里と6位ワーウィックVS 7位中嶋に移ります。
中嶋は1コーナーで得意の大外刈りからワーウィックをかわします。

中嶋選手引退時に発売されたCDに収録された'90年鈴鹿のピットFM実況中継では大声援でしたね。
マンセルのリタイア後は危なげなくベネトンの1-2が続きます。
2位を走るロベルト・モレノはヘリコプター事故に遭ったナニーニに代わり、
このレースからベネトンに加わりました。
F1デビューは1987年の鈴鹿、全日本F2経験者でもあります。
この結果をもって来季のベネトンとの契約を交わしますが、
1年も経たずにその座をミハエル・シューマッハに奪われてしまう事を思えば、
この日がキャリアの最高潮でした。
鈴木亜久里もタイヤ交換でパトレーゼをかわし、無事に3位フィニッシュです。

メキシコGPでの中嶋選手との接触事故(両者リタイア)以来、鈴木亜久里はキライだったのですが、
この日ばかりはテレビの前で応援しました。 (^^ゞ
決勝結果は以下の通り
鈴木亜久里歓喜の表彰台です。

この後日本人が表彰台に上がるのは2004年アメリカGPの佐藤琢磨まで待たなければなりません。
そして3度目はまだ訪れていません・・・。
今年の小林可夢偉選手にはぜひとも期待したいところです。
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決勝の行われた1990年10月21日は全国的に好天で、この時期にしては暑い日でした。
当時高校2年生だった僕は、この日山形で部活の記録会があり、
来季に期待が持てる良い結果が出て上機嫌だったのを良く覚えています。
そしてF1の決勝で日本人が3位と6位に入賞と記憶に残る一日でした。
Posted at 2011/02/27 01:08:24 | |
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