
サンクターボがドックイン中につき新しいネタも無く、今回は、久しぶりに想い出シリーズでも。
およそ30年前、当時大学の自動車部に所属していた僕の最初の愛車がグループBのホモロゲ車 セリカGT-TSだったのは
かなり前に紹介済ですが、2年くらい乗ったところで次のクルマに乗り換えることに。1988年のことだったと思います。
自動車部員だったこともあり、やはり選択肢はダートを走れるクルマに絞られました。当時熱心に読んでいたのがプレイドライブ誌。国内ラリー、ダートラ、ジムカーナがメインのモータースポーツ誌です。(最近また発刊されているので過去形ではなく現在形で)
国内ラリー車両は、基本的には市販車+α程度の改造範囲に限られていたことや、また日本の狭くてタイトなコース特性もあって、WRCとはまた活躍するクルマがかなり異なっていました。
ここでちょっと脱線して‘80年代の全日本ラリーチャンピオンカーを振り返ってみると
1980年 金子繁夫 いすゞ・ジェミニ
1981年 山内伸弥 いすゞ・ジェミニ
1982年 神岡政夫 三菱・ランサーターボ
1983年 山内伸弥 三菱・ランサーターボ
1984年 山内伸弥 三菱・ランサーターボ
1985年 神岡政夫 日産・フェアレディZ 300ZXターボ
1986年 綾部美津雄 スバル・レオーネ 4WD
1987年 桜井幸彦 マツダ・ファミリア 4WD
1988年 綾部美津雄 日産・ブルーバード SSS-R
1989年 桜井幸彦 三菱・ギャラン VR-4
この結果からだけでも色々話したいことには事欠きませんが、まず気が付くのはトヨタ車が無い事。これは意外でした。実のところ80年代前半はTE71,AE86のレビン、トレノはとてもポピュラーなラリー車でしたし、特にAE86はとても戦闘力の高いクルマでした。でもチャンピオン取れなかったんですね。AE86を破ってチャンピオンを取っていたのはランサーターボ(通称ランタボ)。確かにパワーではランタボが上回っていたのですがハンドリングはハチロクの圧勝と言うのが一般論だったと思います。そして実際ハチロクを選択するチームが大勢でした。ランタボの勝利はチーム力、ドライバー、マシンの作り込みの総合力がものを言うトップカテゴリーならではの特殊事情ゆえの結果と言えるかもしれません。
そして似た状況だったのが1986年。なんとスバル レオーネがチャンピオンを取っています。しかしながらこの年、ラリー界に旋風を巻き起こしていた主役がマツダのファミリア4WDだったのです。前年までのAE86やランタボでは全く太刀打できないほどの実力差。WRCにアウディクワトロがデビューしたのが1981年。その5年後ようやく国内にも4WDの時代が訪れたのでした。国内ラリー向きのコンパクトなボディーに1.6LのDOHCターボそして4WD!!という全部のせです。新しさと言う点では、国産初のフルタイム4WD(つまりセンターデフを持つ4WD)というのが大きなポイントだったのですがことダート競技という特殊環境においてはセンターデフロックで走るのが基本だったのでフルタイム4WDの恩恵は無しでした。この車はまだセンターデフにLSDを持っていなかったのです。
ライバルのレオーネもこの年からフルタイム4WDのモデルを投入。ただしエンジンはまだSOHCのままだったし、基本的にはファミリアの方がポテンシャルは 高くレオーネに乗るのは一部のスバル系のドライバーのみだったと思います。
GT-X
GTA (マイナーチェンジ時に追加されたラリーベース車)
国内ラリーに4WD旋風を巻き起こし1987年にはチャンピオンを取った(そしてこの年Gr.AがトップカテゴリーとなったWRCでも活躍)ファミリア4WD!!しかし、チャンピオン歴をご覧いただければ分かる通り1988年には早くも状況が一変します。そうブルーバードSSS-R、ギャランVR4といった2L 4WDがデビューしたのです。
そんな時代背景を踏まえて、話を当時の僕のクルマ選択の話に戻すと、あの当時、競技に参戦するなんて言う腕もモチベーションも全然無く、勝てるクルマである必要は全く無かった僕にとって一気に勝てないクルマになってしまったファミリア4WDは丁度良い選択となったのです。まあ時代は4WD !!と言うことでどんなものか乗ってみたいと言うのもあったので。
実際に僕が見つけたクルマは、ラリーを数戦走っただけの中古のラリー車でした。PD誌の某ラリーショップの広告に“売り”で出ていたのです。前オーナーは、当時の関東地区戦のトップクラスのドライバー。ファミリアを購入してラリー車を仕立てたものの、余りのポテンシャルの差に止む無くギャランに乗り換えたところでした。
僕の買ったファミリ4WDはGTA-eというラリーベースグレード。BFMR型ファミリアの最終型です。当時は、ロールバーを付けるだけでも改造申請が必要な時代。一部の大きなラリーショップがロールバーなどの最低限必要な改造のみを施し改造申請を取った状態の車をコンプリートカーと称して販売していました。添付されていた改造申請書を見ると僕の車も新車時はあのキャロッセで販売された車であることが分かりました。
ファミリアのGTA-eと言えば、そう、いつものヒルクライムのクラシッククラスでお馴染みのijinさんのファミリアと全く一緒です!!
“-e”の特徴は、穴だらけのフロントバンパー!!冷却性向上を狙ったものですがWRCを睨んだものだったのでしょうか?モデル末期でホモロゲ取るのを諦めたのか、結局WRCではこのバンパーは使われませんでした。
ijinさんのクルマにはGTAの特徴であるボディーサイドのステッカーが残っていますね。競技に使われたクルマは大概剥がされているので今となってはさらに希少です。
舗装のワインディングで初めてファミリア4WDに乗った時の感想は、やはり凄い安定感=安心感でした。そしてダートを走ってみても感想は同じ。でもよく言う「自分の腕が良くなったと錯覚する」というのではなく「自分は何もしていないのに速い」という感じなんですよね。
まあ、セリカに引き続き早速ワークス仕様にカラーリング(自分でカッティングシート貼っただけ。トヨタカラーに比べ色が多くて手間が掛かった。)気分先行で楽しんでいました。
当時は、がんがん練習していた訳でも無く、誰かからドライビングを教わるようなことも無く、ドライビングスキルの方はからっきし。今にして思えば運転のイロハも分からずアクセル踏んでいた一番やばい状態でした
そんな頃、それまでダートラ観戦では何回も通っていた那須の丸和オートランドに初めて自分のクルマで走りに行ったところ案の上、1本目の最初のS字にオーバースピードで突入。土手に乗り上げ横倒し状態で着地と相成りました。転倒した割にはダメージは少なく自走で帰宅できるくらいだったのは幸いでしたが・・・・。(実のところ免許を取って以来、初めて車載のお世話になったのはサンクターボに乗りだした時でした。(笑) )
ベイブリッジ開通直前の大黒ふ頭までわざわ転倒記念写真の撮影に
そんな感じで、人生最初の(そしてひょっとしたら最後の?)4WD車は、当時の自分には過ぎたクルマのままで終わったのでした。
そして、そのまま大学を卒業し社会人に。ダートを走ることも無くなり僕のクルマ趣味はまた次のフェーズに移って行きました。
で、次のクルマの話はまたいつか。
Posted at 2017/12/11 00:06:36 | |
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