江戸東京博物館
『NHK大河ドラマ特別展 軍師官兵衛』を見たあとは、
「常設展」へ。
ここでは、約3時間半過ごしましたが
今回は公式HPに載っているようなものではなく
私の心に残った、
珍しいものなどをピックアップしてみました。
まずは、明暦の大火後、
オランダ人が描いた絵。(たしか)
よーく見ると、道路の上とかに
焼け焦げてしまった人や馬が描かれていました。
明暦の大火で亡くなった方は、10万8千人余りといわれています。
江戸の町づくりが大きく変わる転換点でした。
江戸城、天守閣の立体図。
こういうのは江戸時代には結構あったようです。
茶室や商家の立体図面もほかの場所で見ました。
これは何かと言いますと...。
徳川家康が晩年、日課としていた「“南無阿弥陀仏”の書写」。
勝海舟しぇんしぇいも鑑定済み。
長屋での出産の様子。
昔は座って出産したそう。
産んだあと、女性は7日間は座っているか
何かにもたれかかってないといけなかったとか。
(頭に血が上らないため、と書いてあったよーな。
でも、これでかえって健康を損ねる女性も多かったんですって)
赤ちゃんの産湯のつかり方も、今とは全然違いますね。
臓器を守るものとして、「背中」が大事にされていたようです。
『米を食いのばす妙術』。1833年頃のもの。
我が家にも必要です(.....グスン)。
この石碑。なんと、読めましたーーー!!
『満(ま)与(よ)ひ子能(の)志(し)るへ』
「迷子標」。
1857年に建てられたもの。
石碑の左側には、
迷子の親たちが「子どもの名前や年齢」を書いた札を貼ります。
石碑の右側には、
迷子を預かる町からの情報が貼られました。
この頃は、迷子が見つかった町に扶養義務があったため、
一人でも多く、親を見つけ出して
負担を軽減したかったんですね。
安政の大地震後、曲がってしまった
浅草寺の九輪。
これを見たとき、東日本大震災の後に
「東京タワー」の先端が曲がったまま
しばらく直らなかったのを
思い出しました。
(毎朝、通勤でそばを通るもので...)
文明開化の陰で、
昔ながらの暮らしを続ける庶民の姿 。
この写真に、一番心を惹かれました。
これ、伊香保温泉ですよっ。
あぁ、江戸城........。
想像力が、猛烈に掻き立てられます。
芥川龍之介が青年時代まで過ごした家が、
江戸の古絵図に載ってます。(三角の左上)
すぐそばに、回向院がありますね。
時は過ぎて..........................。
このダットサントラックは
2007年まで現役だったそうです。
ブログ一覧 |
博物館 | 日記
Posted at
2014/07/07 22:15:01