昨日、なかなか写真がアップできなかったので
りべんじ。
昨日は
ずーーーっと気になっていた
43代続く豪農「旧吉田家住宅」にやっと行けました。
柏市・花野井にあります。
(奥に見える御屋敷に、
43代当主がお住まいになっています。
1975年、ウィンブルドン女子ダブルスで、
アン清村とペアを組んで優勝した
「沢松和子」さんのお家です。)
この旧吉田家、
実は、3つの顔を持つ
歴史の館なのです。
吉田家は代々名主の役を務める
『豪農』ですが、
幕府直轄牧である小金牧を
野馬奉行のもと現地で管理・運営を担った
「牧士(もくし)=
『士分』格の役職」も務めていた関係で
名字帯刀、乗馬、鉄砲所持が認められていたそうです。
江戸時代末期には「しょうゆ醸造」にも力を入れていたため
『商家』の側面も持っていました。
主屋は、この3つの要素が見事に融合しており
見どころ満載です!!
ではでは、順々に見ていきましょう。
(ボランティアガイドさんに「お時間どれくらいあります?」と
聞かれたので
「たっぷりあります♪」と見学意欲満々でお答えしたところ、
「では、1時間ご説明しますね」となり、
たーっぷりとご説明いただきました。
ありがとうございました。)
まずは、
天保2(1831)年に建てられた「長屋門」。
全長25m!!
長屋門は本来、武家屋敷の門で、
門の両脇の部屋には門番が詰めていましたが
この長屋門の両脇には
「年貢米」が収められていました。
駐「馬」場。
馬をつなぐ綱を結んだ石たち。
扉はケヤキの一枚板ですよ!
雨の日でも年貢米の荷降ろしができるように軒がすごく深くなっています。
この門、どこかで見たなー、と思った方は
そーとーな『仁』マニア。
『仁』完結編で
南方仁が医学生たちにペニシリンの講義をする会場となった
「精得館」(日本初の西洋式の病院だった長崎養生所を前身とした
幕末期の医療施設)の門として使われましたヨ。
門の片側は「休憩所」。
ここで、しばしレクチャーを受けました。
ヘリンボーン柄のような筋交いは、
米俵で漆喰を傷めないためのもの。
180年以上経ってますが、きれいに残っていますね。
門を入って右側に「新蔵」。
農具などをしまう倉庫として使われていました。
天保4(1833)年の創建。
ここ、
『仁』では、グラバー邸の「武器庫」として
坂本龍馬(内野聖陽)が武器を持ち出すシーンが撮影されました。
外に銃を持ち出すとき、
仁先生に見つからないようにおどおどした様子も見せていましたね。
(結局は見つかってしまいましたが…)
立派な井戸。
敷地中央奥に建てられている茅葺きの「主屋」。
嘉永6(1853)年に
この主屋の建て替えと書院の新築がなされたとのことですから
「ペルリさん」が来たときから
ここにあるんですねー。
「主屋」に向って右側が
式台のある武家の様式。
主屋の
真ん中が商家の様式、
左側が豪農の様式です。
「書院」につながる渡り廊下のそばにある屋根だけ
意匠が凝ってます。
もちろん「見せる」ためです。
「筑波流」の茅葺です。

一番下の白い層は「漆喰」。
出っ張りは「帳場座敷」。
茶室としても使われたみたい。
いやなお客さんが来たときなどは、
主人がこの中にこもり
緑色のガラス越しに
客が帰るのを見ていた、なんて話もあるようです。

(窓の一番下の「緑色」のガラスを要チェック!!)
ちょうど座った時の目線の高さです。
中から外は、よゆーで見られますが。
外からは、こんな具合。
主屋から見て右側に「厩」。
(この右側が、昔のしょうゆ醸造所です)
正面は格式の高い「向蔵」。
宝物類を納める蔵で
屋根の装飾(青海波)もきれいでした。
いよいよ「主屋」に入ります......。
(続く...)
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Posted at
2015/07/13 21:16:03