今日は
天下一品に行く前に
「水海道八幡神社」と「水海道天満宮」へ。
食後、「弘経寺」へと
行ってきました。
道路際に
ひときわ目立つ「一の鳥居」。
くぐると、駐車場。
「二の鳥居」。
ご本殿は、覆い屋で覆われてました。
宮司さんの作品。
なんだか和む、神社さんです。
宮司さん宅で、ご朱印拝受。
門に「笑門来福」の文字が。
この文字が、この日のキーワードになるとは
このときは思いもしませんでした。
こちらは、社務所。
次に向かいます。
「水海道天満宮」に着きました。
この日は「例大祭」。
なんだか縁起のいい日に来ました。
「水害復旧、復興祈願!!」
結構長く祈願していましたら
終わったあと、
近くの氏子さんに
「お神酒でもいかがですか?」と
声をかけていただきました。
「車ですので。ありがとうございます」と
お断りしてしまいましたが、飲みたかったなーー...。
お祭りの準備を見ていて
「人間てたくましいな。」と、
じ~んと来てしまいました。
「お忙しい中、すみません」と
社務所でご朱印を拝受。
ほら、ここにも「笑門」の文字が。
お次は、「弘経寺」へ。
「大生郷天満宮」に行くとき、いつもそばを通るので
大いに気になっていた場所です!
県道(?)を曲がったとたん
雰囲気のいい通りへと
タイムスリップします。
「護国寺」に行ったときに感じたような
「威厳」が境内に漂っています。
長ーく伸びた、参道が
かつての巨刹を偲ばせますねー。
入ってすぐに目を奪われるのは、
左側の「開山堂」。
雰囲気のあるたたずまいですが、
手前に傾いてしまっています。
うぅーー、すぐにでも
直してあげたい。
無造作に。
ご本堂。
ここにも「笑」の文字。
こちらにも、無造作に。
来迎杉(らいごうすぎ)。
神々しい.........。
本堂、向かって左奥に古い墓地が。
塀に囲まれた立派なお墓が
ひとつだけあるなー、と思いましたら
それが、「千姫御廟(せんひめごびょう)」。
千姫は慶長2年(1597年)、
徳川家康の孫・2代将軍秀忠の子として生まれました。
わずか7歳で豊臣秀吉の子・秀頼に嫁ぎ、
豊臣家の滅亡にあたり、大坂城から救出され江戸へと送られました。
後に本多忠刻(桑名城主・後に姫路城主)に再嫁し、
1男1女を儲けますが
忠刻とも僅か10年で死別し、
この後は落飾して
天寿院(天樹院)と号し、江戸城北の丸の竹橋の屋敷で余生を送りました。
寛文6年(1666年)に没した千姫は、
徳川家の菩提寺である伝通院に葬られましたが、
落飾したときより当寺を菩提寺と定めていたため、
弘経寺には遺髪が納められたとされていました。
が、平成9年の保存修理により、
これまで伝えられてきた遺髪ではなく、
遺骨が納められていたことが判明したそうです。
かつて弘経寺には、
千姫の御殿を移築した壮麗な「大方丈」があったそうですが、
明治39年(1906年)に灰燼に帰します。
それでも、天樹院殿御廟(千姫の墓所)や遺品、
そしてゆかりの品々は、往時の風格を現代に伝えています。
千姫姿絵。
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神社仏閣 | 日記
Posted at
2015/10/25 19:50:35