今日は、先日見つけた
「結城諏訪神社」さんのご朱印をいただこうと
結城へドライブ。
その前に。
以前から行きたかった
「水野忠邦さんのお墓」と
「山川不動尊」へ。
まずは、
水野家11代までの累代のお墓。
筑波山が望める、見晴らしのいい場所にあります。
でも、ココ、
不思議ーな雰囲気が漂っています。
お墓を守るべきお寺・万松寺が
幕末に焼けてしまい
明治には廃寺になっているので、
立派なお墓が
11基あるだけなのです。
でも、地元の方の努力のおかげか
きれいにされており、
周りの景色とあいまって
気持ちが落ち着く感じがします。
歴史の流れというものを
いろいろと考えてしまいますが、
今度来るときは
ただただ、ぼーっとして
佇んでいたいですね。
お墓(の周囲の柵)は
震災でだいぶ倒れてしまったらしく
鉄材で補強されているものが多かったです。
お次は、すぐそばの
「山川不動尊(大栄寺)」へ。
とっても大きな
灯籠。
ご本堂、裏。
「結城諏訪神社」へ。
こちらでご朱印を拝受。
初の、金色のご朱印!!!
最後は、タイトルにもあった
『御手杵の槍』を見に、
「結城蔵美館」へ。
1907(明治40)年、
結城で「陸軍特別大演習」が行われていたなんて!
天下三名槍「御手杵」は
2階にあります!
この御手杵の槍、
下総国結城の大名・結城晴朝が作らせ、
その養嗣子・結城秀康(実父・徳川家康)に伝わり、
秀康の五男で結城氏の名跡を継いだ直基の子孫、
松平大和守家(前橋・川越松平家)が受け継ぎました。
室町時代に活躍した
島田市の名鍛冶・4代目五条義助が
1574年、結城家からの発注によって製作。
1945年の東京大空襲によって焼失!
約370年後、戦のための道具が
戦のための道具(焼夷弾)によって
元の鉄の塊に戻される......。
武器なんてない方がいいのだけれど
今は使わない、過去のものは
歴史という重い物を背負っているだけに
なくなってしまう寂しさがあります。
帰り道。
どうしても気になったので
「結城廃寺跡」に。
奈良時代から
室町時代中頃まで
こんな大伽藍があったなんて。
奈良時代、
各国に建てられた「国分寺」に匹敵する広さです!
奈良時代には「法成寺」と呼ばれていたようです。
結城合戦で、焼失したんですね。 残念!!
法隆寺との関連をうかがわせるものも
出てきたようですので、
もっと調査・研究が進むことを願います。
ここからも
筑波山がよく見えますねー。
奈良の昔に思いをはせ
しばし、ぼーーっと
草っぱらを眺めていました。
廃寺に始まり、廃寺に終わる
結城ドライブ。
国分寺跡とか
廃寺跡とかに
やたらと惹かれる私でした......。
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神社仏閣 | 日記
Posted at
2016/05/21 21:57:51