簗田(やなだ)氏は
室町時代・戦国時代に
下総国・関宿城(千葉県野田市)および
水海城(茨城県古河市)を根拠として活動。
鎌倉公方・古河公方の家臣であり、
特に古河公方の時代には筆頭重臣になりました。
(幸手の「一色氏」も古河公方の有力家臣。
今度、幸手もいろいろと調査します)
まずは
簗田氏の菩提寺の
東昌寺へ。
とってもいいにおいの
蝋梅がお出迎え♪
楼門。
(松尾芭蕉と河合曾良が奥の細道の旅に出た
1689年建立)。
「楼門」の下にあった
これは何??
「山王権現」さまにお参り。
豊臣秀吉による小田原征伐の際には、
徳川家康がこの寺に泊まったそうです。
城郭として使用された形跡もあり、
堀跡が残存しています。
「地蔵堂」(?)
今にも崩れそうです。
元亨年間(1321年ごろ)に制作された「梵鐘」!!
約700年前のものですよっっ。
それが。
実に「何気なーーい」感じで
つりさげられていました......。
おおらーーかな
ご本堂内。
ご住職がいらっしゃらなかったので
ご朱印はいただけませんでしたが
こんなものたちを
いただきました。
「何事も 笑顔にて 参り候う」
白梅も
とってもきれいでした。
お次は
関宿城博物館のセミナーへ。
「簗田家文書の世界Ⅳ-書状類③-」を
学びます!!
途中見つけた
「日吉神社」。
東昌寺の山王権現と
対をなしています。
関宿城博物館、着。
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「簗田家文書の世界Ⅳ-書状類③-」
内容:
戦国時代に関宿城主であった簗田氏は、
古河公方足利氏の重臣でした。
北関東への進出を狙う後北条氏とたびたび合戦に及びました。
今回は、前回に引き続き簗田家文書の中から
書状を中心に取り上げ、
簗田氏の天正期以降の動向についてお話します。
講師:新井浩文氏
日時:平成29年2月19日 (日)
13時30分~15時30分
定員:30名
受講料:200円
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北関東への勢力伸張を狙っていた後北条氏は
公方(足利家)権力の形骸化を目論む過程で
簗田氏と対立・拮抗、
三次に及ぶ関宿合戦を経て
簗田氏が関宿城を開城するまでその関係は続きました。
文書の形式、書式、内容を見ると
その過程がリアルにわかり、
なかなか興味深かったです。
後北条氏の意向は
古河公方(足利氏)が出す文書を通じて
梁田氏に伝えられる、
という形式を常にとっていて
後北条氏から、直接、
梁田氏に命令が下される形式には
なっていませんでした。
古河公方重臣という立場を配慮しながらも
実質的には、後北条氏が支配するという
二重支配構造がおもしろかったです。
戦がない時の文書は
将軍家ならではの
儀礼的な形式・内容のものが多く、
(お歳暮ありがとう、「ご誕生おめでとうございます」への返礼 etc.)
戦が近くなってくると
文書の形式も、後北条氏の形式に近くなり
儀礼色が薄まり、
内容もキナクサーーイものになって
(人馬をいついつまでにこれくらい準備せよ。
詳しくは別途、北条のものから伝える! etc.)
緊迫してきます。
関宿城は
本当に
戦略上重要なお城だったようです。
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神社仏閣 | 日記
Posted at
2017/02/19 19:15:07