近すぎて行ったことがなかった
「小石川後楽園」ですが、
本当にすばらしいお庭でした。
やっぱり、写真で見るのと
実際に歩いてみるのとでは
天と地の差があります。

(↑こちらは「東京ドーム」側。
現在は閉められています。
後楽園を味わう順序としては
こちらから入った方が
庭園の当初の意図が味わえます)
このお庭、
「銀閣寺」「醍醐寺」の庭と同じ
”国の特別史跡及び特別名勝(=庭園の国宝)”に指定、
だけのことはあります。
今にも雨が降りそうななか、
300円を払って
入園。
しばらく散策していると
なんだか音楽が聞こえてきました......。
静かに散策したいなぁ~~などと思いつつ
さらに歩いていると。
♪ Baby you can drive my car~♪ なんて
聞き覚えのある声で
聞こえてくるではないですかぁぁーーー!!!!!
そうです、ポールの
サウンドチェックが始まったのです!
その後、散策中
ほぼずーーーっと
ポールの声とともに
後楽園を満喫できるという
「至福の時」を味わいました。
(おぉ、こんな建物もあったのか!)
家光さんもこのお庭を愛でていました。
光圀は作庭に際し、
明の儒学者である朱舜水の意見をとり入れ、
中国の教え
「(士はまさに)天下の憂いに先だって憂い、
天下の楽しみに後れて楽しむ」から
「後楽園」と名づけられました。
この雰囲気が、好きです。
(正面の白いのは「東京ドーム」。
まだまだポールの音を満喫中♪)
ここにも訪れたかった。
「藤田東湖護母致命の処」。
安政の大地震発生時に東湖は一度は脱出するも、
火鉢の火を心配した母親が再び邸内に戻ると
その後を追い、落下してきた梁(鴨居)から母親を守るために
自らの肩で受け止め、何とか母親を脱出させるが、
自身は力尽き下敷きとなって圧死したといわれます。
(こちらは、かつての水戸藩上屋敷・書院のお庭「内庭」)
かつては、この「唐門」が後楽園の入り口。
お屋敷とつながっていました。
「水戸藩中屋敷」「水戸藩上屋敷」→
「陸軍省所管・東京砲兵工廠」→
「後楽園ゆうえんち・東京ドーム」と変遷していった
この敷地。
平和のありがたさを痛感します。
本来の「後楽園」は
木曽川を模した渓流と滝、
うっそうとした森からスタートします。
「陰」から「陽」へというコンセプトは
同じ水戸藩の「偕楽園」に通じるものを
感じますね。
「大泉水」。
こんなに大きな池があったんだー。
「蓬莱島」と合わせて眺めていると
都会にいるのを忘れてしまいそう。
あ、今日はポールのライブに来たんだっけ。
約3時間、
周辺の寺社+大名庭園を満喫しましたが
このあとに、本当のお楽しみがっっ!
(↓左は「江戸初期」、右は「現代」。
キワを歩きながら、ポールのもとへ早足で!)
ロックで
ポップで
キュートで
チャーミングな
ポールを
存分に味わってきました!!
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Posted at
2017/05/03 10:25:08