慶応4(1868)年、
板垣退助の率いる新政府軍800名の攻撃を受け
6月24日にわずか1日で落城した「棚倉城」。
奇しくも
落城の日(旧暦)の訪問となりました。
元和元(1622)年、
常陸国古渡より棚倉に移封された
丹羽長重(丹羽長秀の長男)は、
幕府より築城の命を受け寛永元(1624)年、
近津明神(都々古別神社)を馬場の地に遷宮し、
翌2年、その跡地に棚倉城の築城に着手し、寛永4(1627)年に完成しました。
現存する棚倉城唯一の建造物は
「長久寺」山門として用いられている
「南門」のみです。
大砲6門かー。
徒歩で数分の「蓮家寺」へ。
板垣退助も踏みしめたであろう
敷石...。
三春藩とも
ここで交渉したんだなー。
「馬場都々古別(つつこわけ)神社」へ
クルマで向かいます。
陸奥一ノ宮です。
(途中、向井理さんが
「イチゴ大福」を食べるために寄った「甘盛堂」さん、
混んでたなぁ)
ぬぬっ。
どっかで見た建物だっ。
友好都市、川越市の「時の鐘」を模したものでした。
(川越市とは、棚倉藩15代城主・松平康英が
川越藩に国替になった縁で、昭和47年から友好都市を結んでいます)
「馬場都々古別神社」。
鶴瓶さんも来ましたね。
西郷頼母が宮司をしていました。
激動の人生を歩んだ、頼母。
どんな気持ちで過ごしていたのだろう......。
ご本殿は
国指定重要文化財です(1594年造営)。

ご本殿の後ろに
気になるお社が。
あとで調べたら、東照宮でした。
頼母は、ここでの宮司生活のあと
日光東照宮の禰宜になりますね。
(その時の宮司は、かつての主、
松平容保!!)
棚倉の鎮守さま、「宇迦(うが)神社」に行きましょう。
この門、ちょっと変わってます。
正面には「随身さま2体」、
裏側には「仁王さま2体」がいらっしゃいます。
「長久寺」さんへ。
この山門が
かつての棚倉城「南門」かー。
たしかに、質実剛健な門です。
最後は「八槻都々古別神社」。 (奥州一ノ宮)
1716~1736年再建のご本殿。
ほ、布袋さん⁇
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神社仏閣 | 日記
Posted at
2017/06/25 16:28:01